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ジョナス・メカスの残したもの(Jonas Mekas 1922 - 2019)

ジョナス・メカスの残したもの(Jonas Mekas 1922 - 2019)
”楽園の思想”
「昔も今も、社会の暗い部分に目を向けて
批判したり、抗議しようとする芸術家はたくさんいます。
私はそれをやめることにしました。
「楽園の瞬間」だけを撮ることにしたのです。
美しい瞬間、感動を与えてくれる場面ですね。
それは庭に咲く花のように、人の心を動かすでしょう」 ジョナス・メカス


それも、1つ方法論だろう。
表象する者は、その活動を止めてはならない。
というよりも、表象(表現)を止める事ができない人たちなのだ。
その表現方法は、多様化している。
それは、メディアのシフトというより、個人の意思を反映できる手段が増えたという事だろう。
その1つに、映像も挙げられる。
ジョナス・メカス の日記映画(diary film)をみると、ボレックスでの16mmFilm映像から、Videoそして、クラウドでのコメント等々、とシフトしている。
この流れにしても、非商業映画の価値を伝え続けた映画監督、ジョナス・メカスの存在は大きいといえるだろう。

(註)非商業映画の価値を伝え続けた映画監督、ジョナス・メカス
商業映画時代、1人でおこなった日記映画。ウォーホルも導いたといわれる
ジョナス・メカスは、インディペンデント映画の父と呼ばれる。

埋もれる芸術も多々あるというより、クラウド以前では、埋もれる事が必然だっただろう。
特に、前例のないジャンルであれば、誰かの拾い上げがなければ、人の目に触れる機会はない。そして、アンディ・ウォーホルが実験映画監督として知られることになったのもEmpireに価値を見出す人間いたからだ。それは、ただ、エンパイヤステートを8時間という長尺での実験映像だった。


1960-70年代は、商業映画が中心であった、記録映画や、テレビの番組制作もフィルムを用いられることもあったが、個人が撮る日記映画は異端であった。8mmならまだしも、16mmでは、映写の手段や方法も限られた。しかし、その異端的なセオリーが、後のインディペンデント映画エリアというカルチャーになった。
それは、非商業映画の価値を伝え続けた映画監督、ジョナス・メカスの存在があったからだろう。


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