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スマートフォンという映像文化環境を考える - 京浜急行事故

イメージと文化:スマートフォンという映像文化環境を考える。

痛ましい事故に深くご冥福と共に、早期の身体の回復をお祈り致します。

現在、日本人のほぼ全員が、スマートフォンという、映像記録とどこでも送信できるデバイスを持ち合わせている。
この状況は、映像文化にとっては、理想環境であり、このことは、映像言語の域を超え、むしろ何でもありの状態だ。 
TVでは、この事象が、まだ、現在進行形の中で、多くのスマートフォン映像データから、コメンテーターと有識者の解釈で、悪いのは誰だ、という、あまりに早期の結論まで飛び出している。この意味解釈からの感情を呼び起こす方向もあるだろう。
それからは、放送事業者というマスメディアの行き詰った一面も感じる。

また、それらのデータは、同時にNet(通信エリア)でも多様な解釈で展開されていた。
それから言えることは、個々に於ける、*文化背景とそのインテリジェンスをどこに置くかという判断が、今後益々、重要な要素だになったということだろう。

(註)*文化背景というキーワード:90年代に、東欧が、経済破綻を起こした時、そこで開催された学術会議は、交通手段や食べ物さえ入手が難しい状況において、理想の学問体系(学際のあり方)が発表されている。その中では、これが本来の文化価値だろうと淡々と語られていたという。


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