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【父の教え】いいか、出川“さん”て呼ぶんだぞ。

いつもは自分のブログ(ARTONE MAG)でクラシック音楽について綴っているのですが、今回はまったくちがう話です。

11月23日は勤労感謝の日でしたが、私の父はまさに11月23日生まれでした。

父は自営業でいつも忙しくしていたので、「勤労感謝の日に休んだことがない」と、よく笑いながら話していましたが、そんな父のことでふと思い出した話を。


私がまだ子どもだったころの話ですが、ある朝、父から「もしどこかで出川哲朗くんに会ったとしても、決して“ 出川! ”って呼び捨てにしてはダメだ。かならず“出川さん”って、敬意をもって呼びなさい」と言われました。


その前の日の深夜、何気なくテレビの深夜放送をみた父は、ある番組のなかで、出川哲朗さんがドッキリにひっかかっているのを観たんだそうです。

当時の出川哲朗さんは、いわゆる「嫌われ者」の代名詞のような扱われ方をしていて、お仕事とはいえ、ずいぶん、ひどい目にあわされていた頃でした。

世間一般からも、後ろ指をさされて笑われているような立ち位置だったと記憶しています。


わたし自身はその深夜番組を観ていないうえに、父から話を聞いた遠い昔の話になるので、どんなドッキリだったかうろ覚えなのですが、たしか、後輩の芸人と飲みに行って、そのうち段々と後輩から真剣な人生相談をされて、やがて涙ながらに「こういうお店で高級なお酒を飲むのが、田舎を出たころからの夢だったんです…」というような嘘のお願いをされ、そのお酒というのが一杯で何十万円もするお酒で、それをおごらされるというドッキリだったはずです。

このドッキリには、出川哲朗さん以外にも何人もターゲットとして出ていたそうですが、出川哲朗さんひとりだけが仕込みの若手芸人の演技に心から同情してしまい、結局、その超高級なお酒をおごってしまった、というような話だったと記憶しています。


番組としては、「やっぱり出川哲朗はバカだな」というテイストだったのでしょうが、わたしの父は、むしろ出川哲朗さんの気風の良さ、いざというときに腹を決められる姿にすっかり感心してしまったようです。

それで、その翌朝、「もしどこかで出川哲朗くんと出会ったら、ほかの人たちみたいに“ 出川 ”って呼び捨てにしてはダメだ。今はみんなに馬鹿にされているけれど、この子はきっと大物になる。“ 出川さん ”て、敬意をもって言うんだぞ」と私は教えられたわけです。


その後も、出川さんは「やられキャラ」や「嫌われ者」として、テレビの内外でずいぶんひどい目にあっていましたが、演出とはいえ、その度に私の父はとても憤っていました。

ときには先輩芸人のひとたちから顎で使われたり、ひどい言葉を浴びせられている姿をテレビで見かけることもあって、父は「わかっていないんだ。いつかは、出川くんに頭をさげて、出川くんの名前がついた番組に出してもらうことになるのに」と、よく口にしていました。


あれから時が流れて、出川さんは今や、父の予言したとおり、日本でも屈指の人気者になりました。

わたしはあまりテレビを観ないのですが、毎回録画してでも観ているのが、『出川哲朗の充電させてもらえませんか』です。

この番組を観ては、父の言っていた通りの光景が現実のものとなっていることにハッとさせられ、感動します。


まだ一度もお会いしたことはないのですが、いつかお見かけしたときには、敬意をもって「出川“さん”!」と呼ばせていただこうと思っています。


以前、NHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀」に出川さんが出ていらして、「20年前は歩いているだけで物を投げられたのに、世間は勝手だなとも思う」とおっしゃっていました。

ほんとうに、その通りだと思います。


父はもう十年以上前に亡くなってしまったので、人気者になった出川さんの姿は見ていません。

いまの姿を見たら、さぞかし喜んだだろうと思います。


「勤労感謝の日」でふと思い出した、父の話でした。


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