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引越しを終えて.....

あざみの花はスコットランドのシンボルなのだと云う、野趣に溢れて、その色も装いも彼の地によく似合う花だと思う。ギザギザの葉も茎も触るともの凄く痛い。あざみは、わーっ、可愛いと手を伸ばして詰むような花ではない、楚々としながら凛とした意志を感じる花である。本当は野で眺めたい花だけれど、花束にして竹の籠に投げ込んだら清々しい初夏を運んできてくれた。

次女のすぐ近くに引越しをした。母には前々から伝えていたのに、孫が昼でも夜でもひょいとやって来ては、「またね、おばあちゃん!」とひょいと消えるので頭の中の混乱が収まらず、「あれ?さっき居たのに….どこにいるの? どこに行ったの?」と、日になん度も聞くようになった。同じ屋根の下に暮らしているように錯覚しているのである。もともと一緒に暮らしていたのだものね。

2年前の今頃はまだ母の認知症に気がつかなくて、その暴言の数々に傷つき悩んでいた。たまらずに一晩家出をした夜、長女が徹夜で話し相手になり、朝になって連絡してきて「おばあちゃん、認知症だよ。間違いない!」と断言したのである。そうか、それなら辻褄が合うね。もう腹を括るしかないね、と返事したことを覚えている。罵詈雑言の中で、でも一緒に暮らしたいと泣いたのだと云う。それが私の心に突き刺さっている。母の心の葛藤もまた凄かったのだろう、自分の中に何が起きているのか収拾がつかず怖かったのだろうと思うからである。

すぐに要介護2の判定を受け、良かれと思ってデイケアやデイサービスを体験したけれど全て失敗。年寄りが年寄りばかりの所へ行ってどうするの?が母の持論で、それはどこか説得力があって妙に頷ける。そういう訳でずっと家にいるのである。24時間介助付き、私は第一下僕、長女は第二下僕、そこへ次女が第三下僕として加わったという次第。だけど、これもなんか面白いかな…………。

去年、要介護3にあえなく昇進した。比例して私の自由度が少なくなり、だけど理解力はやや増したので、日常を客観的に眺める余裕のようなものが身に付いてきた。が、辛いことは辛い。悲しくもあるし、苛立つこともある。頑張らずして頑張る、肩の力を抜いて物事をユーモアを持って眺める…..と言いつつも身体全体ガチガチで、長女とふたり、整体に通い初めて早1年。月1回が2回になって、一番元気なのは母である。だけど満95歳、あと何年ある?と考えるとやはり別れは考えたくないのである。


私はもともと花に対してはかなりの浪費家である。団子より花なのである。娘のお店に飾ると云う大義名分が出来てからは尚更で、毎週生け替えるのだから楽しいことこの上ない。店頭はちょっとした庭のようになってしまった。今の私の唯一の楽しみ、ストレス解消なのだから、やりすぎは許して貰おう。この花好きは母方の祖母、母、私へと続く血筋、遺伝である。


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