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シルバーカーで完走!

風もなく暖かい日、あまりにもお天気が良いのでさりげなく「おかあさん、散歩に出掛けてみない?」........その気になった。それから着替えをして、マスクをして、玄関前にシルバーカーを用意する、それだけでも一手間であるが、その気になっている間に急がなきゃ。行く先は告げなかった。まずは、そこまでは歩けない、歩けるかしらの問答が繰り返されるからだ。

神社まで行ってみよう。そしてさりげなくその先の橋を渡って、次女のお店まで.........そう心に決めていた。シルバーカーは簡単な車いす機能も兼ねたかなりしっかりしたものだ。私の足では神社を斜めに突っ切って、橋を渡って、その袂にあるお店まで20分の道のり。

飲食店の看板の前で、今度ここに食べに来よう。花壇の前で花の名前を、神社の木の下で落ちた実を探す。お参りは込んでいるので次回にして、参道入口で一休み。そこから見えるケーキ屋さんのこと、コインランドリーの上にある英国アンティーク家具屋さんのこと、会話はとぎらせないように。そして目の前の横断歩道を渡る。そこからもう赤い橋の欄干は見えている。私は橋の上からの眺めが好きだ。と言うよりも橋を渡るという行為そのものが好きだ。

なんとその橋を母は機嫌良く渡って、お店まで到達してしまった。開店前の準備中だったので、お掃除中のスタッフの女性にしきりに「手ぶらで来てしまってごめんなさいね」と言う。孫の顔を見て「おばあちゃん、凄いね!」と褒められて、お土産のお菓子を貰って.........帰りはもうタクシーを想定していたのに、当たり前のようにシルバーカーのハンドルを握る。気分屋さんの母なりに頑張っているのだ。帰りはサービスして、平らなところは車いすにしてスイスイ進んだ。そうしたら「歩こうか?」と言う。何じゃこりゃ..... 歩く訓練は嫌でも、こうして娘と歩くのはOKなのだ。

そうか、これしかないのか。廻りからは家族がダメになる、甘やかし過ぎは結局は本人をダメにする、と繰り返し言われる。その通りだと思う。実際に私はプチ家出もしたし、2人でいると会話が途切れがちになることもしばしばである。だけど頭の中では思うのである。人にはそれぞれの生きざまがある。母は自立自尊で逞しく生きてきた93歳ではないのだ。故に端からみれば無意味だと思える自我を通す強さ、プライドがある。それが人生の終焉に強烈に現われているのなら、人の力で正すことはできないのだ。それは理屈で分かるというのではなく、母がいつか気分で、家族に大事にされていると感じた時に優しい言葉や笑顔になってかえってくるものなのだ。そしてアルツハイマーなのだから、今日の笑顔は明日には罵倒にもなり繰り返される。だけどそれでも、母に残された時間は限りなく短い。最終章を母の意に添わないものにしていいのだろうか? 孫である長女にとって、それは否、である。

長女は母が育ってきた背景を想像しながら、その言動の強さがどこから来ているのかを感じている。それは祖母が縁(よすが)として支えにしているものが、実は儚いものであるという悲哀のようなもの....... だから自分に向けられた暴言も受け止める寛容を持っている。私にはそれが足りない。母との関係がもっと長いからだ。だけどそれを思い出してどうする? 子供を自分のものだと思い、支配しようとして、無意識に無神経な言動をとる親なんて世間にはごまんといるだろう。その母は今や小動物のようになってしまい、その雄叫びは自分の存在を周囲に知らしめそうとする最後の武器なのだろう。

長女の提案..........私の植物療法士の友人を月に数回招いて、母と私が一緒に雑談しながらカウンセリングを受けたらどうかというもの。それはひたすら聞くという彼女の優しさに満ちたもので、そこにはあるセオリーがある。私はそれを知りたくて彼女から初級の講義を受けたことがある。

娘は、おばあちゃんはまるで息を吐くように憎しみの言葉をぶつける。それはきっと心の奥に深い傷を持っているからだと言う。93歳になるまで自分でも気づいていない、その母の心の奥にあるものを吐き出させる。そして私も。その先に平穏があるように。そんなことをふたりで泣きながら話した。

私は今、人間という生き物の姿をまざまさと見せられているのだろう。それによって自分自身を知るという作業をしなさいと言う事なのだろう。私は心に映る美しいものが好きだ。自分が美しくないと思うものを、捨てて捨てて生きてきたという強さと身勝手さを持っている。「神なさることはその時にかなって美しい」これは私が大好きな聖書の言葉だ。今こそ、その言葉の本当の意味を知る時なのだろう。

とにかく今日のところはシルバーカーで完走した。娘にも頑張ったね、お母さん、とお褒めの言葉をいただいた。.............明日のことは分からない。


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