言葉

時代の変遷と共に既存の言葉の意味が変化したり、新語や造語が出現しては廃れていく。

…というのは十分理解しているつもりなのだけれど、通信手段がスマホへと移り、SNSが浸透し出した辺りから「イヤな言葉」を肌で感じる事が確実に増えた気がする。
それは所謂バズったり、炎上であったり、YouTuberやインフルエンサーといった存在であったり。今はそこが狼煙となる場合がほとんどだろう。
毎年発表されている「新語・流行語大賞」なんかもここ近年でテレビや雑誌発のよりかはSNSやネット発のそれが圧倒的に増えた。

個人的にイヤだなあ…と思う言葉を挙げるとキリがない。
少なくとも、初めてそう感じた言葉は「老害」だ。
この言葉は恐らく2ch発で、インターネット歴が20年以上のおれは今のように一般的に認識される前から存在自体は知っていて、この言葉は所謂「2ちゃん用語」だった。
しかし、こうしてインターネットやSNSが発展して来ると、誰かが持ち出してきて、やがて影響力のある人がメディアで使用して、一般的に使用されるようになり…
今では「老害」という言葉が完全に形骸化、インスタントに使用されるようになっている。
良くない事ではあるな、と個人的には思う。
そもそもこの言葉は閉鎖的なコミュニティで使用されていたからまだ良い(良くないけど)んであって、あらゆる文明と技術が発展し、かつてアンダーグラウンド的文化であったインターネットが大衆化、それに今の社会情勢が重なってこういう言葉がカジュアルに使われるようになるのだろうなあ…とおれのバカな頭は考える。
まあ、個人的にイヤだなあ…と感じた言葉なんぞ、使わないに越したことはない。
ただ、それらを使用している人達を軽蔑したり避難する事もない。言葉自体は自由だからだ。
しかし、明らかな差別用語(例:「黒んぼ」、「カタワ」)などは断固非難するべきだ。ここら辺も線引きが難しい事ではあるけれど。
これに関してはデータが古くはなるが、森達也著「放送禁止歌」が参考になるかもしれない。

因みに、自分語りをさせてもらうとおれがこうした「言葉」に対して深く考えたりするのは、大学時代に日本語のゼミをとっていた名残りからだ。
卒業論文のテーマは「放送禁止用語~「キチガイ」を例にして」。
おれが正気とキチガイを往復していた頃に至って大真面目に取り組んでいた論文だ。
恥ずかしくて未だに読み返してはいないし、今後読み返すつもりはない。けれども、あれから随分経った今読み返すと文章のあちらこちらにあの頃のおれのしょうもない狂気が読みとれたりするのかもしれない。

この投稿にこの曲張るのはちょっと違うかもしれんが。

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