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髪を切った

髪を切りました。ショートにしました。

アイコンの写真は、ただれて色素沈着だった背中もこんなに綺麗になれるんだ、と分かって欲しくて、アイロンで巻いて出かけた日の夕方の黒髪と共に写しました。
我ながら力強く、女らしい良い写真だと思って居ます。

しかし、今はもうショートヘアなのです。
ショートヘアは中学生の時部活生の時以来。


年齢を重ねるごとに、髪の毛はゆっくり生えるようになり、細かいうねりが出るために、艶が失われます。
キラキラと表面が煌めいていた、そんな髪が少しずつ輝きを失ってきたのが分かっていました。

トリートメントやヘアオイル、ドライヤーや、アイロンを使い、一定時間綺麗に見せることは出来ました、でもそれはふとした瞬間に崩れ、弾力がないため元の位置に戻らず、細かいうねりのためにまとまりにくくなりました。

また、綺麗に髪の毛をセットしても、年齢と共に変わってきた顔とのアンバランスに違和感を感じるようになりました。

 (もはや、これまで。)

ありがとう、黒髪。自分自身の色。。

長い髪の毛でいるには、清潔に見えることが不可欠。ただ、表面の輝きなしには、これは難しいのです。ベースを明るい色にし、加えてアッシュ系の色を入れることで、光に透けるような雰囲気を出することに決めました。

昔は何にも思わなかったのに、髪の毛を染めること、とても名残惜しかったです。もう二度と自分自身の黒色で長く伸ばすことは出来ないでしょう、それが歳を重ねるということなのだから。

アッシュ系の色を入れてもらいながら、出来るだけ透明感、清潔感が出るような色を目指して、少しずつ少しずつ2ヶ月ごとに髪のトーンを上げていきました。


4月の初め、家で夫と大喧嘩をしました。飲み会から朝帰りした夫に、私が激昂したというものなんですが、ものすごく頭に来て、ものすごく腹が立って。その時に自分の中の女性性というものがストンと消えたと感じました。


今まで私が大切にしていた(演じていた?)女性としての自分を初めてどうでもいいと思えました。夫に対して大切にされたいだとか、優しくされたいだとか、そういう感情が飛び「なんだこいつ?」に変わったんですよねぇ〜。

分かってもらいたいのに、とサメサメ泣くような自分でもなくなり、1人ビールを飲んだ後、涙を隠すためにランニングするような意地もなくなり。(お酒も去年やめました)

その後ふと自分を鏡で見た時に、「もう要らないな、この髪は」と思いました。

それで30センチ、ばさりです。

私にとって長く髪の毛を保つことは、女性としての強さであり、女性として生きている意地であり、アイデンティティでした。

髪の毛を乾かしている時間は、好きなことや人について考えます。手をかければ手をかけるほど、考えれば考えるほど、執着が生まれていたような気がしてなりません。

髪の毛を切ってしまうと、ドライヤーを持ちながら鏡の中の自分と向き合う時間が格段に減りました。だから、考え事をする時間が減りました。

明るく生きるためには、髪の毛を切ってしまうのはとてもよいものだと思いました。落ち込むことが殆どなくなりました。髪が短い方が泣かずに生きていける気がします、なんだか涙も湧いてこないんですよね、不思議。



でもまた私は髪の毛を伸ばすと思います。

考え込んでいた時間を少し懐かしく思ってきたころです。




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