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どう枯れたいかを考える

大した人間でもないのに、色々な人に外見を褒めてもらったと思う。
年齢を重ねていくうちに、自分が似合う服、美しく見える格好をするのが少しづつ嫌になっていっているのを感じます。

バランスのとれた格好や他人でもわかりやすい外見の華やかさよりも、そういうこと以外に大切なものがあって、気にせずに自分の好きなものを身につけて、多分重いであろう大切なものを詰め込んだバックを持って歩く女性に憧れを感じます。

寂しがりやで、負けず嫌いで、寂しくなるくらいなら捨てる、負けるくらいなら挑み続ける、そういう風に生きてきました、でも今ここにいる自分は女性としての優しさにどこか欠けていると感じます。

もし、花が咲かないのなら、それは花のせいではなく土が悪くて、陽当たりが悪くて、恵みの雨が足りないと考えるのが普通だと、どこかのハリウッド女優さんが言っていました。

私は自分の環境が土が悪くて、陽当たりが悪くて、恵みの雨がないと思い込み、動くこともできず、ただそこにとても強く太い根を張ってしまい、もう花とも言えないような、大きな雑草のような生命力の塊になってしまったのではないでしょうか。

もし、土が悪くて、陽当たりが悪くて、恵みの雨がないのなら、弱々しくしなしなになって、枯れそうな植物になってしまいたい、そうすればもしかしたら誰かが見つけてくれて、陽のあたる場所へ連れて行き、水をくれるかもしれない。
そして、もし誰も見つけてくれなかったとしても、それはそれで枯れてしまいたいと思うんです。そのほうが綺麗なんじゃないかって。


そんな風に思うのは、もう女性としての生き方全てを捨ててしまって枯れてしまいたいからなのか、それともまだまだ自分の生き方を探しているからなのか。

自分のことはもう考えたくない、そんな気分になっています。



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