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入管の問題、 起きていること、 胸の限界をこえて
もう少しも、 具体的に情報を知るというのができないでいる
ひどすぎて、 いつの時代か、 いつの文明か、 人間なのかもわからない
あまりにものことが、 わたしの近くは大阪入管で行われていることに
ふとしたら食器棚が倒れるようにこころががしゃがしゃに割れる予感をはらむくらい、 非人道的なことをひとができること、その悪魔的ものを向けられ注がれるということが、 もうわからない、 わからないをこえている。

限界をこえるなか、 さらにの追い討ちは 寺田氏。
わたしは、 自民も維新も彼らへの嫌悪に悪口、 いくらでも言葉にするけど、
個人的に、 強い怒りや憎悪を思うことない。 それは、 胸の針が少しも振れないからで、 きっとそれは、 国政への実行力、 社会や生命、 尊厳への影響力とは真逆に、 彼らの存在、 その表現のリアリティーが、 どこまでも希薄だからに思う。

むしろなぜか野党側、 内から強い感情が生じるひと、 数は少ないけれどいて
その筆頭は、 長らく不動の野田さんだったのが、 いまその位置に迫ろうとしているのが、 寺田学氏。 本田平直さんに起きたことのうがうがは、 少しも溜飲さがることないまま、 今回の入管問題での寺田氏の振る舞いは、 目に柚子胡椒をすりこみたくなる衝動にかられるくらい、 うがうがをこえたいがいがが、 胸の奥、 ヒヒーン!と声をあげる暴れ馬を必死で静まらせようという、 意識の努めが必要になるくらい、 ところてんに添付された黒蜜を、 彼の両目に注ぎたくなる。 維新にはおえぇとなることでおさえられる思いが、 寺田氏には、 他のひとに生じない攻撃性のようなのが、 自分のなかからうまれる。

この衝動を感じるのが、 立憲、 国民のひとにうまれることが悲しい
とんちんかんはもうずっとでも、 いまはとんちんかんが勘違いに昇華されたぶん、 希望を思う議員さんもたくさんにいる立憲、 どこを基準に、 されていること認識すればいいのかが、 わからないで、 こないだはもう、 次の選挙、 泉さん岡田さんの選挙区に、 維新が候補者をあててくる記事をみて、 まさかのまさかのまさか、 維新を応援する思いが自分にうまれたことが、 果てしなくきびしい、 つらみを思った。

立憲、 応援するひとが求めるものと、 それへの党の受け取り
ここまでの齟齬が起きるのはどうしてだろう
それはきっと、 見ている先が、 それは与野党問わず、 違うからではあるけれど
見ている先が、 こちらを向いている議員さんも、 与野党問わずにいるなら
ほとんどのひとは違う所を見ているそのなかで、 こちらを向いて、 自分の限りを尽くす、 そこでの彼ら、 彼女らの心境は、 どんなか想像もできない
ただできるのは、 応援と、 自分ができることをすること、 それだけなのが、
託しすぎていること、 いつも申し訳ない思いになる。

志を持ち続け戦うひとの大変は、 表には現れないで、 インチキだけがじゃんじゃかと幅を利かせ跋扈する。 それを不条理とは思わないのは、 表はもういまそれが有効に働かなくもなってるからで、 むしろの醜態の顕現にもなる表出は、 それと対極にあるひとの存在を、 くっきりと、 はっきり浮かび上がらせる。

誰であれ、 何であれ、 もう実際にあるものを、 隠し通し、 ただ見せたいように見せることも、 嘘や本当をごまかすことも、 もうなにも、 もう少しも、 嘘つくことができないとき。 そのままが、 そのままなとき

こんなにもわかりやすいときはないぶんに、 寺田氏のもろもろが、
自分が目に生姜汁を入れられるような気持ちになったのだろうと思う。
与党でもなく、 維新でもないひとのことを、 こんなわざわざnoteにまで書くのは、
これは、 わたしなりの、 抵抗運動であり、 抗議活動の衝動なのか

卑怯で愚劣で利己的悦に浸った者に、 国民の代弁者を担って欲しくない、
党より政策よりも前に、 人としてのところ、 品性なくしてはに思う。

その、 人としてのところ、 それがはっきり、 くっきりに向かういま
法への、 儀礼への ひとへの、 社会への、 命と、 尊厳への、 心ある議員のひと
どうか、 濁流の渦にいても、 巻き込まれることなしに
浮き輪となる、 応援の声、 ひとりひとりからを
メディアよりも、 扇動よりもいま ひとりひとりの声が、 まっすぐに、 くっきりに。


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