ちいさくなるものと、たしかになるもの

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいいたします。

実家に帰っているあいだ、日数にして1日と4時間くらい、ずっと母と話をしていた。
とりとめのない、なんてことはない、ただの日常会話を、ただただ延々と。
仕事の話、親戚の話、テレビの話、SNSできいた話、お母さんの友達の話、おばあちゃんの話、ラジオの話、わたしの友達の話。
大笑いするわけでも、大盛り上がりするわけでも、真剣に語り合うわけでもなく、ただただ、ずーっと話をしていた。帰る間際、ちょっと喉が痛かったほど。

母と話したいな、と、思っていたわけではない。話したいな、という気持ちよりも、家族のことを思うと、いつもどこかうしろめたくて、それは母や父や弟とは関係がなく、ただただ自分自身の気持ちの問題で、うしろめたいくせにとても心配で、これからわたしは、父や母が困ったときに、ちゃんと役に立てるのかなあなんて思っては、胸がぎゅっとなることの繰り返しだった。

だのに、いざ会ってみたら、駅に車で迎えにきてくれた母と、車中からずっと話をしていた。家についても、介護サービスつき高齢者住宅に住む祖母のお見舞いのあいだも(といっても祖母はずっとうとうとしていて、ただかわいかった)、祖母宅から実家にもどって犬の散歩をしているときも(今時珍しいくらいの、立派な雑種なのだ)、夕飯の支度を母がしているときも、食べながらテレビを見ているときも、ただ延々と、わたしは母と会話をした。不思議なくらいに、ずっと、ずっと、言葉を交わしていた。

家族に対して自分が抱いている不安なきもちや、うしろめたさを紛らわせるために無理な会話をしている、わけじゃなかった。
久しぶりに会った母とわたしで、途切れない雑談をただただいくらでも続けることができるのは、わたしが母の娘で、このひとと家族で、どんなに離れていようがそれは変わりようのないことだからなのかなあと思った。そして、わたしはいつでも母の娘だし、これからちいさくなってゆくだろう母を、きっとわたしは可愛らしいと思うだろうなあ、と、そんな母をちゃんと見ていきたいなあと、過剰なセンチメンタルなしに、こころの中でたしかに思った。そう思える自分でいたいと思った。



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わーーーー!またあそびにきてね!
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