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【都市論】仙台駅前エリアにおける「路上観察学」の重要性-2020年代の動向から-(240110更新) 

 仙台市中心部は、生まれ変わろうとしている。兼ねてより建物の老朽化が著しく、期限付きで運営していた商業施設のクローズ、商業的・ランドマーク的賑わい……全てが交差してハード/ソフトともに生まれなおす兆し・予感のにおいが立ち込める。

 その生まれ変わるプロセスで、何が消滅し、生まれ、変化していくのか。過去の上塗り的な再開発(ゼロ開発ともいう)を踏まえ、今こそ「路上観察学」的に記録・採集をしていく意義を感じている。

「上塗り」的な都市造成への期待感

「ちゃんとしている」のが良いストリートなのか

 2023年11月末、仙台市中心部・定禅寺通ではケヤキの根の状況調査にあたり、「ケヤキの根っこ観察会」なるイベントが小規模で行われた。定禅寺通は2024年度からの再整備に向け、歩行空間等の設計をしている。ケヤキの根の分布状況などを調査しているのはその設計に活かすためだ。 ケヤキの根は必ずしも一般的に言われる性質通り放射状に伸びているとは限らないので、実際に掘ってみないと実情がわからない。

 そこで、 試掘してるうち戦災瓦礫が見つかったというエピソードを耳にした。戦災復興事業で1958年時点で定禅寺通に160本以上のケヤキが植樹されているが、いざその根を掘り返してみると造成を急ピッチで行ったために瓦礫が残ったと推測されるという。

 筆者はこの瓦礫の話を聞き「路上に露出していないながら、その時代の焦りや苦労を感じて面白い」と感じたが、他の参加者は「今度はきちんとやってもらわないとね」と口々に言うのだ。歴史を面白がるというより、慌てて間に合わせた痕跡を恥じるような空気を感じた。「ちゃんとした」ところで、果たして、それは面白いストリートなのだろうか。

JR仙台駅を挟んだ「東口」「西口」の現状

 近年、特にJR仙台駅東口方面の変化は顕著だ。かつて「駅裏」と呼ばれていた面影はすっかりなくなり、駅ビルで挟み込まれた自由通路の天は吹き抜け。2010年前後のドラッグストアやゲームセンターが立ち並ぶ東西自由通路を始めとした東口のややアングラな空気感が愛おしかった。

 しかし、再開発に関わる人々からしてみれば西口に対しての「裏(=ネガティブ)」だったのだろうと思うと少し胸が痛む。2023年のヨドバシ仙台第1ビル開業のニュースを聞いた時は「リトル・秋葉原か![1]」と少し胸躍ったものだが、「リトル・新宿であったか」と落胆したものだ。これは一個人の好みに過ぎないものの、これがあの仄暗さをかき消して作りたかった賑わいだったのか……とかつての駅東西自由通路の低い天井に想いを馳せる。

 その一方で、JR仙台駅西口方面(青葉通仙台駅前エリア)はソフトの面から非営利・まちづくり的アプローチを行うものの、さくら野百貨店は2017年の閉業以降、青葉通仙台駅前エリアに建物がそのまま残されたままである(2024年1月現在)。ティーンだった我々30代も、H&Mが仙台にやってきただとか、BOOKOFFがあって寄り道したくなっただとか、そういった記憶もわずかにあるだろう。これもまた東口同様、愛おしい記憶だ。

旧さくら野百貨店 H&M跡地

 そんな思い出ある商業施設でも、今では公衆衛生や景観的な面でネガティブなシンボルとなっている。その焦りや不安感からか商業的に賑やかな東口と対照的に語られる。その上、2024年1月には「EDEN」がテナント契約を終えて閉業する。その先の構想も不明瞭なまま、あのエリアの時間は止まっている。そのうちここも上塗りされていくのだろうか。

EDEN 内テナント「bar allegro」

路上観察の起源と純粋さ

 今回重要性を示唆したい「路上観察」の話題に触れるにあたって、今和次郎について言及を避けることはできない。路上観察の基礎には考現学がある。今和次郎は自身が参画する関東大震災復興が背景にある装飾プロジェクト(バラック装飾社[2])実施にあたり、街の変化を観察するべくあらゆる風俗を記録・採集していた。結果、そのプロセスはのちに「考現学」と名付けられ、今の師匠にあたる民俗学者の柳田國男が”私の民俗学は今さんの行っている考現学の一翼に入ると最近思っている[3]”と呟くほどの立ち位置を確立する。

 街が修復されていく過程で、都市全体がどのように変化していくか観察・採集・記録され、その領域は板切れ看板から街ゆく人の衣服までに及ぶ。そこで、美術館や身体パフォーマンスを超えて、ストリートが持つ「超芸術性」に着目した考現学が生まれる。それが赤瀬川原平らが提唱した「路上観察」だ。マーケティング論的な商業的な手つきを跳ね除けた先にある路上観察の起源は考現学にあり。

路上観察の事例「トマソン」

トマソンは、赤瀬川原平が「路上観察学入門」に行き着くまで、着目していたものの一つ。「無用建築」とも呼ばれ、何かしらの要因から本来の用途から外れてしまった階段や門、壁面等を指す。

(例:仙台市内で観測した無用階段。登った先は何もない。)

路上観察でいう芸術性は無意識から生まれた/作者不在の物に面白さ・美しさを見出す。トマソンに限らず、街に残る無意識から生まれた「無用」のものたちはその街が持つ純粋な顔の輪郭を浮かび上がらせるといえるだろう。

(仙台市・一番町方面。ユニークでありながら、こうなっているエリアで何があったのか、どんな息遣いがあるか考える道標ともなる)

都市の新陳代謝

なぜ仙台と路上観察(考現学)を結びつけて論じたのか。

まず、仙台駅前周辺が都市として停滞している空気を感じ取ったことが大きい。地権者がそれぞれ目配せをし、官民で同じ方向を向くのが難しい状況の中、動向をいまいち掴めていない市民同士がどうしようもない空中戦を繰り広げる。

都市批評的な作品を数多く手がけるアーティスト集団「Chim↑Pom」のプロジェクト周辺を例として挙げると分かりやすいかもしれない。Chim↑Pomはかつて、2020年開催の東京オリンピックに向けてスクラップ&ビルドの動きが加速する東京の姿を浮かび上がらせるプロジェクトを展開していた。これらの作品、展覧会が成立するのはスクラップ後のビルドが予想できるからできたことなのではと筆者は考える。

参考:Chim↑Pomはなぜ「道」をつくったのか? スクラップ&ビルドで可視化する東京の現在 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/6271

 2024年現在、仙台駅前エリアのようなスクラップ後のビルドが予想できない場所で、しかもスクラップされるかどうかもよくわからない場所で、「はい何かやりましょう」と考えたところで、何かをアウトプットする・表現することはかなり難易度が高いのではないか。

 そこで、表現やアートと言う文脈においては何かをつくる、今後の姿を浮かび上がらせるのではなく「まちの持つ輪郭を見直す」チャンスなのだろうと考えた。

街が持っていた輪郭をストリートに見出す

 「面白い都市のあり方」の根幹を問い直し続けていく必要があるとはいえ、一度既存の街(ストリート)の姿を記録・採集することで浮かんでくるものごとが必ずあるはずだ。それは看板の文字でも、ステッカーボムでも、街行く人のファッションでも良い。都市修復の過程で採集したものはどれもその時代を象徴する財産、ひいては新たな文化圏の造成の一助ともなりうると考える。

 ここでは結局何が売れるとか、そういった商業的な手つきを跳ね除け、どうでもいいことの積み重ねが都市を面白くしていくのではないかと仮定した。その上で、都市が停滞しているこのタイミングのなか、カブトムシを採りにいく感覚で近過去〜現在を採集しにいくべきなのだと考える。

<脚注>
[1]
JR仙台駅東口エリア方面にはPCパーツショップ等ニッチな商いの店舗も点在しているため。
[2]
今和次郎を筆頭とした若手芸術家集団「バラック装飾社」は震災により住居が消失した人々が作った仮設の住まい(バラック)に前衛的な装飾を施した。
[3]赤瀬川原平「路上観察学入門」 (ちくま文庫,1993年)

<参考文献>
赤瀬川原平「超芸術トマソン」 (ちくま文庫,1987年)
赤瀬川原平「路上観察学入門」 (ちくま文庫,1993年)
鈴木貴宇「因習から遠く離れて:今和次郎とバラック装飾社」(1923関東大震災報告書 第3編 108-109, 2009)


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