太陽

帰属と所属と参加

人の自律とは何によって成されるのか?

(ほぼ一年前に自律について今度考えようとnoteに書いていたのを確認した。思考が巡ってるなぁとちょびっと嬉しくなったり。)

自律という概念は、本来的には人の内側からしか発生しないものに思われる。一方で、人は環境に依存・順応し、またその環境を作り出すのもまた自身であると捉えると、自律はどこを出発点に置くかという自身の捉え方によって成立する概念のようにも思える。(※ここは人の自由意志という問い展開される気もするが、それは今回考えることは一旦置いておこう。)

昨日参加した人材マネジメント講座の参加者の方が「自律とは依存先の分散によって成り立つもの」という考えを話しており、さて自分にとって自律とはなにかという問いに落ちた。

最近読んだ「日本人のための宗教言論」によると共同体という概念には

・宗教共同体

・血縁共同体

・地域共同体

があるが、人は「労働共同体」に所属することで自身を肯定(周囲とのつながりや承認含む)できるとのこと。これは小笠原英司さんの経営学研究所説に出てくる人の生活を形成する4要素に通ずる話という自己の中での展開。

私の価値観では、人はこの肉体を持ってこの世の生まれ落ちたときからなにかしらの共同体に所属していると捉えており、その共同体への所属を前提とした上での自己決定や自由意志と考える。

人は共同体に"所属"しているのか"帰属"しているのかの捉え方が個々によって違う捉え方をしているのだと考えられるし、その共同体の主体をなにに置くかによって所属しているものもあれば、帰属しているものもあるのではないかと考える。

以下は帰属と所属と参加を共同体という主体に対して捉えてみたものだが、まだ私の中でも明確ではない。

場への期待、人とのつながりから物事を捉える私にとっては自律とは「共同体への帰属」から生まれるものという言葉が浮かんでくるが、また新たな環境へ所属することや帰属することによって変わっていく印象もあるため、改めて考えてみたい魅力的な問いを温めてみようと思う。

to be continue..



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