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看護師になるのが嫌だった

こんにちは、ありぃです。

タイトル通りなのですが、今となっては嘘の様です。

学生のころですが、「看護師になる」ことが嫌になったことがありました。
そこから色々と紆余曲折を経て、今に至ります。

「看護師になるのが嫌になった」のは実は私だけじゃないかもしれないな、って思ったので、このnoteを書きました。

私がどうして看護師を目指したのか、そこから看護師になるまでについて書いていきます。

それを乗り越えたから、今こうやって看護が好きだと言えてるんだと思う。
色んな嫌な事があっても、看護は好きなままなんだと思います。

あくまで私から見た「看護」であって、「看護」の全てではないこと、人によってはもっと良い「看護」があるかもしれないことを追記しておきます。

人と人の関わりなので、様々な見方や感じ方があること、ご容赦ください。

それから、学生時代はかなり不真面目でしたので、ご不快な思いをされる方がいましたら、申し訳ありません。


私が看護師を目指した理由

私が看護師になろうと思ったのは高校の時でした。
自分がよく病院にお世話になっていた(よく転んで骨折まがいのことが何度か)のもあり、医療職に就きたいと思っていました。
成績的に、とりあえず医師は無理という結論に至りました。笑

じゃあ、看護師かなぁって思ったんです。
そんな時、幼い頃に祖父が入院していた時のことを思い出しました。

祖父は頑固(孫には弱い)で、母の言うことも祖母の言うこともあまり聞かなかったんですが、看護師さんの言うことだけはちゃんと聞いてたんです。

「あの人はちゃんとしてるからな」

今は亡き祖父がそう言ったことをふと思い出しました。

後は単純に、当時救命病棟24時にはまっていて、看護師めっちゃカッコいいって思ったのもあります。笑

実際の看護師の仕事はあまりよくわかっていない状態でした。


看護師になることが嫌になった大学時代

なんとか大学に入学して学び始めたのは、「看護とは何か」ということでした。

歴史上の人物や看護理論だどうたら(ごめんなさい)で頭がチンプンカンプンかつ眠い、という授業だったのは覚えています。

そこで先生が「良い看護師は、患者さんの退院を早めることができる、悪い看護師は、そうじゃない」ということをおっしゃっていて、それだけが頭の隅に残っていました。

学内実習でしたのは、ベッドメイキングや体の拭き方、体の向きの変え方でした。

想像上ではもっと医療的なことをすると思っていましたが、1年生は医療処置についての実習はほとんどしません。

何のためにそれをするのか
それが医療とどう結びついていくのか。
ただ、体を拭いたり体の向きを変えたりするくらいなら、看護師って仕事ではなくてもいいんじゃないか

そんなことを思い始めていました。


部活で医学科に行く

私は当時色んなサークルや部活に入っていて、その中の一つにESS(英語クラブ)がありました。
近くの大学の医学科に行って(私の所は看護しかなかったので)、一緒に活動をさせてもらっていました。

そこで交わされる医学的な話に、とてもわくわくしたのを覚えています。

私はなぜ、看護師を目指したんだろう

2年目の秋くらいだったでしょうか。
そんな疑問が湧き上がってきました。

病院実習はしんどいけど、患者さんと話すのは楽しい。
でも、そこで出会う看護師さんや職場環境課いまいち魅力的には思えなかった。

当時ネットで「看護師」で検索すると「やりがいがある」「しんどい」「9K」が出てきたあとに、「だれでもできる」と書かれていました。

看護師の専門性ってなんだろう?
私が看護師になる意味ってなんだろう?


そんなことをずっと考えていました。


看護とは何か、に向き合ってみた

もやもやしたまま、3年生になりました。

そんな時、ESS部の大会でスピーチに出ることになったんです。

何を話したいか考えた時に、看護とは何か、どうすれば自分の将来の職業に誇りが持てるのか、というのを題材にしようと思いました。
医療系大学が集まる大会だったので、ほとんどの人は職業が決まっていたので。

1年生の時先生が「良い看護師は、患者さんの退院を早めることができる、悪い看護師は、そうじゃない」と言っていたのをふと思い出しました。

それはなぜなのか、考え始めました。

まだ看護師として働いたことはない。
実習で知れることは、ほんの少しでしかない。

本を読んだり、過去の授業を見直したりしました。

残念ながら私はものすごく不真面目な生徒で、授業は大概寝ていたので、あまり記憶には残っていなかったです。
ただ、看護観という、看護師としてのポリシーみたいなものが大切だと気づきました。

ナイチンゲールは「看護覚え書き」の中で、こう言っています。

看護が意味すべきことは,新鮮な空気,光,暖かさ,清潔さ,静かさの適切な活用,食物の適切な選択と供給――そのすべてを患者の生命力を少しでも犠牲にすることなく行うことである。

看護覚え書きは1859年に初版ですので、状況設定が現代と異なることもままありますが、自分が目指す看護を考えるにはとても良い本でした。

そして私が目指す看護として、

「患者さんの回復を妨げる要因を減らし、日常生活に戻れるよう介入していく」

と、目標を立てました。

様々な本や文献を読む中で、看護師の質が治療の効果や急変予防の役に立っているということも知れました。

看護って、すごいな

やっと、そう思うことができました。
目の前が開け、心が軽くなっていきました。

(余談ですが、スピーチは途中でど忘れして大事な所がすっぽ抜けてしまいました。本番弱いんです……)


実習で看護が楽しいと思える

この大会直後、長期病院実習が始まりました。

私の一番楽しみにしていた実習でした。
初めての外科の患者さんを1か月近く担当することになっていたからです。

この実習は、私の看護師人生の原点になったと言っても過言ではありません。

学生担当だった看護師さんがとても素敵な人で、素直にこの人みたいになりたいと思えました。

病棟自体も良い雰囲気で、学生を邪険にする看護師もほとんどいませんでした。

そして、患者さん。
私が外科の道に進もうと思えるきっかけをくれた方でした。

最初はぶっきらぼうで、気分によってお返事をくれなかったこともありました。
でも、手術が終わって、一緒に歩かなきゃいけなくて。
リハビリが嫌だという患者さんに、きちんと必要性を説明して、一緒に酸素の数値を見ながら歩いたり。
手術後の悩みに一緒に寄り添ったり。

患者さんが頑張って回復していく様子を、となりでずっと見ていました。

本当に濃い日々を一緒に過ごさせていただきました。

最後の日はあまり顔を見てくれなくて、ご家族に「最後なんだから、ちゃんとお話ししなきゃでしょ」なんて言われながら、挨拶をしてお別れしました。

実習の振り返りとして、とても良い介入ができていたと実習担当の先生から言われました。
自分が介入したことで患者さんが元気になっていくのを側でみれたという、とても良い経験をさせていただきました。

後日、先生が違う用事で病棟を訪れたそうで、「ありぃさんが来てないのがわかって患者さんがガッカリしていたよ」と聞いて、すごく嬉しかった。

もう一つの実習でも、患者さんに寄り添い支え、何が患者さんの治療の妨げになっているのかを考えるました。
やみくもに看護問題を探すのではなく、患者さん自身をしっかり見ることができたように思います。


卒業論文で、看護師のアイデンティティと向き合う

時は過ぎて、私は卒業論文に取り組んでいました。
ゼミの教授の指示で文献検討をすることになったんです。

その時の私の興味は、こんなに素晴らしいと言われる看護師を辞めてしまう人が多いのはなぜなのか、ということでした。

仕事が辛いだろうとは思っていました(実際は想像の上をいきましたが)。
でも、これだけのやりがいがあれば乗り越えていけると思っていたのです。
今考えれば、かなりの根性論ですが。

看護師の退職理由についての文献は少なかったですが、職業的アイデンティティと関連があるのではないかと仮説を立て、文献検討を行っていました。

文献を読んで気づいたことは、職業的アイデンティティと自己アイデンティティをうまく融合させ、看護師としてのやりがいを認識することが大切ということです。

自分とは何者なのか。
看護師である自分とはどういう人間なのか。

この二つを考えながら、看護師としてのポリシーである「看護観」をしっかり持つことがやりがいを生み、離職予防につながるだろうと気づきました。

その時、やはり「看護観」の確立が重要なんだと実感しました。

余談ですが、この論文、発表3週間前(卒論始めてから3か月以上経ってた)に突然教授から他のものに変えなさい、という圧迫面接されたりしたんですが、それはまた別の所で。
(今考えればアカデミックハラスメントだったな……。)


そんなわけで、看護師になった

ツイートもしましたが、1月結果の出る模試で「D判定」をたたき出しました。

模試の点数によって友達にケーキおごる約束だったんですが、看護師も保健師も最下位!!
本当は人数×2だったんですが、温情に寄り人数分(6個)のおごりになりました。
大学生でケーキ6個おごりは痛かった……(´・ω・`)

そんな感じだったので、そこから1か月引きこもって人生で一番勉強したんじゃないかと思うくらい勉強して、無事看護師&保健師の免許を取得しました。
(どっちも9割以上取りましたよ。どや顔)


看護師になってからも、私の行動の基本方針として、
「患者さんの回復を妨げる要因を減らし、日常生活に戻れるよう介入していく」
というのは残りました。

もちろん、経験や患者さんの状態によって少しずつ変わっていきます。
終末期の患者さんの場合は「安らかで穏やかな最期を迎えるために、早期に介入していく」でしたし。


大学の時、学生が看護観について考えるなんて早い、と言われたことがあります。

でも、学生の時にしっかり考えたからこそ、働くのが辛くても患者さんに適切な支援ができるよう勉強を頑張れました。

なにより自分のやりがいが明確になっていたからどんなに辛くても続けられたんだと思います。


私にとって、あまりにも看護は楽しすぎました
他のものを犠牲にしてでも、続けていたかった。
でも、辛すぎる場所で続けてしまって、逆に大好きなことができなくなってしまいました。。

看護観が明確になっているなら、自分がやりたいこともおのずと見えてきます。

あなたがやりたいことはなんですか?
その場所は、本当にあなたがやりたいことができる場所ですか?

その自問自答と一歩踏み出す勇気が、看護師生活を変えるのだと、今の私なら思います。


ここまで読んでいいただき、ありがとうございました。



Twitterでは、看護の事や、私が出版社で働きながらの気づきとか、ものすごくどうでもいいこととか呟いています。




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