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[ True History ] 象徴の威力 (偶像)


はじめに

 本件は前回の『象徴の威力(情動)』の続きとなります。前回は情動的象徴の古き歴史と、その象徴がどのように人の脳と心に影響を及ぼすかについて綴りました。その後、「情動的象徴」に「言語的象徴」と「計数的象徴」が加わり現代の象徴となるわけですが、情動的象徴から次へ進む前に、今現在、情動的象徴がどのように使用されているかについてを学びましょう。「言語的象徴」と「計数的象徴」については来週の記事で綴ります。

 本件は、なぜこのようになっているのかについてかなり深めに綴ります。では早速始めましょ〜!!


象徴と偶像の類似性

 前回の記事では、情動的象徴はその形で人間に情報を伝え、高次意識の変化をもたらし進化を促したことを述べました。

 高次意識には、社会を基盤とする個我の確立、過去と未来という時間軸における世界観の構築、直接的認知などが含まれる。シンボル的記憶がなければこれらの能力は発達し得ない。

 「情動的象徴」は、左脳で理解する言葉や数ではなく、象徴的な行為や物理的な象徴を通じ右脳へ直接的に働きかけます。これにより、人間は直接的な体験を通じて知識や洞察を獲得しました。前回の記事の例でいうなら、壁画の象徴を見て、獲物の追跡や狩りの仕方、部族内の役割・序列などの概念を構築し進化したという事です

 これらのシンボルは密かに見られるためのものであり、見たものに畏怖の念を起こさせ、なんらかの行動を促すものであった。

 その後、とある忙しい民族が「ちまちまと象形文字なんか書いてられるか!」ということで、複雑な象徴文字を簡素な22文字の象徴に改良し「言語的象徴」が誕生しました。その言語で綴られたものが聖書です。

 その本には「偶像を拝むな」と記され禁忌となっておりましたが、いつの間にか無かったことになり偶像崇拝へと繋がって行きます。きっと偶像の威力を知っていたのでしょうね〜。

 なぜなら、「偶像」というものは「情動的象徴」と類似性を持つから。

 まず、どちらも感情や感覚を揺らします
 情動的象徴は、その形で、見る者の心に様々な感情や感覚を呼び起こします。偶像も、その形や色、意味などから、見る人の心に崇敬や畏怖、愛情などの感情を呼び起こします。

 また、どちらも何かしらの信念や価値観を表現するものでもあります。
 情動的象徴は、その意味から、見る人の心にある種の信念や価値観を植え付けます。偶像も、その形は勿論のこと伝説的な歴史や物語で、見る人の心の中にある種の信念や価値観を植え付けます。

 さらに、どちらも人々の行動に影響を与えます
 情動的象徴は、人々の感情や感覚に働きかけ、人々に特定の行動や特定の思考で考えるよう促します。偶像も、人々の崇敬や畏怖の対象となり、人々に特定の行動や特定の思考を促します。

 例えば、特定の神像を見ただけで物語が浮かびますでしょ?古代の情動的象徴より偶像崇拝の方がタチが悪いのは、「偶像崇拝」は「情動的象徴」を「言語的象徴」で補完してあるため、より精緻に人間の心に影響を与えること。要するに、「情動的象徴」と「喜怒哀楽の詰まった物語」を組み合わせ、人の心に影響(規律・規範)を与えるのが「偶像」です。

 
情動的象徴を言語的象徴で包んだ偶像が超強力なことはずっと昔から知られており、以下の時代にはさらに高められ利用されました。以下の映画はおすすめですよ。演劇というものが当時の人の心をどれほど揺らしたか理解できます。

 演劇→ラジオ→映画→テレビ→スマホ、と現代に続いていることは言うまでもありませんね。街に一つあるか無いかの劇場が、現代では一人一台の劇場というわけです。その威力についても言わずもがな。子供まで一人一台の時代です。

 ここで過去記事のIQの定義を思い出してください。IQとは記憶し推理し判断する力です。

よろしいですか。

記憶が曲がれば推理も判断も曲がるのです。

ではこれらを踏まえ現代に視点をうつしましょう。



悪用

子供

 人という種は脳を大きくするという選択をした種。そのため、子宮内で脳が発達しきると産道を通れなくなってしまいますので、十月十日といえど生物学的には未熟児の状態で生まれます。分かりやすい比較例では、馬は生まれて間もなく立ちます。それだけ成長するまで母親の胎内にいられるという事。人間では頭が引っかかって産道を通れなくなってしまいます。ですから脳が未発達で小さい未熟児の状態で産みます。余談ですが、それでもギリギリですから、産道を通る時には螺旋を描いて生まれてきます。


 そのかわり、人間は見たもの聞いたものを模倣する能力に優れています。自分の置かれた環境に適応し学習し成長する能力。つまり先天的に記憶しているわけではなく、後天的に学習して成長する生き物です。(母親の子宮の中で自分が生まれ落ちる環境を先天的に学習しDNAのスイッチを入れているのですが、長くなるため別の機会に)

 ここで前回の記事の「情動的象徴の壁画」を思い出してください。初期のホモサピエンスは描かれた情景を左脳を介さず右脳だけで認識し模倣し進化しました。少々表現は悪いですが、子供というのは初期のホモサピエンスみたいなもの。言うなれば壁に描かれた情動的象徴で概念が構築されたホモサピエンスのように、目で見て概念を構築します子供の身近にあり学習するものは何ですか?「親」と「テレビ」です。後者が曲がっているのは当たり前ですが、現代においては前者もだいぶ曲がっておりますから、未来を担う子供たちも曲がって育ちます。

 言語を理解する年齢に達したなら、情動的象徴と言語的象徴のダブルパンチで子供の概念が構築されます。誰もが憧れるような情動的象徴と、それを補完する言語的象徴の物語で概念を構築されているということ。勧善懲悪の善悪二元論もこの時期で形成されますので、大人になってから出会ってしまう「天使と悪魔」のような二元論のお話もスルリと受け入れちゃうのです。

よろしいですか。

情動的象徴は言葉が話せなくったって機能します。
常識を取り払いよく考えてください。

なぜ道徳的な善悪でなく、
法律的な善悪の概念を持っているのでしょうか?

なぜ暴力的な人間が生まれるのでしょう?
人は生まれながらに暴力的なのでしょうか?
暴力はいけないと言いながら、
子供向け番組でやり方を教えているのはなぜでしょう?

なぜ心と体との性が一致しない人間が生まれるのでしょう?
男らしさ、女らしさという概念をどこで覚えるの?
理の根本である性的な対が自然に崩れると思います?
崩れないから無理やり推し進めていますのよ、LGBTを。

なぜ誰も教えないスクールカーストが生まれるのでしょう?
何を基準に他者の上下を決めるの?
その基準は誰が教えたの?

 楽しいから、可愛いからと見せている”それ”は現代の「情動的象徴」で、
ホモサピエンスが概念を構築したように、子供の概念を構築します。

子供だけじゃありませんよ?

 映画や漫画の登場人物の格好をするコスプレなんて、情動的象徴の偶像と、言語的象徴の物語に感化された典型。偶像の英語が「イドラ / アイドル」だということを忘れないでください。日本にアイドルを持ち込んだ男がどれだけ強い権力を保持していたかも忘れないで下さい。

 整形してアイドルになりたがるのも、ドーピングしてマッチョになりたがるのも、洞窟の壁画のように機能するテレビの情動的象徴にやられたから。

そう、子供のような頭の大人は情動的象徴にやられまくリングなの。


 それが異常なのは火を見るより明らかね。それでも彼ら彼女らは、自分の信じる”まともな概念”に則り、命を削って真剣にこれ↑をやっているのです。

情動的象徴と言語的象徴を組み合わせた洗脳方法は強力でしょ?
自然を曲げてしまうのだから

 一応言っておきますけど、人間は子宮内で心臓から形作られ、心臓からの比例で全体が構築されます。体全体が黄金比で構築されていることはご存知の通り。ですから、個人差はあれど全体のバランスはすでに整っています。見た目がどうこうってのは現代特有の価値観であり不自然な価値観。ですからそれに合わせたら見た目も不自然になります。それを自然だと思い込んでいるのは現代の価値観が刷り込まれているから。

この団体のラウンドガールを見た時は衝撃でした。みんな同じ顔をしてますから。
いくら整っていようと”不自然”であり"不気味"です。

 わたくしは毎日黄金比と格闘しておりますので、何でもパッとみてバランスが分かります。故にどれほど綺麗に整っていようと、パッとみて「不自然」とすぐに分かります。何でも自然が一番だということをお忘れなく。

『Divine Ratio』より



広告とエロ

大人には性衝動に訴えかける広告

 広告にエロを混ぜ込む意味は、エロを流行らせることが目的ではございません。もう十二分にソドムとゴモラですから必要ありません。広告にエロが混ぜ込まれる理由は、古代の象徴が右脳経由で威力を発揮する理屈と、最も古く強力な衝動が性衝動であると知っている者が、広告と性衝動を結びつけ人の心を惹き商売に利用しているため。左脳で論理的に理解するのはキャラクターや商品で、右脳で理解するのは性的なもの。自分は論理的な部分で惹かれていると思い込んでおりますが、その衝動は、いにしえからの強力な衝動である性衝動を突き動かされているだけです。

 そして、それはシンプルであればある程に強力です。チラ見でも認識でき、一度記憶したなら容易に連想できるから。前記事の「古代の女神の模様」と「GSRテスト」を思い出して下さい。簡素でしたけど現代においても物理的に人の心に影響を与えてましたでしょ


 これらがどのように作用するのかと申しますと、「ハンバーガー食べたいな」「スポーツウェアが欲しいな」「車が欲しいな」と、何か欲求が思い浮かんだら、特定の企業のロゴが思い浮かぶよう作用します

繰り返し

 そしてそう言うものは「繰り返し」与えられます。なぜなら人間はものすごく忘れやすい生き物だから。以下の記事の「忘却曲線」を思い出してください。そして「どうすれば忘れない」のかも思い出してください。


覚えた後に繰り返し学習することで記憶に定着するのですよね?

 ↑このゴミって、番組と番組の間に”15秒の繰り返し”で刷り込んできますでしょ?これは今に始まった事ではなく、繰り返しというものは洗脳の基本として昔っから有名です。ただ、拷問みたいなものですから普通の人間は嫌いますので以下のようにして与えるもの。

「時計仕掛けのオレンジ」より

でも現代は以下のように大衆が自ら喜び受け入れます。

わたくしの視点ですと、↑これと↓これは一緒ですよ。

世代間伝達で”当たり前”との常識が形成されます。
例えば、家が聖教新聞や赤旗をとっていたら”それ”が社会の全てと思い込んでしまうのと一緒。
子供にテレビを見せると言うことは、聖教新聞や赤旗を読ませているのと同じこと。
特定の思想を植え付けられていると考えて下さい。


Cyberpunk 2077

 さらに別角度から考えてみましょう。以前、わたくしの小説『Lost Memory 3022』の紹介ツイートに「ゲームのCyberpunkみたいだ」とのコメントを頂きましたので早速チェックしてみましたら、色々と面白かったのでご紹介します。

ボディーガードの広告

 このゲーム内の広告がとても面白く、まるで現代のよう。でも気づいていない人には近未来のお話に見えるのでしょうね〜。

飲み物のCM

 ここでちょっとゲーム内でのワンシーンをご紹介します。その後に我々の住む現実の広告をご覧いただきます。ではまずゲーム内の会話から。

Aさん「なんで商品と全然関係ない演出ばかりなんだよ、全く」

Cさん「いいじゃね〜か。広告ってのはそういうもんだろ?」

Bさん「あなたみたいな層には効果覿面だからよ」

Cさん「俺はそんな広告になんか引っかからないぜ!」

Bさん「そんなこと言ってても無駄よ。すでに脳に刷り込まれているから」

ではゲームの広告を踏まえ、我々の住む現実の広告を見てみましょう。

ナニを持っているように見える?
    ナニを口に入れようとしてる?
ナニをしている様子?
ナニを持っているの?
尻に見える踵
M字開脚とPC画面の男性器のようなビン。まるで男性視点の正常位。
商品よりおっぱい

どっちがゲームの世界なのでしょう?

 そしてここで思い出してください。[ Decode : Art ]シリーズで記した正しい絵画の描き方を。本来なら商品のCMですから商品に注意が向くようにパスを構築します。しかしながら現代のCMはどうです?エロに注意が向くようになっており、ついでで商品でしょ?

パスなどとる必要もないほど、、、
どちらが現実でどちらがゲームだか、、、

 「これらは海外の話であり日本ではそんなことない!」って思います?
ではこれはどうでしょう?あまりに常識に食い込んでいますので、みなさんおかしいと思えなくなっているのです。以下はお尻丸出し少女のセックスアピールで商品を売る「ゲーム内のニコーラ」の広告と、みなさんがまともな広告だと思い込んでいる「現実のビール」の広告です。

 [ Decode : Art ] シリーズでお伝えした「視点誘導」を考慮して考えてください。どちらに重点を置いているのか理解できますか?なぜに商品より水着の女性が中心なのですか?

 さらに言えば、なぜ「漫画雑誌」なのに「水着姿の女性」がトップなのですか?なぜ思春期を迎えた年齢の子供が読む漫画雑誌の表紙は漫画のキャラではなく水着の女性なのでしょう?

 また、「水着」と「下着」の差ってなんでしょう?わたくしの感覚ですと、「下着姿」というものは肌の露出面積が多いため人に見せるのが恥ずかしいものです。しかしそれを「水着姿」と置き換えますと、肌の露出面積は同じなのに「恥ずかしくない」となります。不思議な話です。

 このような事を現実世界で言いますと「あなたがおかしい」と言われます。「皆がやっていること」「皆が思っていること」と違うから「わたくしがおかしい」との論理です。でもあなたは知っておりますですでしょ?

皆がやっているからと言って流されると大変なことになると。

よろしいですか?

箱庭ゲームの中の世界も現実世界も大差ありませんのよ。

だって我々の住む現実世界も箱庭なのだから。

ゲームの主人公が、
自分は箱庭ゲームの主人公で
誰かにコントローラーで動かされていると
気付けぬのと同じこと。

物語の登場人物が、物語の綴り手の姿が見えぬのと同じこと。

我々に出来ることは多くを知ることで、
綴り手がどのように綴ってきたか、
またどのように綴ってゆくのかを読むことのみ。

そして未来を読んだうえで、どのように行動するかが鍵。


まとめ

 久々に言いますが、我々の住む現実は、現実的ではないほどに古き象徴を利用され動かされています。そのやられっぷりに気がつけば、現実の箱庭っぷりにも気づくはず。

自分を動かすコントローラは自分でしっかりで握りましょう。

 今日では我々人類は新しい言語的シンボルに注意を向けている。なぜならそれは言語によって我々の心に語りかけるからである。古いシンボルの働きはそれとは異なり、より精妙で秘密裡に働く。だから我々はたとえ心で感じ取っても、なぜそういう情動が引き起こされるのか、言葉で説明ができないのである。

Robert Lomas

 だからこそ神秘って呼ばれるし、悪用すれば魔法となる。わたくしのやっていることを魔女と定義しながら、そう定義している方が悪用している現実。ですから象徴主義を学ぶ必要があるのです。

 人類が「象徴主義の言葉」を読むことを学ぶとき、人々の目から大きなヴェールが落ちるでしょう

マンリー・P・ホール

 魔法ってのは仕組みを知り行動に移さなければ脱出できませんからね。
お気をつけくださいまし
知ることの大切さを忘れないでください。

 ではでは本件はこれにて締めとさせて頂きます。あなた様の心にわたくしの真の魔法が届きましたなら引き続きお付き合いをお願いいたします。

 本件の内容が理解出来ないようでしたら、まずは以下の記事をご覧ください。「月に意思があったなら」。もしかしたらあなたは「月」と同じ思い込みをしているかもしれませんので。


お知らせ

 来週は先週の『象徴の威力(情動)』に次ぐ記事で『象徴の威力(計数・言語)』です!情動的象徴で綴ったように、計数・言語の歴史を綴ります。どうぞお楽しみに〜♪


新刊:『Divine Ratio Re:Decode』

本:『As above So below』

アパレル&小物:Cavalier Camp

動画:Channel 113
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