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アーモンドチョコレイト

老化防止のためなのか、記憶力保持のためなのか。はたまた単に味が好みなだけかもしれないが、母は決まった数のアーモンドを食べることを日課にしている。 
そしてそれを横から一粒つまむのが私の日課だった。

「決まった数取ってきてるから取らないで」
という母の至極真っ当な抵抗に対し
「私が1粒取るのがわかってるんだから予め1粒多く用意してくれればよいではないか。」
と横暴な台詞を吐いていた私は、入社前のゆるやかなニート生活を楽しんでいただけだから、大した武勲もないくせに、その実、信長より暴君であった。

私は今一人暮らしの部屋で走馬灯のように実家での毎日のそのやり取りを思い出している。
なぜ急にそんなことを思い出したのか。
死にそうな目にあったから?
いや違う。
目の前に母の置き土産、大袋に入ったアーモンドチョコレートを目にしているからだ。

というか、特に私を生へ導くとも思えない思い出を走馬灯だと思う自分を嗤った。私はそんなに生きていたくないのだろうか。

今日は、記念「すべき」入社式なのに?

その入社式で私はぼろぼろと泣いていた。
「入社式の日に」泣いていた、のではない。
入社式が敢行されているまさにその時その場所で、マスクの中が塩辛くなるくらいに泣いた。
社長のありがたいお話は右耳からも左耳からも脳に入ってきたが、とりあえず、涙は止まらなかった。

だいたい私は昨日両親と新天地に赴いたときから、バレないようにひっそりと、しかししっかりと泣いていたのだから
その次の日に泣いていたのも別に特筆すべきことではないのかもしれない。



なんで私ここにいるんだっけ。 
なんでこの会社選んだんだっけ。
なんでわざわざ独りになる選択をして就職活動に句点をつけたんだっけ。
え、今日から1人?独り?ひとり?

朝見送ってくれた両親は、もう実家に帰っている。
母の最後の弁当を食しながらも、泣きに泣いた。
不思議と味はよくわかる。涙の味ではなくきちんと素材と実家の味がした。

どうしても憧れの職種を目指したくて、
両親や周囲の穏やかな反対を振り切って新天地へ来た私は、不安も寂しさも、ましてや泣いていることを誰にも知られたくないという妙なプライドを持ち合わせており
それが理由で、朝から見送ってくれた両親の顔もまともに見ずに玄関を閉めた。すでに泣いていたからだ。


そうして、今同じ玄関を通った先の暗い部屋で1人泣きじゃくっている。
『電気つけろよ』という声がする。
どこから?内側から。
アーモンドチョコレートの大袋を握りしめている。『食べろよ』という声がする。
どこから?内側から。
この先私はこの内なるツッコミの声とのみ会話していくのだろうか。
『いい加減泣き止めよ、明日も出社するんだぞ。』
内なる声は、「ツッコミ」の名を冠したからか、もう徹底的に私の味方にはなってくれない。
ただ確かに、泣いていても夜が明けるのは事実で、泣き止むために頭を空っぽにすべく、別のことを考えることにした。

無になれる手っ取り早いもの。
円周率?
記憶の限界の8桁で泣きやめるとも思えない。
お経?
同じく7文字では無理だ。

しょうがないので、せっかくなので、
手にした物の名前を頭の中で唱えることにした。

アーモンドチョコレイト。 
アーモンドチョコレイト。
アーモンドチョコレイト。
 
普段は「チョコレイト」なんて言わないけれど。
今はチョコレート、だと
レートの伸ばし棒の部分で気が緩んでもっと泣いてしまう予感がして。
レイト、と思うときは、実際と同じく歯を食いしばれる気がして。

アーモンドチョコレイト。 
泣くな。
アーモンドチョコレイト。
泣くな。
アーモンドチョコレイト。
泣くな。


『アーモンドの伸ばし棒はどうするんだよ。』
うるさい。

アーモンドチョコレイト。
アーモンドチョコレイト。
アーモンドチョコレイト。
泣くな泣くな泣くな。

ささやかな抵抗むなしく、涙はとめどなく溢れ、大袋は雨の日に買ってもこんなにならないだろというくらいに濡れていた。 
人間の水分には限界がないのかもしれない。 


自分で選んだ部屋に、自分で選んだ机、イス、冷蔵庫、洗濯機、大好きな色や形をたくさん散りばめて、自由溢れる空間を作ったはずなのに。
 

両親が建てた私の意見の一切入っていない実家を思ってさらに泣きながら
もし今実家に帰っていいなら
この「好き」で溢れるはずだった空間を誰かにあげてもいい、とすら思った。
『誰もいらないだろ』
イスも机も全部あげるから私を帰して。
選んだ責任なんて。
自分で選んだ道だから我慢しろなんて。
そんな声クソくらえだ。
内なるツッコミを牽制していく。

ほんとはわかってた。
内なるツッコミなんてなくたって。
どんなに泣いても粘っても駄々をこねてもやってくる明日は、会社に行かなければならない日で。
会社を嫌と思おうが
1人暮らしを嫌と思おうが
とりあえずは起きて行かなければならなくて。
そのためには、泣き止む泣き止まないに関わらず
風呂、食事、睡眠などの日常をこなしていかねばならない。 
明日の自分に怨まれるのは勘弁だ。

『泣き止もう。そのほうがお風呂も入りやすいしご飯も食べやすいだろ。』
内なる声がちょっとだけ優しくなる。
『ほら、そのチョコレイトでも食べてさ。とりあえず腹満たせよ。』

内なる声は私に寄せて「レイト」と言ってくれた。(まあ私なのだから当然ではある。)

大袋を開けたときにチラリと見えた品名は、「チョコ『レート』菓子」で、現実はそんなにご都合主義にはできていないんだと思うと少し笑えた。


ホームシック。
故郷や家庭を懐かしみ、異常に恋しがる気持ち。(goo国語辞書より)

それは茶色くて、甘くて、母から何度も横取りしてきた小さなアーモンドの味とともに、それはそれは大きく大きくやってきた。


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