木を見て森を見て木を見る

また唐突に。

ここ1、2年考えてはいるけれど文章にもせずもんもんとし実践できていなかったことを適当に文章に。さしあたり、さしあたり

自分の性分として、猛烈になにかに向き合うとじっーーと部分的なところの理解にこだわってしまい時間がかかる。そして、飽き初めて全体量を俯瞰しようとすると途方もない時間や集中などのエネルギーが必要なとこに気付かされる(見当違いかもしれない)。
そんなこんなで飽きが加速してしまい身になる前にほっぽりだすことが多々ある。(というか全体像を明確にすることが苦手

大学受験だったり、会計学だったり、会社法だったり、プログラミングだったりと並べ始めたらキリがない。が、キリがないほどに軽い挫折を重ねてきた。

そんな経験の中で、短いスパンで木を見て森を見て木を見ること。それが身になるため、モチベーションを維持するために必要なことなのだろう、と思えるようにはなった。なって、2年ちょい。なるだけ、なるだけだから今もこんなざまなのだが。

そんなこんなでそのことに対して実践したり、やめたりしたことをこじつけっぽくも羅列してみると

スケジュール帳をとりあえず毎日書くようにしている。書く内容はわかっている予定だったり、終わったことだったりなどスケジュールなのか日記なのかわからないがとりあえず5ヶ月ほどは最低限続けている。

メモをとりながら本を読む。メモの媒体はA5用紙だったり螺旋付きノートだったり、螺旋なしノートだったりと工夫(飽き)してはいる。あんまり効果がないような、効果が出るほど一つのことに打ち込めてない。人に発表するようなこと、評価されるようなことがないとあんまりですね。

とりあえずググる。読んでいる本だったり知りたいことの周辺の知識について、予測変換で出てくるワードなどを絡めてググります。ネットの情報の多さに疲弊感を感じながらも少しずつ外堀を埋めるイメージ。ブラウザじゃなくてユーチューブを開いたら負けね。

何回も読む、調べる。高校生の頃までは泥臭い勉強ができていたが、年を取るごとに何らかの言い訳を付与しながらできなくなってきた。真摯に取り組めない自分を認めつつも、何回も読む。文言を覚える、言い回しを覚えるまで読むことに憧れを感じつつ忍耐の続く限り読む。

言い訳しがち。
方法論なんて無限にあって実践できないほどには知ってたりするが、実践しなきゃ方法の意味ないよね。って諦めに近い反省を毎日してます。

寝るわ

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