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“愛するものを手放しなさい。”by バレンタイン ・デ ・ス ーザ

26日、夫婦で富士山登山をしていた20代のロシア人女性が、山頂付近で落石に当たり亡くなられた。
https://twitter.com/i/events/1165818448611381248

このロシア人夫妻と、ちょうど同じ日、同じ時間帯に知り合いの親子が富士登山に行っていた。知り合いの親子は、8合目に辿り着いたものの、寒さのため、そこから下山したそうだ。
下山していなかったら、もしかしたら落石にあったのは、知り合いの親子だったかも知れない。あまり考えたくないことだが、想像してしまいゾッとする。
知り合いと言うだけでもそうだもの、亡くなられた方のご主人の悲しみは幾ばくのものか…ご冥福をお祈りしたい。

人間の運命と言うのは、本当に紙一重で、分からないものだと、改めて思い知った。
こうしたからダメだった、ああしたから良かっただなんてことは、後からしか言えない。

だったら、今、自分が本当に好きなことややりたいことが出来たら、人に何を言われようと、あきらめてはいけない、と言うか、

そんなに好きなことだったら、どうせあきらめられないから、あきらめることをあきらめた方が良い。(…野田秀樹戯曲の言葉遊びみたいな文章になってしまっている…。)

人の気持ち、ましてや信念とも言える程の好きなことを、他人が変えられるわけはないのだ。

しかし愚かにも、(そう言うものほど)他人はとやかく言いたがる。

それは何故か。

しいたけ.さんのコラムを読んでいたら、答えが思い浮かんだ。

要するに、人にやかく言いたい他人は、価値観が変わってしまい、関係性を卒業されるのを引き止めたいだけなのだ。とやかく言うことで、相手に自分を繋ぎとめたいだけだ。

はっきり言ってしまえば、それはエゴだ。
誰も、どんな関係性の人であったとしても、他人を自分に繫ぎ止める権利はない。どう生きるか、何をして生きるかは、個人の“自由”だ。

山田ズーニー先生が『大人の小論文教室』(https://booklog.jp/item/1/4309411436)の中で、こんな一節を引用されていた。

「独占欲から出た愛はエゴイズムです 。これは愛とはいえません 。愛するものを手放しなさい 。もし 、その人が戻ってこなければ 、初めからあなたのものではなかったのです 。しかし 、戻ってくれば初めからあなたのものだったのです 。 」 (バレンタイン ・デ ・ス ーザ 『そよ風のように生きる 』女子パウロ会より引用 )

相手の価値観が変わって、それを受け入れるつもりもないのに、手を繋いだままでいても、自由を侵害することにしかならない。

私は自由でいたい。次の場所や、次の人間関係に行きたい時には行く。
そうしなければ、私は私を殺してしまうから。

私は自由を絶対にあきらめられない。
そのことで悲しかったり寂しかったりして、自分一人になったとしても。
自分を生かすために。

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ありがとうございます。
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あさひ*🗻

北関東に位置する標高約162cmの人間。自然、観劇、読書、歌うこと、愛犬、映画、文具探求、博物展・美術展で心のエナジーチャージ。アイコン画いつかさん( @itukaki )ヒト・モノ・コトに触れ、感じたことを、思いついたままに書きます。
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