ギャンブル依存のセミナーに行って感じたこと
先日、精神保健福祉士の高澤和彦先生のセミナーに参加してきた。
この日のテーマである“依存の「本質」と「背景」について”で対象にされているギャンブルやネットゲーム問題を抱えている利用者と、普段関わることはないけど、わたし自身の生き方や、目の前の利用者との接し方にすごく参考になったので感想を書きたいと思った。
依存を病気と捉えない
PSWは、身を置く場所によって全く違う価値観に晒される。病院であれば、とにかく医療が優先されがち。でも、自分の立場からするとこれでいいのかなって思いはあった。医者の言うことは絶対で、自分に全く自信もないので言うこと聞いてるだけになっていた。本人に対する自分の意見なんてなかった。
医療からすると、本人の病的な部分に焦点を当てて、そこへ治療という働きかけをする。それとは対象的に、PSWの持つべき視点は同じ生活者として本人と一緒に考え、生きづらさに寄り添うこと。併走する事。
医療が出来ることもたくさんあるけど、やっぱり病院より自分の家とか住み慣れた街とかで買い物して美味しいご飯食べて自分以外の誰かと話したり好き勝手に好きなことして過ごしたり、当たり前に日々生活していくことも後回しにされるべきではない。
例えば、ギャンブルで言えばリスクの少ない遊び方を学んだり、娯楽を提供する側もハマりすぎないような対策を取りより問題が少なく楽しめるよう配慮をしたりと工夫をするなど。
人間なのだから、画一的であるはずない。個々で関わることが重要。
実際に、ケースを進めていると本当に周りが見えなくなってしまうことが多い。
問題行動を「やめる」という課題設定は難しい。楽しいことを「やる」ようになれば自然に問題行動は減る
困っていることに対して、そのままサービスを貼り付けて埋めればいいと思っていた。そもそも、のところから考えられてなかった。本人をサービスやプログラムに当てはめるのではなくて本人を中心に考えるとどこに繋げれば本人が幸せなのかを起点にしなきゃいけなかった。
ひとりひとり、違う人間なのだから同じ病気でも症状や程度は様々。その人が何に困ってるのか。どこでつまづき、生きづらくなっているのか。
これ、自分だけじゃなかなか気づくことができないし考えを深められない。一緒に考えてくれる人がいたら、オリジナルの支援が生まれる。枠に当てはめてないから、生活に落とし込んで日々、生かしていける。
表面に見えているものでとらえない
地域で暮らす人にとってPSWが中心となって支援を行う重要性。
医療や専門機関に繋げばいいだけではなく、個々の強みや弱みを理解してもともとある力の活用、なければ工夫する!という
生活を共につくること
これこそがPSWがやるべきことなんだと。
これを聞いた時、利用者と一緒に生活を作っていくなんて、なんて素敵な行為なんだろうと思った。人間の営みだから。
人生何度つまづいてもやり直せばいいし、その過程を目の前の人と共有したい。
思い込みを払拭する
支援する側が思考停止して固定観念にとらわれていることが多い。わたしがそうなんだけど…
ここで引用されていたのは、
・起きている問題はギャンブルが原因
・ギャンブルやゲームはとにかく有害
・やめさせなければいけないもの
などの決めつけ。表面化している問題をとりあえず強制的にやめても、解決にならないんだな。まず環境を整え、無理のない課題設定をする。自分も、高ずぎる目標は、いつのまにかできなくなって流れてしまう。小さく始めること、続けていけること、楽しいことがすごく大切。
問題をゼロにするのではなくて、より少なく、より良い方向へゆっくりでも向かっていければいいのではないかと思う。
誰しもが、尊い人間だから、その人なりの生活を自分で構築していく権利があるよね。
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