【読書感想】フランツ・カフカ『変身』と『絶望名言』と『名著の話 僕とカフカのひきこもり』

何気なく生きていても、ほんの一瞬なら奇跡と勘違いしてしまいそうな偶然に出会うことがあります。
最近、そのような偶然に出会ったのですが、その結果フランツ・カフカの『変身』を2周してしまう機会がありました。

『変身』について軽く紹介


チェコ生まれでドイツ語を話すフランツ・カフカさんが書いた50p程度の短編小説です。

主人公のグレゴール・ザムザが朝起きると「あれ?なんか知らんうちにワイの体が虫になってるやんけ!?」とびっくりするところから始まります。
カフカの変身自体はとてもとてもとても…有名な作品なので色んな人が色んな分析・感想を発信しています。
『変身』自体も青空文庫で公開されています。仕事の休憩中に読み進めてたら、帰るまでに読み終われるレベルの分量かも。

『変身』=リアリズム小説


『変身』はぶっ飛んだ設定から物語が始まるので不条理小説の代表作というイメージがあります。
しかし、読む人の状況次第では『変身』が非現実小説ではなくリアリティに満ちた内容に映る方もたくさんいらっしゃいます。

最近、その『変身』をリアルなドキュメンタリーとして読み解いたお二方の著書を立て続けに手に取る機会がありました。

1冊は頭木弘樹さん著書の『絶望名言』
もう1冊は伊集院光さんの『名著の話 僕とカフカの引きこもり』

このお二方はどちらもカフカの『変身』がリアルな体験として読めるご経験を持っている点で共通しています。
頭木さんはご病気で、伊集院さんは学生時代の引きこもり生活(深夜風にいうとスクールエスケイプ)の経験から。
虫になったグレゴール・ザムザをそれぞれの身に引き寄せた読み解きがどちらも胸を詰まらせつつ共鳴していく体験を味わえます。

「これはどちらも続けて読むべき!」とか盛り上がったおかげで『名著の話 僕とカフカの引きこもり』→『変身』→『絶望名言』→『変身』と、『変身』を2周することになってしまいました。

『絶望名言』


ここで少し、絶望名言とは何か簡単に説明しておきます。

絶望名言とは、前向きなことがまぶしくてそのエネルギーについていく気力もないときに寄り添ってくれる人生のドン底のときのことばです。
ラジオ深夜便で古今東西の著名人が残した絶望名言を取り上げる人気コーナーがあり、今回はそこから派生した番組本を読む機会がありました。
カフカの他にはドストエフスキー・ゲーテ・太宰治・芥川龍之介・シェイクスピアが残した言葉が取り上げられています。

※『絶望名言2』では中島敦・ベートーヴェン・古今亭志ん生・向田邦子・川端康成・遠藤周作・ゴッホの名言が取り上げられています。
ベートーヴェン…( ノД`)あんたホンマにがんばって生き抜いたやで…

『絶望名言』の装丁・ページ構成担当者さん天才説


まず、この本の装丁やページ構成を考えた人がすごい。

表紙をめくると薄い透け感のある材質の紙を使用した中表紙が登場。
この中表紙の4隅にこの本で取り上げているカフカ・ドストエフスキー・芥川・シェイクスピアの絶望名言がアシンメトリーに配置されています。
名言が縁取る中表紙の向こう側にある中心には「絶望名言」の4文字。

まるでロダン作の地獄の門のような絶望感があるスタートです。
もしかしたらあぶり出しで「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」とか書かれている気もしてきました。
でも最近の自分のポンコツぶりを考えると、うっかり本ごと焦がしてしまいそうなので絶対やりません。
トップを飾る第一の絶望名言が次のフランツ・カフカのことばです。

ぼくは人生に必要な能力を、
なにひとつ備えておらず、
ただ人間的な弱みしか持っていない
(改ページ)
無能、あらゆる点で、しかも完璧に。

『絶望名言』第1回放送 絶望名言 カフカ 1『変身』は迫真のドキュメンタリー(p23~24)

正直、このページ構成に震えました。
「人生に必要な能力を、なにひとつ備えて」いない「ただ人間的な弱みしか持っていない」とネガティブを極めたところで、ページをめくると「無能」という2文字によるとどめを刺されます。

この流れるような引用がこの本を読み進めるかどうか、いまだ迷っている状態の心を一気に「読む」選択肢に向かって加速させてくれました。

読み進めていく中で感じた徒然 虫になってしまった“不平等”


本文中でも触れられていますが、絶望名言は「あの人よりマシ」「もっと大変な人がいる」と自分を慰める言葉ではありません。

グレゴール・ザムザのように突然虫になってしまった、突然の病、外に出られなくなってしまったことは不平等な事態です。
そんなときに「あの人よりマシ」「もっと大変な人がいる」という思考、自分よりも下を見つけて自分を慰める行為はその甘美さゆえに陥りやすいものでもあります。
もしかしたら昆虫ゼリーレベルの甘ったるさかも。
このとても甘美な慰めは、名誉ある人・経済力のある人・地位のある人など、自分にとっては“上のレベルの人”であるほど抗いがたいものです。

例えば週刊誌に不祥事をすっぱ抜かれた芸能人の方とかどっかの社長さんとか…
炎上している人を見るたびにこの甘美さが後ろに透けて見えるような…

『名著の話 僕とカフカのひきこもり』徒然 「今、いろんな伏線が全部回収されることが気持ちいい」


『名著の話 僕とカフカのひきこもり』の方からも気になった記載を1つ紹介します。

最近の傾向として、モヤモヤしたままが許せない、正解ばかりを求めてモヤモヤが許せない傾向が強まっているのでは?という指摘です。
先ほどの『絶望名言』とリンクさせて考えると、ネット上の誹謗中傷という現象の背景には正解探しの風潮が強すぎて攻撃性をともなっている場合もあるんじゃないかなぁとぼんやり考えたり。

虫になることは否定されない


『絶望名言』と『名著の話 僕とカフカのひきこもり』を通してカフカの変身を読み直してみたとき改めて気づいたのが、頭木さんも伊集院さんも虫になってしまう状態を否定していないということです。

人それぞれの強さや事情によってゆっくりではあるものの虫から人間に戻る人もいるし、虫でい続ける人もいます。
この2人が著書で語る変身では虫でい続けること、カフカ流にいえば「倒れたままでいること」を決して否定せず、受け入れてくれている安心感は、ちょっと救われるものでした。

将来にむかって歩くことは、
ぼくにはできません。将来にむかって
つまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、
倒れたままでいることです。

『絶望名言』第1回放送 絶望名言 カフカ 5半分倒れたまま生きる(p45)


変身を非現実的な小説ではなく不条理なドキュメンタリー文学として読んでいく2冊は虫である私にとって、とてもほっとできる、世界観が広がっていました。
読んでる途中にテンションが盛り上がりすぎて100de名著のカフカ回を見返そうとブルーレイ引っ張り出してみたら#4に頭木さんご主演されてるやんけ…ワイはなんで気づかんかったんや…

リアルタイムで見ていたはずなのに失念してしまっていたことについて申し訳ないと思いつつ確認してみたら、さらに大変残念なことが。100de名著カフカ回の第4回だけなぜか「世界ふしぎ発見! 昆虫王国コスタリカ 虫をめぐる大冒険」で上書きされてしまっていました…
我ながら人生のツメが甘い…ていうかどっちにしろ昆虫やないか…

考えようによっては怖い益虫ルート


ここでふと気になったことが1つ。
虫になってしまった人には、役に立たない虫のままでいることor自分のペースで人に戻ること以外に『変身』では描かれていないもう1つのルートがある気がします。

それは、虫のまま“益虫”になるルートです。

私たちの身の回りにある虫でも環境によって益虫にもなれば害虫にもなることは珍しくありません。
例えば、日本の固有種であるオオスズメバチは農作物を傷める害虫や外来種のほかのスズメバチの捕食者になることもあり、生態系維持の重要な役割を担っている益虫です。
とりあえず、はちのこ食べてみたい。

でも、最近オオスズメバチさんが進出したアメリカでは現地の養蜂家が飼育しているみつばちを脅かす害虫として駆除の対象となっています。
セイヨウミツバチちゃんたちって対オオスズメバチの熱殺蜂球作れないから抵抗する術がないんですよね…

また、虫ではないのですが某池の水を抜く番組でやたら煽られてるワニガメさんはアメリカじゃ絶滅危惧種だし。
役に立つか立たないかの判断基準は環境も判断基準の1つになっているのではないでしょうか。

つまり、現在虫の状態でどん底から抜け出せないとしても、社会のコミュニティに交われなくて疎外感を感じていたとしても、環境が変われば虫のまま益虫という扱いになることがあります。
事実『砂の女』に登場する砂の穴の底に住む女は、ときに捕食昆虫のように仁木順平を捕らえ、獰猛なニワハンミョウがメタファー的に登場する存在として描かれていますし。
もはや益虫どころの話じゃねえ…
そういえば昆虫すごいぜ!のハンミョウ回も録り逃しちゃってたわ。もうしばらく見れんのかなぁ。残念。

さらに2020~2021年にかけては全世界が強制「虫」化させられました。
頭木さん・伊集院さんのように、変身が非現実小説などではなくリアルなドキュメンタリーとなってしまった人が特にたくさんいらっしゃったタイミングだったと思います。

幸か不幸か自分とは関係ない虫かごの中の話としての認識でいられている人もたくさんいらっしゃいますが。

そう考えると、カフカの変身は虫になってしまった人=なんらかの理由で社会からドロップアウトしてしまった人、社会の“1軍”でいられない人を現実として認識できるかどうかの試金石でもあるかもしれません。

願わくば、世の中が虫でいることに寛容な世界でありますように。
自分が自分でいるために虫となって倒れたままでいることを選択したのにもかかわらず、それを逆手にとって強制的に益虫にさせられるような世界でありませんように。

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