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『雨と花束』             あの夜を思い出す雨の日の朝①

『雨と花束』の感想です。

京都で開催されている、
泊まれる演劇の上演『雨と花束』を
体験してきました。
心のままに書いてしまったので、文体がバラバラです。ごめんなさい。
(どんな体験をしたかは、別のお話
「あの日、花が降る夜の話」でお話ししてます)

まず、本当に良かったです。
ホテルって劇場になるんだ。
チェックインからすでにコンシェルジュの方の衣装がステキ。貰った花の名前は、ずっとあこかれていた名前だったのもあって余計嬉しかったです。

そして、お部屋もステキすぎ。
レコードプレーヤーがあって、思わずレコードをかけていました。部屋がすでに楽しくて、ワクワクしながら部屋で待ってた。けど、もっとロビーに出ていれば良かった!とも思います。
シオンさんがドレスアップを褒めてくれた。けど、私はシオンさんの衣装もめちゃんこ好きでした。細部のこだわりがすごかったです。
若かりし雫のエメラルド色の衣装も好きでした。

実際に物語の人物と話せること、彼らと同じ空間にいること、というか同じ世界線にいることがおもしろかった。もっといろいろ回ってみたかったな。
シオンさんともスイレンさんともお話してみたかった。
なんか別のゲストの人たちが、すごい色々話してくれて(それこそ、この短時間で聞き出してきた情報じゃないですよね?みたいな、あれも何か仕掛けがあったんだろうか)、えっ、ネタバレ?と思って結構情報をシャットアウトしてしまったんだけど、旅人との話も、実は物語の一部なんだと後から気付かされた。

たぶんあれだけ多くの人の話を一度に聞きにいけないし、RPGと違って、同じ人が同じ場所で同じ話を必ずしてるとは限らない。
その人との会話の中で聞いたこと、話したことを、他の旅人と話し合うことで、物語がの細部が彩られたり、噛み合っていったりして、やっと一つの物語になる気がした。

そして、そもそも物語は一つじゃない。
あの場所で上演された作品は「雨と花束」という一つの作品だけど、その作品がどんな物語だったか、誰に出会い、何を話していたか、はその旅人によって違う。正解もない。
そして話し合うこと、聞くことは毎日変わっていくのだろうから、本当にあの時、あの一日、あの一夜しかない物語だったんだと思う。もはや演劇ではないかも。私たちは、本当に、とあるモーテルでの不思議な一夜を経験したに過ぎない。それだけ。

もう1回行きたい気もしたけど、あの夜を上書きしたくないし、あの夜だけをかみしめたい。まさに、人生みたいな作品ですね…。

観客によって、変化していく演劇。
しかもその変化の可能性が無限大にありうる空間。
まさに演劇のあるべき姿だと思いました。

私は、劇場は、
「役者と観客が今を共有できる唯一の場」だと思って、どこかの創作のパンフレットにもそう書いたことがある。
ステージに境界線のある、いわゆる一般的な舞台でさえ、観客の雰囲気、反応、その日の役者のコンディション、役者の反応で、物語の語られ方は変わる。今回はそれがさらに舞台との境界がなくなることで、お互いの自由度が増して、物語の人物と一緒に生きている感じがすごくした。映画や物語のワンシーンに自分が入り込んでいるというか、自分が物語の中の人物になっていた(ダンスのシーンとか、最後の探し物のシーンとか)。
だってまさか、あんなにいきなりホラーゲーム始まるなんて思わない。ミヤコワスレさんがライトを持って部屋に入ってきた時、本当に心臓が止まりました。現在のすみれさんに話しかけられた時なんて、魔女?とか思ってしまったし。

物語のすべてを知らないので、後から、あれって結局…?ってなることもあったんだけど、まぁそんな夜もあるか、と思えた。
あと余談ですが、オズの魔法使いがシリーズになっていることを初めて知りました。
魔女の名に「エルファ○」を使うところも、魔女の部屋にエメラルドの靴が置いてあったのも、「わぁ!!」ってなってとても楽しかったです(きっともっと仕掛けがあったかもしれない)

30年前の雫さんと話した時、「オズの魔法使い」を知ってるっていった時のパっと顔が明るくなった時の表情、素敵だったなぁ。
それぞれの部屋で、「魔法が使えるようになったら何がしたい?」とか、「悲しみの思い出ってどう乗り越える?」とか、人物たちと話し「合う」時間があって、それはそれは楽しかった。
演劇って、「こうだ」って主張が多いけど、「どう思う?」って直接聞かれたのは初めてだったな。こういうところでパッと言葉がでてこないというところで、私は役者であり、役者じゃないんだろうなぁと実感しました。

私は過去に役者をやっていたことがありますが、アドリブとかエチュードとか、すごい苦手。というか人生に置いて突発に考えるのがとても苦手。苦手すぎて、幼い頃から本の感想、友達への反応、学校の先生への回答すべて、いわゆる「正解」の言葉を探して、自分の頭の中で組み立ててからじゃないと話せない。
そうやって「セリフ」を考えながら生きてきた。
ので、ある意味歩く影法師かもしれない。
けれど、ちゃんと自分の中に答えはあって、あとから考えると、あの夜話したどの答えも、自分の中でだんだん腑に落ちている。

けど、やっぱり何かお手本か、何か形式か、
形があることに安心するので、
今回、私がこれまでの人生最大のテーマだと感じていたことへ一つの答えを教えてくれたこの作品には、
とても感謝しています。

それを自分で生み出せなかったことが悔しいくらいに、本当に好きなテーマでした。

そのお話は次のページで。

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