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25歳だった上司 #スナック麻子

スナック麻子へようこそ。

三連休の最終日、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

ママは夕方、打ち合わせでした。

終了し一緒に地下鉄の入り口まで歩いたヤング、まっすぐで一生懸命で。勝手に応援したくなる。わたしはとかく、努力家に弱い。ついつい母さんモード発令してしまう。

彼女と同い年だったころ。

国内メーカーの輸出入を請け負う部門で働いていた。上司はひとつ年下。プロパー(生え抜きで入社)で、縁故採用だったと後から聞きました。

わたしたちはうまがあっていた。わたしが働き始めてすぐに大きなトラブルが発生し、彼は2か月間マレーシアに飛ぶことになった。引き継ぎどころか必要最低限の業務のみ指示され、時差や業務のスキマにオンラインで連絡をする日々がはじまりました。

エクセルの関数もアクセスも遠隔で教えてもらい。連絡と確認で残業が続くものの気持ちは不思議と前向きだった。任せてもらってる、できる、と自己肯定感を後押ししてくれたのは疑うまでもなく上司のおかげでした。

部門長からわたしの残業について苦言がはいったときも「僕がいないぶんの仕事をしてもらっているので当たり前です」「帰国したら残業をゼロにさせます」とかばってくれた。いい時代だった。かばう上司がいて、必要な仕事に自分の時間を全部つっこめた。本人の意に沿わない残業はもちろん論外ながら「やりたい」仕事に全力投球させてもらえたことには感謝しかない。

上司が帰国し、宣言通りわたしの残業はなくなった。かわりにわたしたちにはかけがえのないチーム意識がうまれ、どんなしんどい場面でも乗り越えられるという不思議な自信がつきました。

あれから18年。あの時の上司はもちろん、部門長とももう会うことは叶いませんが。当時の経験が今のわたしにとって「任せること、信じること」のベースになっていることは間違いようもなく。

信じてもらうことでひとは伸びる。

応援してもらうことでひとは頑張れる。

国際電話やメールで進捗を報告するたびに、時差はあれど必ずほめてもらったし、できないことは丁寧に解決法を指示してくれた。1歳年上だったわたしにずっと敬語を崩さず、なれ合いにならないように節度ある距離感をつくってくれた。

自分が40代となっても、あのときの、25歳だった上司は永遠にずっと、尊敬すべきひとであることに変わりはなく。

いつかまた会えるなら。

お礼を伝えたい。

ひととの出会いはかけがえない。

そんなことを考えた三連休の最終日でした。

かしこ。

トリスと金麦と一人娘(2023 春から大学生になり、巣立ちます)をこよなく愛する48歳。ぜひどこかで一緒に飲みたいですね。