旅はどこから

ゴールデンウィークに、旅に行ってきた。

旅といっても、たいそうなものではない。ママチャリに乗って、家から9日間かけて800㎞ほど漕いできただけだ。

こんなもの、古代のシルクロード商人が聞いたら鼻で笑う話だろう。ただ、21世紀ゆとり世代の自分には、久しぶりに旅らしい旅だと実感できるようなひとときだった。

別に、これで何が得たかったという訳でもない。ただただ峠を越えてみたかった、ついでに帰り道は行き路とは違う道を通りたかったというだけである。800㎞といっても大きめの散歩のような目的であった。

実は筆者は、このようにママチャリで少し遠出したことは以前にも何度かあった。1日で帰る時も、2週間かける時もあった。

そこでいつも、筆者は少しだけ不思議に思うことがあるのだ。

どんな時でも、家を出る最初の一歩は、意外と簡単で、楽で、あっけなくて、いつの間にか過ぎていて、だから覚えていない。

もっと言えば、どこで踏み出した一歩が旅の最初の一歩なのか。これが不思議なのである。

きっとこれは、考えるだけ無駄な類なのだろう。好きな趣味に、「その趣味のどこが好きなの?」と聞くのと同じくらいの愚問なのだろう。定義付けが難しい上にナンセンス。答えは見つかりようがない。だからこそ、この件は”疑問”ではなく”不思議”として自分の中で処理している。

よく、人生は旅に譬えられる。旅に譬えられるほど人生は簡単ではない気もするけれど。ただ、旅というのは往々にして譬えやすいものだ。だから、筆者もここで旅に譬えさせてもらう。

筆者のnoteにおける第一歩とは、どこだったのだろうか。このテキストの一文字目を打った時か、アカウントを作った時か、アプリのサイトを開いた時か、やってみようと思い立った時か、あるいはそれ以前か。

ということで、noteの記念すべき一記事目は実験台としての殴り書きになった。このテキストをどうやってアップし、コラムだのエッセイだのに分類していくのか。筆者はまだ一向に理解できていない。筆者はまだ、note最初の第一歩を踏み出せていないのかもしれない。

いずれにしろ、大事なのは第一歩だけではない。後戻りできなくなるまで進むこと、これが旅を長続きさせるコツではないかと筆者は思っている。


さて、筆者のnoteはどうなるのだろうか

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