僕の文学に永遠を埋めたい

「幸せな時ってどんな時?」と聞いても上手く答えられなかった恋人に「じゃあ頭の中が空っぽになるのはどんな時?」と聞いたら「パン屋さんの前を通る時」と返された日から、毎朝二人でフランスパンを切って頬張るのが日課である。

退廃的な作品を見ながらレモネードをちびちび飲んでいる彼女が優しさを蹴飛ばす想像をするのがまさしくお家デートというやつなんだと僕は思った。

喉が焼けていく感覚をじりじりと意識しながら彼女が呷る夜の夏風になりたかった。

夜は眠らない。長いまつ毛が揺れる。喧騒が遠のくアパートの一室で僕は。熱帯魚の水槽で彼女は。EDMとネオンライトで赤く発光したかった。

「不完全だからミロのヴィーナスは美しいんですよきっと」いや完全ならもっと美しいはずさ
「完全なら見向きもしないです」むしろ逆さ
「私は完全ですか?」…
「…」愛情は美しさに直結しない
「それが欲しかった、それゆえのヴィーナス」
「二人なら完全です」二人でないといけないのにね

ギシギシと音を立てて軋む橋の真ん中で秋風に冷たくなった欄干に寄りかかりながら、夜目に手伝った街燈の薄明かりで詩を読んでいる。モダニズムは私の指針だった。前衛的な作品だけが私の存在を抜き去って美しい光の残像を刻みながら、決して緩むことないスピードで感情の後付けを行うのだった。私はそれが、文学の理由づけを超えた瞬間だと思った。真夜中の反芻で、秋は静けさを増す。私のスピードはもっと瞬間的でいたかったのに。

人を殺めることではなく、自分の優しさを弱さに変える瞬間が本当の恐怖なのだと僕は実感しているんです。そこら辺で寝ているサラリーマンにも人生はあるでしょうし、税金の網を掻い潜って性欲の獣から受け取ったお金で生きる女性にも人生はあります。僕が彼らの首を鉈で切り落としても、そこに実感はありません。待合所で話したおばあさんや、喫煙所で寂しさを謳うおじさんや、居酒屋で穏やかな目尻をして大学生の時の話をしてくれるお姉さんを殺めることの方がずっと難しいことです。つまり僕が言いたいのは、関係さえもってしまえば人なんてものは簡単に壊れてしまうという、それだけのことです。一晩で死ぬことができた僕ら、あの時着信がなければ死ねた僕らの、いつになったらできるんだろう的な自殺延期するだけの人生なんです。

世の中の人はなんでも括りたがる。私が今そうしたように。人間で括ればたくさん怒りを捕まえられる。主語を大きくすることだけで人の怒りを買って、それを換金してくれる場所へ毎朝ウキウキしながら持ってゆくお姉さん。私はそういうのになりたいの。でも、怒りは怒りとして終着して、結局どこかへ霧散することもなかなかできないから頬張るしかないのね。私は怒りをしょっぱいと思ってる派だからアイスなんかと一緒に食べちゃうんだけど、アイス買うのにもお金や体力がいるわけ。だから、実家から送られてくる野菜とスーパーの特売で買った豚肉を一緒のフライパンで合コンさせて野菜炒めを作ることに最近ハマってるんだけど…あっそうじゃなくて、私はあなたの怒りも全部受け止められるよって話。そう。最強じゃない?うん。最強だと思うよね。でも優しさだけは食べられないんだよね。あれ、一口でもう無理ってなる。だから、そうだなぁ。優しさをあなたが食べてくれれば、食後は一緒にプリンでも食べる、なんて幸せが生まれるの。幸せはあなただけのもの、ということで。はい。よろしくお願いします、これから。

陶器は真っ白です。彼女がそれを持てば、ひどい恋慕の匂いがします。僕がとんかちで陶器に罅を入れると、彼女の唇は端の方から痛みを伴ってゆきます。人差し指に触れるとまるで夜通し編んだような白布の感触がして、僕ははっと息を飲みました。とんかちを床に落として音がする前に口付けすると、遠い潮騒が僕の胸の奥の方から込み上げてきて、ただただ、泣くばかりでした。

柑橘類を握りしめた時に揮発性の青春が指の間から飛び散って、僕の魂はゆらゆら美しく燃えている。

意味が欲しかった。俺はただ誰かの心(僕を含んだ)を打つ理由が欲しかった。それも俺が誰かの心を打つために。黄色は幸せの色らしい。なら俺が詩にレモンを乗せれば読む人の胸に幸福が漂うだろうか。そう思ってレモンを主題にした詩を書いても幸福の字はうまく想像できず、唾液腺がきゅっとなるだけだった。それから俺は幸福の名詞を探した。片っ端から果実の詩を書いた。その次に惑星。花。風景。生物。どれもへんてこなリズムやその場限りの感情ばかりで、幸福は生まなかった。俺がそうやって作って椅子の脇に積もった詩の草稿が、ある日ふとした拍子に倒れてしまった。俺はテーマごとに重ねてあったのが一緒くたになったことに嫌悪した。散らばった藁半紙がテーマの違う詩ごとに重なり合い、別の詩みたいだった。俺はその時、レモンと木星の詩が互いに透けているのが見えた。テーマを決めずに二つの詩の好きな単語や言い回しだけを抜粋してまた別の詩を作った。この時、幸福が見えた気がした。しかし、俺はその醜い欲望を抑えるために一度書斎を出た。幾日か経って、散らかった書斎であの日の詩をもう一度読んでみるとひどい幸福がやってきて、自分が書いたとは到底思えなかった。俺はその日から詩による幸福は自分の意思によらない偶発性の賜物だと信じている。

詩に救えて文学に救えないものなんてのはありません。僕にとって詩は余白が大きい。自分によるものが大きい。文学にはその余白があまりない。自意識が入り込む余地のなくなった世界で僕は孤独を真っ当に知れますか。読む時に孤独なのは詩の方です。なぜならそこに痛いほど自分を見るからです。自分が持てる救済の数なんてたかが知れてる。僕はそれをよく理解している。ただ、僕の中の文学は詩に敵わない。孤独じゃ広いプールの方が海みたいだ。だから、僕は詩を永遠にしたい。僕の中の詩を。だからタイトルはこうです。僕の文学に永遠を埋めたい。消えることのない詩への讃美歌みたいなタイトルを。文学に嘲笑を。僕から僕へ。

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