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デスマッチ・キャリアハイ - 竹田誠志無双2018

あんまりプロレスばっかり追いかけていて、そのほかの生活や仕事に悪影響が出ないのかというツッコミもございます。掟ポルシェ氏の書籍『男の!ヤバすぎバイト列伝』であったように、仕事(というか人生における全てを)そっちのけで全女やIジャを追いかけすぎて債務に拍車がかかる、みたいな人生を送っているのではないかとご心配のご意見をいただきました。余計なお世話ですし、そんな心配の声なんか消し飛ぶぐらい、今年のデスマッチはアツかったのです。その中心にいるのが竹田誠志選手。掟ポルシェ氏が中牧昭二を追いかけたように、もしかしたらそれ以上に今年は竹田選手を逃さず観戦した一年になりました。まだ9月なんだけど、この時点で5年分ぐらいの活躍をしてんじゃないかぐらい半端じゃないので一旦まとめておきたいわけです。

しっかし掟ポルシェ氏の『男の!ヤバすぎバイト列伝』も、中牧昭二氏の『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』も名著中の名著ですよ。感想だけで酒が飲めます。話戻しますね。

これほど分かりやすいキャリアハイが、かつてありましたでしょうか。
実際のところは分かりませんが、見る側からすると関係性が微妙に見える『大日本プロレス』と『プロレスリングFREEDOMS(フリーダムズ)』、日本を代表するデスマッチ両団体のフラッグシップタイトルを持つ二冠王に君臨し、アメリカのデスマッチ団体『GCW』で行われたデスマッチ世界一決定戦に優勝し、その倒した相手、防衛した相手も国内外の実力者やカリスマ選手がズラリ。結果だけで支持を獲得できないのがプロレスファン心理の難しいところですが「こんなに死闘続きで大丈夫なのかよ?」とこっちが心配になるほど連戦連戦惜しみない大流血戦且つ相手の良さを引き出した上での辛勝を繰り返し、ファンも選手も文句のつけようがない無双状態にある。
かつてアブ小プロことアブドーラ・小林選手がプロレス大賞MVP獲りを宣言して狙っていましたが、今年の竹田誠志選手は間違いなく候補に上がるはず。「平成最後だから」と忖度がないことを祈るばかりです。

こうしてデスマッチになぜ焦点を当てるかと言いますと…好きだから…いや、それはそうなんだけど、これで言い切って終わるとIQ低いと思われて恥ずかしいので無理やり理由を探しますと、なんか他のジャンルってズルく感じるんですよ。
例えばUWF系の書籍ってメチャクチャ出てますよね。ブツブツ言いつつほぼほぼ読了してるんですけども。Amazonプライムの『有田と週刊プロレスと』を見ていて「現代最強の語り手だ!」なんて思いつつ、好みが出るから仕方ないんですけど『No.010 「大仁田劇場」開幕!?長州vs大仁田、電流爆破デスマッチ!』ぐらいでデスマッチが少ない。デスマッチは最も好きなジャンルなので、単純に情報量はあればあるほど嬉しいんですが、最も少ない気がする。理由は分かるけどUWFばっかりズルい。面白くて読んじゃうけど。
近年のデスマッチ関連書籍では『プロレスデスマッチ血闘録』というムック本や『DEATH MATCH EXTREME BOOK 戦々狂兇』という写真集などが出ていて、これらが唯一の救いです。

2009年11月20日の『伊東竜二vs葛西純』

デスマッチの歴史を紐解くに、大仁田厚選手、国際プロレスなどを通らずには全貌を語れませんが、先ほどの『有田と週刊プロレスと』のシーズン2のNo.010、それこそ『プロレスデスマッチ血闘録』や『G SPIRITS』などをご閲覧いただければ明るいかと思います。ちなみに90年には大仁田厚選手がプロレス大賞MVPとベストバウト(大仁田厚vsターザン後藤)を受賞しています。デスマッチの歴史もまた、偉大なる先人たちによって築かれ、今日に繋がっていると。

大日本プロレスというデスマッチを売りにする老舗団体があり、そこで一人の一風変わったスターが誕生する。現在のインディーシーンでは外せない"デスマッチのカリスマ"葛西純選手は、一年先輩の本間朋晃選手が高い身体能力や閃きで脚光を浴びる中、技の失敗すらも表現の一つとして自身の世界観に引き込んでしまう不思議な力で支持を得て中心選手へと成長。
それまでデスマッチと言えばFMW、W☆ING、IWAジャパンが主流でしたが、大日本プロレスが95年に旗揚げした以降はその一角に加わると同時に、本間選手が考案した蛍光灯デスマッチがハネ、他団体のデスマッチ形式の試合頻度が減少したこともあって独占状態になったんですね。現在でも蛍光灯は代名詞的なアイテムなのはご存知だろうと思います。

葛西選手が名を上げたのは、なかなか迷いますが、実際観に行った中で言うと、2000年に秋葉原で行われた松永光弘&葛西純vsザンディグ&ニック・ゲージの四人で行ったファイヤーデスマッチもその一つではないでしょうか。サイプレス上野さんが選ぶ『いまの俺を作り上げたプロレス迷ベストマッチトップ5』の三位にランクインしてます。
まず開催地が異常で、秋葉原駅の駅前が昔は空き地だったんです。更地の広場みたいな何にもないところがあった。今はヨドバシカメラとかが建っていると思います。だから都会のど真ん中でファイヤーデスマッチですよ。この頃の大日本プロレスは火に積極的だったから(言い方おかしいけど)火力もそりゃまぁ大きいんです。同時に煙も。あれ、知らない周りの人からしたら火事だと思われていたんじゃないかな。よく通報されなかったと思います。しかも8月6日という夏真っ只中。夜興行じゃなくて日が出てる時間ですよ。ムチャクチャ暑いのに大きな火炎をみんなで囲んでるんですから、もうトロけるぐらい汗が噴き出して全員が死にそうだったと思いますが、そのせいでおかしなテンションができあがり、更にシッチャカメッチャカな試合を見てナチュラルにキマってた思います。
松永がザンディグを車で轢く。ザンディグが葛西をトラックから投げ落とす。リング上に油撒いて燃やしてキャッキャとハシャぐ。わけわかんないでしょ。
この時期、アメリカから参戦していたのがCZWという団体で、海の向こうにも同じようなデスマッチ団体があったんです。無鉄砲で野蛮、彼ら曰く「ウルトラバイオレンス」な集団で、身投げに近い攻撃やダイブも平気でやっちゃう狂った連中でした。そういえば油撒いて燃やしてキャッキャしていたのもザンディグとニック・ゲージでしたし。アメリカはアメリカで、この後もデスマッチの歴史を積み重ね、進化と過激化の一途を辿ります。
葛西選手はこの試合で、リング上で四つん這いになった松永選手を踏み台に、場外の相手へダイブを試みますが、うまくいかなくて見事にロープの代わりに張られた燃え盛る有刺鉄線に突っ込んでいきました。勝負論としてはおかしいんだけど、何だかこういうので心を掴んでしまうのがこの選手の唯一無二なところ。

その後、葛西選手は大日本を離れてしまいます。その背景には、主力選手の怪我や、大日本の資金体力の低下があり、02、03年辺りは団体史上最大の危機だったと聞きます。この辺りの詳細は関本大介選手の自伝『劣等感』を是非とも読んでいただきたい。

ここで絵に描いたような救世主が現れる。それがデスマッチドラゴン・伊東竜二選手。葛西選手より一年後輩のキャリアになります。03年から急にデスマッチ戦線に加わると、あれよあれよという間に数か月でデスマッチヘビーのタイトルを手にし、その後の一年以上に及ぶ防衛ロードでは過酷な名試合を連発し、同時に大日本も徐々に客足が回復。こう駆け足で書くと簡単に聞こえていけない。本当に地道に好試合というか好死闘を連発していた。そういう意味では現在の竹田選手にも共通するか。大日本プロレスのデスマッチヘビー選手権者は"ほぼ毎月必ず満を持したデスマッチによる激戦が行われる"宿命を全うしなければならず、素人目から見ても相当に苛酷だ。
突如として現れたメインイベンターは、とにかく来る日も来る日も歴戦の猛者たちと闘った。一つ以前の世代に位置されるシャドウWX選手や、同じ生え抜きのアブドーラ・小林選手や“黒天使”沼澤邪鬼選手たちの身を削る奮闘や、金村キンタロー選手や非道選手などを始めとする外敵との戦いも大いに盛り上がった。ホントこの時期よく観に行っていたから覚えてる。シングルタイトルに縁がないと思われていたgosaku選手も伊東戦で最高に輝いた、狂い咲いた。相手の力を最大限に引き出して勝つ。歴史に名を遺す王者の条件ですよね。
当時、プロレスリング・ノアの小橋建太選手が勝ちまくって防衛を重ねていたことから"絶対王者"と呼ばれており、伊東選手もデスマッチ版絶対王者と呼ばれるように。当時はプロレス観まくっていたので、武道館行ったり後楽園行ったり文体行ったり忙しかったですね…いや、今と変わらんか。「次はどんな死闘を見せてくれるんだろう?」という期待感が止まらなかったんです。巨大なネズミ捕りみたいな器具に蛍光灯が括り付けてあり、それに当たると挟まれるといった、前衛的な新しい工作・仕掛けの部分でも楽しめたのが伊東政権時の特徴でしょうか。ちなみに伊東選手はデスマッチキャリアを始める前からデスマッチアイテムの作成を担当。大日本プロレスの選手はストロング(デスマッチを基本やらない)の選手たちもデスマッチアイテムの作成や、有刺鉄線や金網の設営に長けています。特需。

当たり前にメインイベントを任される存在として定着した伊東選手が、ZERO-ONEに移籍した葛西選手を希望する対戦相手として名指し。これをきっかけに05年、大日本プロレスにUターンします。葛西選手が現れた大日本後楽園は蜂の巣を叩いたような大盛り上がり。ZERO-ONEのリングではデスマッチもできずコミカルな試合で主に前座のポジションで甘んじていた葛西選手は、息を吹き返したように生き生きと血で血を洗うデスマッチのリングで再び躍動。
二人の一騎打ちへの機運が日に日に増していくんですが、お互いの病気や怪我で流れに流れた。上の写真も二人の対戦が決まっていく瞬間なのですが、この時は伊東選手の怪我で流れてしまった。この間の運命はホントに残酷だった。だけど、この仕方なく流れてしまった時間が後の大爆発を呼ぶんだと思うんです。

結構な時間が過ぎ去って、時は2009年11月20日。伊東選手が名指ししてから5年近く経ったこの日、ビッグマッチ用の横浜文化体育館ではなく後楽園ホールで『伊東vs葛西』が遂に組まれます。

これに関しては試合を見てください。煽りV~試合後のコメントまで余すところなく最高です。解説の須山氏曰く「どっちかが死なないと終わらないんじゃないか…」とまで言わしめた、本当に死を予感させるほどの紛れもない死闘。ただただ暴力的なだけではなく、トレンディドラマ顔負け級のリアルなすれ違いによる運命性、00年代を背負った二人の大将格による決戦に後楽園が爆発。感情の火が噴いたのは観客だけではなく、多くの記者も感じ取り、この年のプロレス大賞年間ベストバウトをもかっさらいます。
負傷箇所だらけでボロボロ、引退までクチにしていた葛西選手はこの試合を機にまたも息を吹き返し、デスマッチのカリスマとして君臨。見方によっては二度、伊東選手にデスマッチレスラーとして命を吹き込まれていると言えるかも知れません。

葛西選手はその後、またしても大日本のリングを離れ、佐々木貴選手率いるFREEDOMS所属となり、14年にはCZW主催のデスマッチトーナメント「Tournament of Death」に出場し優勝。「世界一のデスマッチファイター」を名乗り、団体を選ばず活躍を広げ、DDTのリング上であの鈴木みのる選手と対峙しても喰われないぐらい存在感を増大させました(鈴木みのる選手とはその後共闘)。

説明が長くなりましたがデスマッチの筆頭格は、90年代は大仁田厚、00年代は葛西純・伊東竜二だったということです。

アメリカのデスマッチアイコン、ニック・ゲージ

長々と日本のデスマッチについて書いてきましたが、まだ前置かないといけません。竹田選手はそれだけのことをしてきたため、です。
先ほどCZWというアメリカのデスマッチ団体に触れました。そこに番長的な存在としてニック・ゲージという選手がおりまして、先にも書いたように日本での活躍も知られるところです。CZWにも殿堂があって、ワイフビーターやニック・モンドらと名を連ねている。ザンディグは親分って感じで、CZWの始祖であるから大仁田厚のような存在。加藤あいとCMで共演してるぐらいです。
ニック・ゲージは2010年にライトなノリで銀行強盗してパクられ、4年間収監されて仮釈放された後も、おいそれとプロレスには戻れなかった。デスマッチに復帰したのはなんと17年6月。そのリングはCZWではなく、アメリカもう一つのデスマッチ団体であるGCWというプロモーションだった。ざっくり言うと、CZWが大日本で、GCWがフリーダムズみたいな感じです。
ザンディグ主催の『トーナメント・オブ・サバイバル2』でジミー・ロイド、竹田誠志、マット・トレモントを下して見事に優勝。5年近くキャリアを棒に振ったニック・ゲージの何かが弾け、下手すりゃ復帰以前よりも観客の支持を取り戻したわけです。
この辺の詳細については米インディーと言えばこの人、フリーバーズさんのコラムを読めば一発です。

俺も今年のレッスルマニアウィークにGCWを観に行きまして(先の写真がそれ。2018年4月)、デスマッチでないにしろニック・ゲージ選手を観たのですが、その狂信的な人気は葛西選手に匹敵するほどでした。実際にニック・ゲージ選手は葛西選手との対戦を熱望している様子がTwitterで見てとれます。風格も秋葉原で見た頃とは比べ物にならず、目つきもやたら怖いし、間に余裕を感じる。
ダルビッシュ有が言うようにセカンドチャンスなきこの国には理解しがたいかも知れませんが「誰がどこで輝けるのか」は見る側も理解を深めて受け入れたいものです。清原は野球に携わるべきですよね。『告白』はもちろん読みました。その後の桑田の言及が楽しみで仕方ありません。話戻しますね。
00年の大日本参戦時ですら前科の問題で日本への入国が難航したぐらいですから、日本でこのアイコンを拝むのは難しいかも知れません。常識が違う国だからこそ生まれたアメリカのデスマッチアイコン、それがニック・ゲージ選手です。

ヤンキー二丁拳銃の追撃

00年代のデスマッチ戦線において、欠かせないのが『佐々木貴vs宮本裕向』の一戦。
ここで書き残しておきたいですが、09年のIWAイーストコーストで行われたデスマッチ・トーナメント『マスターズ・オブ・ペイン』で優勝し、10年に敵地においてニック・ゲージを倒してCZWウルトラバイオレントアンダーグラウンドのベルトを巻いた宮本裕向選手もまたとんでもない実績の持ち主なのです。07年の佐々木貴選手とタイトルを争った『立体足場建築現場デスマッチ』ではプロレス大賞ベストバウトにノミネート、ネットプロレス大賞に選出されるなど、00年代後半からはデスマッチ選手として世界的にもトップ戦線に入っています。
佐々木貴、宮本裕向の二人の後を追ったのが石川修司選手という大日本のデスマッチとストロング双方を制圧した化物も加わります。
遅れること数年、宮本選手と『ヤンキー二丁拳銃』の名を持つタッグを組む、プロレスリングBASARAの番格・木高イサミ選手もデスマッチのトップ戦線に加わります。
上記の4名とも全て大日本所属外の選手です。竹田選手もフリー。生え抜き勢からしたら外敵ですが、大日本の、というかデスマッチのリングでは所属だから云々というホームびいきは、あんまりありません。その選手一人が皆から認められたデスマッチレスラーであれば関係なく称えよう、というのがデスマッチファン心理かも知れません。
4名の中で二丁拳銃の二人は、竹田選手より年上ですがそう変わらず、一つ上の世代といったところです。デスマッチの道で覚悟を決めた二人は、00年代後半から10年代という時代の狭間で這い上がってきます。

風雲狂乱児、竹田誠志

はいこっから本題。
イサミ選手が初めて大日本デスマッチヘビーのベルトを手に入れた2013年、竹田選手も大きな仕事をやってのけます。
竹田選手にとって憧れの存在、プロレス入門のきっかけにもなった葛西純選手主催の『PAIN LIMIT デスマッチトーナメント2013』で、準決勝で佐々木貴選手、決勝で遂に葛西純選手を下し、優勝すると共に悲願の葛西超えを達成します。もちろん観に行きましたが、試合ぶりと説得力はこの時点で皆が納得いくレベルだったと記憶しています。例えば「お前にはまだ早いよ!」とかいう罵声はない(結果に納得しないお客さんによる罵声はプロレス会場ではよくある)。13年、この時点で間違いなくトップを張っても文句が出ない選手に成り上がっていました。

存在感としての"葛西超え"

ラジオ『バナナムーン』を聴いていると、昔から設楽さんがよく言う「憧れ負け」という言葉を耳にする。憧れちゃったら負け。憧れてしまった方は、何をされても逆らえないという意味合いだ。例えば憧れちゃったとんねるずを前にすると、いくら百戦錬磨のバナナマンであろうとも何したって勝てない、とかそういうこと。
13年の大一番で、勝敗では葛西超えを果たし、14年にも続けてシングルで勝利した竹田選手だが、プロレスラーとしての価値も超えたかというと、そりゃさすがに疑問符が付く。同時に本人やファンがそれを望んでいるかも疑問符が付く←要はここですよね。みんな"葛西大好き"っ子だから、そもそも超える必要があるのかすら考えてしまう。
ただし葛西選手がよく言う「俺っちがいなくなったらデスマッチも終わり」にしたら俺たちは行き場を失ってしまう。困る。事ある度にアメリカのCZWやGCW、ましてやメキシコのDTUを観に行っていたら観戦破産してしまいます。
「次なる象徴は誰か?」と2018年に問うた場合、真っ先に名が挙がるのは竹田選手だろうというお話です。

超絶!ルチャ・エクストリーマの果てにデスマッチ二冠王

竹田選手は17年8月、大日本プロレス『BJW認定デスマッチヘビー級』前王者の高橋匡哉選手を下し、初めてこのベルトを巻きました。10月、11月、12月、18年1月…と毎月防衛戦を重ね、全て勝利していく。
そして18年5月に今度はプロレスリングFREEDOMS(フリーダムズ)『KING of FREEDOM WORLD王座』のタイトルマッチに挑みます。相手はビオレント・ジャック選手。今年のターニングポイントは間違いなくここでしょう。
『THE BEST OF VIOLENTO JACK』というビオレント・ジャック選手のDVDが売店で売っていたので購入して家で見てみた。メキシコの小さなプロモーション(全部の試合がDTUなのかよく分からない)が小さな会場にまばらに入った観客の前で、身体を削りまくってるジャック選手がそこに映ってました。これじゃ相当な海外通じゃない限り、名前を聞くことはないでしょう。
名の通りはないけど、実力は折り紙付き。12年のクリスマス、アエロボーイと共に突如ダムズに参戦すると、いきなり目の肥えたファンの心を鷲摑み。CZW、ECW、X-LAWはもちろん、FMW、W☆ING、大日本も見て育ったと言うジャック選手は我々のツボもおさえていたのかも知れない。デカいガタイを生かして圧倒するのはもちろん、残忍な攻撃は朝飯前で、ルチャドールらしく美しいフォームで飛ぶこともできちゃう。未知の強豪とは正にこのこと、ザ・グラジエーター級の超優良外国人が一夜にして誕生したのだった。その相手をしたのが葛西・竹田組だった。
その後の活躍は目覚ましく、DTUの看板をCZWやGCWなどあちこちにブツけて世界血みどろ紀行。ダムズのベルトも二度戴冠。
そんなジャック選手と竹田選手の試合は、今年のベストバウトに選出されてもなんらおかしくない超絶デスマッチ、いや、ルチャ・エクストリーマだった。最高に狂った好試合を制し、竹田選手が大日本とダムズのベルトを同時に巻くという前人未到の快挙を成し遂げた。

と同時にそれは地獄の扉でもある。双方の団体でベルトを巻くということは、同じような壮絶戦を双方で求められる。先ほどの伊東選手以上の頻度が竹田選手に襲い掛かるわけだ。
大日本ではアブドーラ・小林選手、木高イサミ選手、宮本裕向選手など歴戦の猛者を相手に、ダムズではジャック選手と共にやって来た"キチガイジン"ミエド・エクストレモ選手を相手に連日流血戦を展開。スケジュールを見るだけでキツイ!
しかし防衛するたび「あー気持ち良かった!」と絶叫する竹田選手の狂いっぷりを見ると地獄だった光景が一転、天国に見えてくる。これが人間力だと思う。ジャック戦以降、もう今年の竹田選手のタイトル戦はできれば一試合も見逃したくない"掟ポルシェ式観戦意識"状態になっていく。

たまたま大阪へ大日本プロレスを観に行った際、タッグリーグ戦が行われていて、メインは竹田選手も出場するノーキャンバスデスマッチだった。大日本でこれは珍しいと思ったが、考えてみれば葛西vs沼澤戦で行われたか。ノーキャンバスは板が沈んでしまうことがあるので、足元がやたら気になるのだが、テープによる補強が行われていて以前より改善されているのだなぁと。
既にダムズでノーキャンバスデスマッチでの葛西戦が決まっていたので、竹田選手にとっては良い予行試合になったんじゃないだろうか(リーグ戦も大事なのは分かってますが)。

竹田vs葛西再戦に札止めの期待感

竹田選手は大日本・名古屋大会で宮本選手相手に防衛し、二冠王のままダムズでの葛西戦に辿り着いた。今度は迎え撃つ立場として。
ただしこの大会は『Crazy monkey 20th anniversary』と銘打たれた、葛西選手の20周年興行。ただでさえ相手が誰であろうと会場を「カッサーイ!」コール一色に染めてしまうカリスマに周年の後押しまで加わったらたまったもんじゃありませんよね。
札止めとはチケットが完全に売り切れたということ。インディー団体で札止めになることは正直少ない。この日、この現象が起きたということは、竹田vs葛西が絶頂のカードであること、試合への期待感が半端じゃなかったことを意味します。それだけ竹田選手の存在感も膨れ上がってる証拠。ベルトなしで双璧以上になっちゃう葛西選手の凄みみたいなのがまた強調されちゃうんですけど。
試合開始から会場にヒビ入るぐらいの葛西コール。しかしそれだけで包まれず、半分は竹田コールも支配した。こちらの記事(ビオレント・ジャックとアエロボーイのインタビュー(前篇))によると、12年か13年にジャック選手が「日本では全ての人々がカサイが最も狂っていて、タケダがデスマッチの未来であることを知っている」と語っている。その未来は18年だったのだ。試合も納得いく形で、奥の手・リバースUクラッシュ改で決めて竹田選手がベルトを防衛。
葛西純の存在感はそのままに王位継承式が行われた、といった印象を受けました。ジャック戦とは違う意味で今年のベストバウトに名を連ねても何ら不思議ではないぐらいの熱狂空間でした。つーか葛西選手のマイクには泣いたよ。サムライTVさんで見逃し配信があるかもなので見てください。

シカゴ行きを決断

8月半ば、大日本・名古屋大会での宮本戦の結果を持って、私はアメリカ・シカゴ行きを決意しました。9月のシカゴといえばALLINなのでしょうが、我々デスマッチフリークにとって9月のシカゴといえばGCW『Nick Gage Invitational 3: Thy Kingdom Come』です。
先ほど言いました。アメリカにもデスマッチ・アイコンがいると。ニック・ゲージ選手主催のデスマッチ・トーナメントがあったんです。この勢いならもしかしたら優勝するかも知れないぞ、と思いましてアメリカに飛びました。2泊4日、割と弾丸で。

旅のパートナーはもちろんアメリカ旅行と言えばこの人、吉田学さんです。デスマッチも旅行も好きで多趣味で勢いのあるマナブさんとは気が合うので、これで四度目のアメリカ旅行です。今年行ったニューオリンズのレッスルマニアウィークも一緒でした。こんな狂った弾丸に付き合ってくれるなんて最高の先輩であり友人ですよね。こういう人と出会える可能性があるから人生捨てたもんじゃない、ってのは前回のゲストにカテプロ前田さんを招いた記事になんとなく書きました。でも狂ってないとこんな大会、一生観に行けませんよ。
羽田→オヘア国際空港と飛び、ホテルにチェックインしてメシ食ってちょっと散策してあっという間に夕方に。我々は時差ボケ一切しないので仮眠とったりせず、できるだけ観光や食事を楽しんで今夜の会場へ向かいます。

いやー。着かないんですよまず。遠さは大したことないんだけど、住所をナビ打っても会場もそれらしきファンたちも見当たらない。脳裏に浮かぶのは、かつて米インディーの洗礼を受けることになった『レッスルサーカス興行キャンセル事件』です。1000キロ運転してテキサス州オースティンの会場まで辿り着いたらやってなかったというズンドコがあったのです。その模様はカテプロさんのPodcastで喋りましたのでよほど暇ならどうぞ。

カ、、カテェプロレスポッドキャスト【第24回】米インディーマット事情 Wrestle Circusのお話 ゲスト:ヤス君

助手席のマナブさんが「あっちじゃね?」と、どうやって探したんだかいまだに謎なんだけど、言うとおりに車を進めたらGCWの文字が入ったパーカーを着たアメリカのプヲタを発見! 抱きしめたかったですね。どうにか試合開始前に到着できました。早めに出て良かった。
でも今度は入り口が分からない。割とみんな早めに到着して落ち着いてるのか、タバコ吸ってるかクサ吸ってるかで、あんまり往来してなくてどの建物でやってんだかが分からん。

暗い!ボロい!分かるわけねーだろこれ。
言ってみれば倉庫の中です。ルチャリブレ・レスリングと書いてあるけど、もちろんナビには出てこない。二枚目の写真、明かりが一つもない廊下を抜けるとエントランスがあって、受付の人が手にハンコを押して入場します。バーコードでチケット読み取ったりしなかったぞ。
入ったら入ったで自分の席がどこだか分からない。トイレもどこか分からない。もう自力で探すの疲れたので可哀想なジャパニーズモードで聞きまくって、何とか見つかりました。トイレも教えてくれた。俺のJCBが使えなくてペイパルで対応してくれたグッズ売り場のお姉さんとかみんなありがとう。日本戻ってちゃんと払いました。みんな完全にイカれた連中だったけど、イイ人ばっかりでしたよ。

ネイト・ヘイトリッド選手に不幸があってお亡くなりになられたので、その追悼もあり、Tシャツを着ている人も多かった。大日本にもCZW勢として来日経験がある選手です。ご冥福をお祈りいたします。

GCW『Nick Gage Invitational 3: Thy Kingdom Come』@シカゴ 観戦記

では大会の模様を少々ご紹介していきます。

のっけからいきなり二階から人が落下するスタートでもう最&高黒田哲広。Shlak選手をようやく生で観れた。
蛍光灯のフルスイング具合も、日本のそれとはちょっと違う。翌日のホワイトソックスvsエンゼルスを見ても思ったんだけど、例えばメジャーリーグだったらファールボールが飛んでくるのがみんな楽しみでしょうがない。怖がったりってのがあんまない。蛍光灯もそれと同じで、どっちかというと浴びてナンボ。だからか分かんないけど破片の飛んでくる量がバンバン多い!(しかも二列目)
そしてこの空間では「プロレスはグラウンドの攻防がないとねぇ」等と言うつまらないオッサンは皆無。求められるのはただひたすらにクレイジーな光景だけ。

クレイジーといえばこの人、遅咲き&狂い咲きが止まらないノットヒューマン、PCO。こちらはトーナメント戦ではなく別のタイトルマッチで4WAY戦に出場。
ハヤブサや武藤敬司のムーンサルトはそりゃぁ美しいフォームですが、テリー・ファンクが放つような、カエルがひっくり返ったような無謀なムーンサルトが大好きなんですよ。フィニッシュはツームストン&ダブルチョークスラムという凄技で一人勝ち。初めて見たぞあんなの。
ちなみにこちらの大会もオンデマンドで見れるようです。さらにちなみにこの右側の写真で大いに写りこんでる、立って撮影しているおじさんは普通の観客なのですが、やたらとマナブさんに話しかけてきて、「俺の写真を送ってやる」とFBのメッセージでやり取りしていたんですが、激ブレで全く要らない写真ばかりだった様子。

こちらの大会をカードを並べますと、
1. First Round: Jimmy Lloyd vs. Shlak
2. First Round: Nick Gage vs. Scotty Vortekz
3. First Round: G-Raver vs. Isami Kodaka
4. First Round: Dysfunction vs. Markus Crane
5. First Round: Alex Colon vs. Masashi Takeda
6. Isaias Velazquez vs. KTB
7. GCW Extreme Championship: Gringo Loco vs. Nate Webb vs. PCO vs. Tony Deppen(c)
8. Nick Gage Invitational 3 Final
このようなラインナップ。

アメリカンデスマッチのアイコンでありこの大会の主催者、ニック・ゲージ選手は二試合目に登場。
上のインスタ動画見れますでしょうか。「カッサーイ」コール同様に「Nick F'n Gage!!」と皆一様にシャウトします。ひたすら荒っぽく相手をタコ殴りにして、でも受けるところは受けて試合を作り、狂った観客の要望に応えてキッチリと勝利。

日本勢の初陣を飾るのは木高イサミ選手。やっぱ日米で試合の作りが違うんだなぁとハッキリと実感。当初は観客もリズムが狂うのか少々戸惑った様子。この行、体言止め連発。レポートなのでご勘弁。
ただそこは後楽園で何度もメインを張った剛の者、そして観客もイサミ選手を理解しようという前傾姿勢が次第に噛み合ってボルテージは上がり、勝利すると観客は総立ち!さすが!
BASARAの名をここでハッキリと売り、終了後の売店でもファンが列を作っていた。

一回戦ラスト、準決勝はなくメインが勝ち進んだ選手一斉で行われる5WAYなので(負傷により結局4WAYに)、ということは一番キツイ試合順で竹田選手が登場。どこまで過酷なんだこの人の18年は。
イサミ選手が良い空気を作って繋いでくれた…と言いたいところなのですが、のんびりしてるのか分かりませんが、一試合一試合ある程度リング清掃をして、設営をして、と丁寧にやるもんで毎回10分そこら休憩になるんですよね。試合時間が短いかというとそうでもなく、確か竹田選手の試合が終わった時点で23時近かったような。まだ一回戦終わっただけなのに。
なので空気はその都度リセットされますが、大日本&ダムズの二冠というあり得なさはちゃんとアメリカのデスマッチファンにも伝わっていた様子。超ウェルカムな空気で竹田選手を迎え入れてました。レッスルマニアウィークでたくさんの米インディーを観戦した時にも思いましたが、こちらのファンは本当に勉強熱心。

期待感に相当する試合内容で応え、ファーストラウンドで間違いなく一番盛り上がりました。
休憩が多いからその度にひたすらタバコ吸ってたんですが、それまで一度も外で話しかけられなかったのに「タケダのスタッフか?」「日本人?」と話しかけられるようになりました。そういう空気に竹田選手がしたということでしょう。スタッフじゃなくて今日来たんだよ、と伝えると「For this!?」「oh, crazy!」と驚かれました。ここでのクレイジーは誉め言葉。でも、先に書いた『Crazy monkey 20th anniversary』で見かけた大柄のアメリカ人のオッサンをここで見かけたりしたんで、世界にも似たような狂ったプヲタがいるもんです。年末年始は特に多く見られますよね。

竹田誠志、ニック・ゲージを直接下して優勝!

いよいよ決勝戦。
後半になるにつれて、みんなクサばっか吸ってるからキマリ疲れしてるし、単純に体力的にキテるのもあって、盛り上がりが鈍くなるんですが、憑りつかれたように蛍光灯でひたすらブン殴り合ってこっちにもジャンジャン破片が飛んできて、みるみる血まみれになって身体に赤くない部分がないぐらいの流血戦になってくると、総立ちで声を上げ始めた。
サバイバル4WAY方式だから、最後まで生き残った選手が優勝となるこの試合、最後の二人はやはりニック・ゲージ選手と竹田選手。ザックリ右肩辺りを切った竹田選手からドス黒い血がダラダラと。動脈いったか? とさすがに不安視する雰囲気になりそうなモンですが、こういった心配を吹き飛ばすように展開を急がず平然と試合をこなすのが竹田選手の異常ながら優れたところ。

アメリカGCWニックゲージインビテーショナル終了。決勝は何故か4wayでしたが最後はニックゲージから勝利し優勝する事が出来ました!!
優勝したけどイサミさんの力を借りた場面もあるんで、満足せずさらに上を目指します。
でも日本人の凄さ頭のおかしさは証明出来たなと思います。ニックゲージから勝って優勝したのも価値有り!しかし改めてアメリカのデスマッチはCRAZYだと思ったね。そんなアメリカンデスマッチが好きだ!また来るぜ!

↑は竹田選手のブログより。

日本のデスマッチのカリスマ、葛西純選手に続き、アメリカのデスマッチアイコン、ニック・ゲージ選手を立て続けに破ってしまった。しかもデスマッチ・トーナメント優勝という形で。海外のデスマッチ・トーナメントで日本人が優勝したのは宮本選手、葛西選手に次いで3人目の快挙です。
写真の通り、スタンディングオベーションというか皆、拳を振り上げて竹田選手を称えてます。ドス黒い血が止まらないのに急がずマイクを握り、つたないながらの英語が逆に受け入れられて「プリーズ・カムバック!」コールも巻き起こした。お世辞ではないのは言うまでもない。GCWに現れたマット・トレモントや、今は難しいかも知れないけどMASADAなどまだ新規の豪華カードは残っているので今度も海外での活躍は期待したい。

普段、並んで選手と写真を撮ることなんてありませんが、旅はテンション上がってるのでパチリ。肩のこれ、ちゃんと応急処置されてんのかな(笑)。もちろん終了後の写真攻めは大変なものでした。

マナブさんはニック・ゲージ選手とパチリ。このブルズのタンクトップ、倉庫裏の古着屋でテキトーに調達したっぽいけどどうなんだろ(笑)。これ見ても分かりますが、平均の流血量がエゲつないわ。

我々は弾丸ツアーを終え、日本に帰国します。竹田選手はメキシコでの試合がキャンセルになったらしく、ほんの少しの休息を経て次なる大戦に挑みます。

過酷!デスマッチ・トーナメントと同月にvs伊東竜二、vs木高イサミ

葛西純、ニック・ゲージと下し、竹田選手は名実共に完全無欠の王者に…と言うのはまだ早い。中堅どころのカードで落ち着きがちとはいえ、ここ一番の強さと怖さは誰もが知る伊東竜二選手がしんがりに控えていた。これで役者が揃ったと言えるし、また00年代もう一人の筆頭格である伊東選手を制さなければ時代を変えるに至らない。また、イサミ選手が言うように、ここまで実績を募らせた段階の竹田選手は挑戦者にとって"オイシイ"相手になった。

結果は皆さんご存知の通り、伊東選手をも下し、これで天下を手中に収めたと言っていいだろう。もうこれ以上はないぐらいの登頂ぶり、デスマッチ界の頂点に上り詰めた。
プロレスリングBASARAではイサミ選手の主戦場とも言える、高所での攻防が肝の金網マッチで対戦するもこれも撃破。ノンタイトル戦ながら初の形式且つ不利なシチュエーションでも結果を残した。ただしこちらの試合では残念ながらイサミ選手が試合でアゴを骨折する負傷があった。
少々苦い試合だったものの、BASARAの試合をもって一つの区切りというか、短期間で重要な試合が集中する濃密な期間を終えた。タイトルマッチ以外の試合を数えると連戦はいつまでも終わらないのだが。やっぱりプロレスラーは化物だ。

2018年の終盤へ向けて

最近の傾向で一つ無理に課題を書き残すのであれば、後楽園の試合は爆発するが(特にジャック戦、葛西戦は半端じゃなかった)、大日本がビッグマッチで使用する横浜文化体育館という会場では、盛り上がりはするものの最高潮のボルテージに達しない観がある(天井が高く音が抜け、反響しづらい作りということもある)。
文体、ましてや両国国技館クラスの規模で行うデスマッチというのはおそらく現在は大日本プロレスだけだ。大会場での更なる熱狂を生めば、デスマッチは更なる飛躍を呼ぶのでは、と思ってやまない。

11月の大日本プロレスのビッグマッチ@両国国技館では、竹田選手がなんとデスマッチヘビー10度目の防衛戦に臨む。挑戦者には、竹田選手にベルトを獲られ、その後挑戦するも退けられた高橋匡哉選手が名を上げた。
過去の結果を見ても格付けは済んだように見えるし、実績で現在の竹田選手に匹敵するような選手は皆無。高橋選手が奪取したとて皆が納得するか怪しい。何より皆が高橋選手のことを特別嫌っていたり認めていないわけではないのが始末に負えないところだ。高橋選手だって2017年の大日本のデスマッチリーグ戦である一騎当千に優勝→ベルト戴冠の実績があるし、名試合も生んでいる。それでも余裕を持って足りないぐらい、よっぽどのことがないと陥落の説得材料が見合わない選手に、竹田選手は成ってしまったのだ。
ただ一つ突破口があるんだとしたら、大会場でこれ以上ない熱狂を生んだ上での王座移動だろう。もしくは三度高橋選手を退け、そして既にクリスマスに決定している葛西純選手とのタイトルマッチでの更なる再戦をも退け、無双状態のまま今年を二冠王で駆け抜けるのか、はたまた11月、12月と続けて防衛に失敗して丸腰になってしまうのか。最後の最後まで竹田選手の勝敗と内容、双方から目が離せないのです。

ちょこちょこと書いてる間に竹田選手が怪我をしてしまった。ツイートにあるように長い欠場ではないようだが、これだけ過酷な防衛ロードと、出場団体が大日本やダムズだけではない売れっ子スケジュールを歩むに怪我は付き物。どうか無事に今年を駆け抜けて欲しいです。

竹田選手の10度目の防衛戦と久々に大日本のリングに登場する葛西選手が注目される11月11日の大日本両国大会、そして今年二度目の『竹田vs葛西』が予定されている12月25日のFREEDOMS後楽園大会でお会いしましょう。

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