DSCN4274_編

プロレス・インフラのテレビ朝日『ワールドプロレスリング』

高校生ぐらいの頃、バナナマンとおぎやはぎのユニットがムチャクチャ好きで『epochTVsqure』というコント番組のVHSを何度も何度も見てました。確かレンタルビデオ店に置いてあったから全部一式借りて、それが好きになるきっかけだったかな。
でも別にそのレンタルビデオ店に感謝してるとかそういう感覚はない。

「プロレスを見始めたきっかけって何ですか?」と質問した場合、その多くがテレ朝で毎週放送されている『ワールドプロレスリング』と答えるはずです。プロレスのプの字も知らないのに、いきなり週プロなどの専門誌を買うわけがないし、サムライTVを契約するはずもない。ザッピングによる流入・影響は、テレビ全盛期よりそりゃ数字は下落してるでしょうけど、ゼロにはならない。
俺もご多分に漏れず、略してワープロからプロレスに入ったクチです。ムタを見てなんじゃこりゃ→実際初めて会場(W☆ING後楽園)に行ってレザーフェイスに追っかけまわされてなんじゃこりゃ→ハマる、といった着地です。
もちろん2000年までは日本テレビの『全日本プロレス中継』も、もう一つのプロレスインフラでした。個人的にはこっちの方でプロレス熱が更に加熱しました。日本テレビではその後『プロレスリング・ノア中継』と移り変わり、地上波としての放送は2009年に終了。仕方ないとはいえ悔やまれます。

昔から新日と全日はよく比べられます。外国人選手の引き抜き合戦などは今でも語られます。メジャー団体として並び立つ団体だったからそりゃそうでしょうが、設立からしばらくはテレビコンテンツとしてのプロレスとして勝負していたわけですから、実はお互いの団体どころではありません。本当に倒さなきゃいけない相手はラテ欄の横です。
テレビ朝日(当時NET)『ワールドプロレスリング』は日本テレビの『太陽にほえろ!』を倒さなきゃいけなかったし、後にTBS『3年B組金八先生』がブチ当たってくる。そしてなんつっても巨人戦の中継がある。キツイ!
日本テレビ『全日本プロレス中継』なんてTBS『8時だョ!全員集合』という化物を相手にしなきゃいけなかった。その上、フジテレビの『欽ちゃんのドンとやってみよう!』がもやってきて、二つのモンスターバラエティとの戦いを強いられる。キツイ!
番組である以上、番組に勝たなければいけません。70~80年代中盤までなんて余計です。家庭用ビデオデッキが登場したのは70年代後半ですが、最初は当然ブルジョアしか買えないぐらい高価だったので、85年以降にレンタルビデオ店が増えまくったと聞きますから、一般家庭に録画が普及したのはこのぐらい。ということは、これ以前は録画できないから(当たり前だけど)放送時間に合わせて見るしかないわけです。録画機能がなく、娯楽の選択数が今より少なくテレビが元気だったからこそ裏番組との戦いのキツさがあった。プロレス番組はかつてテレビのど真ん中で勝負していたわけです。あ、ただ、この言及に熱を入れると横道に逸れ過ぎてしまいそうなので、こちらの件に関してはまた別の機会にでも。

ワープロでプロレスに興味を持った後、新日本プロレスを好きになろうがローカル団体を愛そうが、ワープロが大きなインフラとなって導いてくれているのは間違いないわけです。んで、大抵の場合、ハマったあとは、プロレスは自分で情報を追いかけるのに超が付くほど向いてるからワープロを見なくなることも多い。Twitter時代になろうとも、テレビはやっぱり一方通行のメディア。ワープロは番組公式アカウントがないタイプの番組ってこともあって余計かも知れません。相互に積み上げて観戦者自ら塗れられる楽しみを見出すと、番組を見なくなることも多いってわけです。でもこれって悪いことじゃないと思うんですよね。卒業的な意味になるから。
45年間やってることもあり、ワープロが生み出したプロレス観戦者の人口数って相当だと思うんです(誰か統計出して欲しいぐらい)。だからほとんどのプヲタにとってありがたい存在だったはずなんです。

インフラの有難味は必ず薄れてくる

でも在るのが当たり前になると、有難味は薄れる。人間そういうモンなのかも知れませんけど。
例えば、メキシコに行って「水道水は衛生上ダメなので飲んじゃダメだし、洗い立ての食器にも気を付けて」と言われ、初めて日本やアメリカの浄水技術、水道設備に有難味を気づくようなモンです。水道水にいちいち「ありがとう」なんて言わないでしょ。
たまたま聴いていたラジオでたまたま耳にしたdaftpunkが超カッコ良くてSummer Sonic '06で失禁したとして、その後そのdaftpunkファンが、たまたま聴いてたラジオ番組を毎週熱心に聴くっていうのも、あるかも知れないけどレアケースですよね。一方通行のメディアあるある。

ワープロの歴史~現在

ワールドプロレスリングが番組としてどういう歴史を辿ったか、それはもうwikiを見てください。細かい部分が合ってるのかどうか俺には分かりませんが、結構詳細にまとまってるし。

ざっくり言うと、80年代はテレビコンテンツとしてのプロレスが優れていた時代で、放送時間も恵まれていました。いわゆる金8枠。90年代になると土曜夕方→深夜と時間帯は追いやられます。
これ勘違いされやすいのですが、テレビ番組としてのプロレスが下降しただけで、90年代のプロレスそのものは半端じゃない熱に包まれます。週刊プロレスを筆頭に雑誌としてのプロレスが過熱し、既存ファンの観戦熱はとどまることを知らず、観客動員数も増加。団体数の増加、大会場での開催の増加も背景にありますでしょうか。興行が元気イコール番組の視聴率が伸びるというわけではないみたいです。00年代に入ると放送時間は54分から30分に縮小されました。現在もそのままです。

ワープロの成り立ちについてもうちょっと濃い情報を知りたいよ、というdigりマンな貴殿には以下の書籍などいかがでしょうか。

そこそこ以前の書籍になりますが、栗山満男氏著『プロレスを創った男たち―あるTVプロデューサーの告白』です。ワープロ初期のプロデューサーだった方による手記ですね。異種格闘技戦でお馴染み、特番の『水曜スペシャル』も手掛けたことで高名です。
この書籍から見ると、タイガー・ジェット・シンの登場辺りからプロレス団体とテレビ局の打ち合わせがなくなったっぽいことが分かります。要はテレビ局側も我々と同様に、何が起こるかほぼ分からない状態になったと。デリケートで勘違いを呼びそうなのと、digる人の面白味が薄れそうなのでこれ以上は掘り下げません。
詳しくはもちろん読んでいただければ鮮明なのですが、もう一点触れるならば、昭和54年ごろから世界のあちこちに飛び回って中継を実現させているのが分かります。これはちょっと現在の風景にも通ずる。

昔からの友人であって番組Pでもある下島氏に訊いたところ、ワープロの感想をTwitterでサーチしてみると番組批判とか結構あるらしいんです。ただしこれ、サイレント・マジョリティがいた上でなんじゃね? とアタマの片隅に意識して読み取っていただきたい。番組批判がダイレクトに届くし可視化されるけど、それがラウド・マイノリティだとして、それにイチイチ返答したり言及するわけではありません。
下島Pと飲みに出ると、お店の大将とかによくワープロの話を振ったりすることがあります。飲食店のオーナーさんたちは土曜の夜の終わりが遅いってこともありますが、結構ワープロ視聴者だったりするんです。それ以外でも、俺がプロレス好きだから頻繁に会話には登場するもんで、よく返ってくる言葉が「あ、俺もプロレスたまに見るよ。深夜にやってるやつ」です。圧倒的に多い。「じゃ一回行ってみます?」なんつってノアやデスマッチに連れて行く俺はかなりの悪人になってしまうのですが、身近な例で考えただけでもマジョリティがサイレントしてますよね。

新日本プロレスは世界ナンバーワン米インディー?

ワープロ自体、そして新日本プロレスを取り巻く環境は、45年の歴史の中から比べても、現在は激変していると言えます。ワープロというインフラがあって、その奥に月額課金制の新日本プロレスワールドがあって、BS朝日での『ワールドプロレスリング・リターンズ』もある(しかしリターンズは終了してしまった。テレ朝チャンネル2『俺の激闘』もおススメ)。Abemaでも新日本プロレスの試合を放送しているので、現在はこちらも一つのインフラになっているかと。
これは私の持論ですが、今の新日本プロレスは世界ナンバーワンのアメリカンインディーみたいな感じで捉えてます。これは注目するために自分が決めていることでもあるんですが。だから全然共感しなくて大丈夫です。
カウンターカルチャーに傾倒しがちな俺みたいな人間って、新日本プロレスは主流になるからそこへの反発エネルギーで形成される世界観を好むロジックになりがちなのですが、WWEがあまりに巨大すぎて、新日本プロレスがカウンター側に位置する見方をしてしまうこともあるんです。正確に言うと、名だたる米インディーの選手がこぞって新日本プロレスのリングに集うからなのですが。ALLINのあり得ない予算規模や、生え抜きの選手がどうこうって話はまた別。
ケニー・オメガとウィル・オスプレイの試合が、深夜にテレビつけていたら無料のチャンネルで普通に見れてしまう。これ、海外のプヲタからしたら超羨ましがられるぐらい、あり得ないというかやっぱり日本はプロレス天国なんですよね。

外国人参戦選手が豪華すぎるから、対海外戦略も加速していき、新日本プロレスがサンフランシスコで興行を打ったり、団体の環境も激変。下島P自ら渡米し、結果これがワープロで放送されました。ベイダーが亡くなってしまった追悼番組時には、物議を醸したベイダーとオスプレイの一戦のVTRを差し込むなど細かい部分ではありますが、だいぶ変化してるわけです。これだってわざわざRPW(レボリューション・プロレスリング)から映像を借りてることになりますよね。ROHだけではない。栗山氏が書いている昭和54年ごろからのくだりはここに通ずるわけです。鈴木みのる選手が実現させた『大海賊祭』の中継だって結構特殊ですよね。

番組の個性が見えた方が活性化するかも?

遡れば、LAはグランド・オリンピック・オーディトリアムにてアントニオ猪木のUNヘビー戦中継、藤波がWWWFジュニア王座を戴冠したMSGからの中継や、アメリカからだけではなくメキシコ、カナダ、韓国、ブラジル、ドイツなどから中継を行っていたこともあります。なのでもともと『ワールド』を名乗るだけの番組であると。栗山満男氏の書籍を読んでもこれは分かります。

栗山氏のほかにもこういった書籍が出ておりますが、大抵「元○○」となってしまいます。元ディレクター、元プロデューサーとか。
現役の人が発信するのは、プロレスという特性上なのかテレビという世界の特性上なのか、小難しいことがミルフィーユ状に重なって実現がなかなかされません。

現代の更なる細分化はご承知の通りです。日本ではもちろん世界でも無数のプロモーションが存在します。しかもSNSなどを通じてすぐさま情報が共有される。多くの所属選手がより様々な団体に出ているので、仕事ぶりもおそらく全く違うと思うんです。だから番組を作っている現役の人の話が面白い可能性が高い。そういうのをもっと表立って聞いてみたい。

なんで俺のnoteでこんなことやってんだよって話ですが、強いて言えば他の媒体が話を聞こうとも思っていないからでしょうか。それはもしかしたら軽視されてるからかも知れません。有難味が薄れるのはインフラの宿命ですけども。それと、ワープロが一つの媒体だからってのもありますでしょうか。番組を作っている人の個性を出す必要性の是非を問われると難しいですが、『水曜日のダウンタウン』や『アメトーーク!』など番組を作っている方の書籍って結構出てますし、作り手の意見を出力して、受け手に影響を与えるのもアリでしょう。見る方の教養や感受性については、『これでいいのだ。―赤塚不二夫対談集』で赤塚氏とそのお相手も散々仰っておりましたよ。ワープロが一方通行の伝え方に区切りをつけて、相互メディアのテイストを得て繁栄していけばそれ以上のことはありません。なくなったら困るから。

ワールドプロレスリング|テレビ朝日
番組公式サイト:https://www.tv-asahi.co.jp/wrestling/

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?