アンジェリーク外伝はいいぞ。

何気ない会話が実は非常に高度な演技力を要するというのをよく聞くが、それを意識したことはあるだろうか。
私たちの会話には必ず意図がある。言葉を投げかける相手によっては、本人が気付かないだけで無意識的に声のトーンを変えているものである。いや、あえてそうする人もいるかもしれない。また、その言葉を伝える意思があるかどうかも、声の発し方によって分かるものである。その意図を台詞から読み取るのが、プロの声優である。
前置きが長くなったが、何故このようなことを言い出したのかというと、『アンジェリーク外伝無限音階』で非常に印象的に残った場面があったためである。
それはゼフェルとマルセルの会話シーンである。
場面説明のないドラマCDの会話で、何故こうもキャラクターたちが生き生きと動き出すのか、聴覚的に得た情報が視覚的に脳内に呼び起こされ、キャラクターの視線や動き、彼らが過去に見てきた出来事さえ手に取るように分かるのか、それが不思議でならなかった。
「この脚本は凄い」
CDを聴いた誰もがそう感じただろう。音でしか表現されていないのに、私は一つの映画を観ている感覚でいた。「台本に再構築すると、どんな場面が仕上がるだろう」と好奇心がくすぐられ、書いてみたは良いが、これは一体どういうことだろう。それらの台詞を文面に書き起こすと、彼らの激しい感情動きは一切読み取れない、非常に簡素な場面が出来上がったのだ。
これはおかしい。何故だろう。
彼らは確かに過去を見ていた。星や命の尊さを語っていた。それなのに文字にするとただの状況説明でしかない。
私の文章だけでは当然伝えきれないため、ドラマCDを持っている方は、是非聴いてみて欲しい。そして、字だけの文章と発する言葉の重みを比べてみて欲しい。そこにいかに高度な演技力が問われているかが分かる。


さて、ここからが本題である。
先程から私が指している場面は『アンジェリーク無限音階vol2』の『襲撃』の場面である。このシーンのゼフェルとマルセルの台詞を、私が書き起こした文章のみの情報で読んでみて欲しい。ト書きは無いが、そこは貴方の感性で読み解いて欲しい。

「よぉマルセル。コレ、何だか分かるか?」
「えっ?今拾ったの?う~んと…丸くて滑らかだけど、貝殻じゃないよね?石にしては光ってるし…」
「コレはな、セラミック合金の欠片なんだ。この星は昔かなり高水準の科学文明を持っていたんだな。海ばっかりの星だから、海上にも都市を作ってたんだろ。それが壊れて、砕けて、流されてきた破片がコイツなのさ」
「へぇ…そんなことまで分かるんだ」
「あの沖の方を見ろよ。点々と小島みたいのがいっぱい見えるだろ?みんな海上都市や大きな船の残骸だよ。」
「あっ…あれが全部そうなの…⁈」
「うん。きっと無事なのはガーディアン達に守られたあの白い都市だけなんだろうな。皮肉だよな。時々オレ思うんだよ。鋼のサクリアってのはなんて怖い力なんだろう、人間を幸せにするより不幸にすることの方が多いんじゃないか…ってな」
「ううん。僕は違うと思う」
「現に、この星みたいに科学を極めると、あとは滅亡に向かって一直線ってケースがあきれるほど多いんだぜ?守護聖になってからそんなもんの後始末ばっかりだよ。ったく馬鹿だよな人間ってのは」
「僕は…僕たちの持つ力はどれも残酷な一面を持っていると思う。ゼフェルだけが特別じゃないよ」
「おめぇでもそんな風に考えることがあんのかよ?」
「うん……美しい緑の森だって、時には人間に暴力的な力をふるうこともあるもの。コントロールの利かない分、文明より自然の方が恐ろしい。けれど、やっぱりなくてはならない大切な力なんだ」
「そうか」

文字に起こすとたったこれだけの台詞量なのだが、声で聴いた時、私はこの場面が非常に長く、それこそ永遠に近い時間が流れる空間に感じたのだ。守護聖の一生を物語っている虚無さえ感じた。
そんな切ない場面のはずが、台詞だけ読むと、前半部分はゼフェルがいつも通り自身の知識を持ってセラミック合金の欠片やアクアノールの文明をただ説明しているだけに捉えられてしまう。そして、ゼフェルによるただの解説として読んでいくと、途中で違和感を覚える。それが「皮肉だよな」という台詞である。
そこからゼフェルの鋼のサクリアの話に変わっていくのだが台詞の流れが急ではないだろうか。いや、台詞で聴いたときは非常に情感たっぷりで多くの感情が交差するシーンだったのである。
私の感性が乏しいせいか、やはり文字だけではこの場面の感動を読解できないため、今一度ドラマCDを聴き、順に解説していきたいと思う。いや、解説というよりはただの感想に近いため、あまり深く考えず読んで欲しい。


「よぉマルセル。コレ、何だか分かるか?」
「よぉ」というこの一言でマルセルとの距離感が分かる。私自身が思っていた以上に喋り方がいつものゼフェルらしくなく、どことなく寂しげな声。「コレ」と「何だか分かるか」の間に微かな間。何か別のことを言いかけたと思われるが、思いとどまりまず「コレ」について問いかけたのだろう。ゼフェルが時折見せる切なげな表情や寂しい空気間をこの一言で一気に作り上げるのが凄い。私がその空気に引き込まれたのは、まずこの台詞からだったのだろう。
それに対しマルセルはゼフェルの持つモノに関する口頭説明を行う。ゼフェルの問いを純粋に受け止めており、喋り方にも緩急があるため変に説明臭くない。
「コレはな、セラミック合金の欠片なんだ」を切っ掛けに、ゼフェルの視点が現在から過去ヘと切り変わる。
「この星は昔かなり高水準の科学文明を持っていたんだな。海ばっかりの星だから、海上にも都市を作ってたんだろ」
声だけの演技で目線が遠く感じるのは流石である。アクアノールを冷静に分析しているが、ゼフェルが過去に見てきた星々と比較して語っているため、どことなく哀愁が漂う。比較しているというのは口ぶりで感じ取られるだけで、本当のことは分からないが、言い方が妙に穏やかで切ない。次の台詞へ入る前の間が「これらの情報を分かりたくて分かるようになった訳ではない」という彼の苦悩を感じさせる。
「それが壊れて、砕けて、流されてきた破片がコイツなのさ」
過去に崩壊していった星を思わせる言い方。「コイツ」は決してセラミック合金の欠片だけではなく、砕け散った星々の欠片を指しているのだろう。それが声の演技だけで分かるのが本当に凄い。
マルセルはただ呼応するが、彼が純粋にゼフェルの言葉を受け止めるからこそ、次のゼフェルの台詞を引き出せる。ただの感心ではなくマルセルの優しさを感じられる台詞。
しばらく間が合った後「あの沖の方を見ろよ」と話を切り出す。マルセルの受け答えの仕方によっては、次のこの台詞は出てこなかったと思われる。マルセルに聞いてもらえると分かったのか少しゼフェルの感情が浮上したように感じる。
「点々と小島みたいのがいっぱい見えるだろ?みんな海上都市や大きな船の残骸だよ。」伝えたくて、でも言いにくくて、なんでこうなってしまったのかという苦悩が滲む。特に、勢いで言い切ろうとしたがやはり出来ず、言葉が弱くなってしまった「大きな船の残骸だよ」という台詞がとても切ない。本当は大きな船だった。だけど今はあんなに小さい。「大きな」という言葉の意味とは対照的に遠くを見るような、弱く感情を抑えている喋り方が印象的。
「あっ…あれが全部そうなの…⁈」
私にはゼフェルを見ながら話を聴いていたマルセルが「あっ…」と目を見開き、残骸を二度見した後、ゼフェルに向き合い、衝撃や現実を目の当たりにした絵が見えた。この台詞でマルセルはゼフェルが言いたい言葉の意図を感じ取り、改めてゼフェルの心に向き合ったと思う。
「うん。きっと無事なのはガーディアン達に守られたあの白い都市だけなんだろうな」
マルセルの発言に間髪入れずに頷いた後の「間」がまた長い。ゼフェルに向き合ったマルセルとは逆に、ゼフェルはまだどこか遠くを見つめている。それは、目の前の残骸という現実か、砕けた過去か、この先滅び行く未来か。マルセルへ伝えているはずなのにどこか独り言のように感じてしまう。
そして台詞を言い切った後の間も非常に長い。今のゼフェルの心境は張り詰めた糸の様にギリギリの状態で、切れてしまったら恐らく自分でも感情のコントロールができないくらい追い詰められているのだろう。
そして溜息を出してようやく発した台詞が「皮肉だよな」である。肯定を求めるかのような、自身を嘲笑うかのような、なんともやり切れない言い方と言葉である。何故ゼフェルからこんな台詞が出てきたのか。言いたくなくてもそれが現実だ。自身の力が破滅の道へ加担してしまった。自分のせいだ。彼は何度こんな罪悪感に襲われ、自身の力を否定し続けたのだろう。重苦しい感情を押しこらえて、乾いたようにサラッと言ってしまうのがしんどい。ゼフェルらしくてゼフェルらしくない。しんどい。
そしてここから今までの台詞の布石を回収するかの様に、彼の核心へ迫っていく。彼が誰かに言いたくて言えなかった言葉の全てであろう。
「時々オレ思うんだよ。鋼のサクリアってのはなんて怖い力なんだろう、人間を幸せにするより不幸にすることの方が多いんじゃないか…ってな」
「怖い力なんだろう」というのにゼフェルの葛藤が滲み出ている。そこまで否定することないのに、感情が追い詰められてしまい、言いたくないこと、普段考えたくもないことを口走っている様に思える。否定して欲しいのに肯定を求めるかのような口振りが素直ではない。いや、肯定して欲しいことも事実なのだろう。
「ううん。僕は違うと思う」と間すら与えず、すぐに否定できるマルセルの優しさよ。ゼフェルに向き合っているからこそ、彼の感情を受け止めようとするが、ゼフェルが一人で抱え込んでいる感情が大きすぎて、補う台詞が出てこない動揺が見える。それでも言葉を続けるつもりであったが、ゼフェルに「現に」と遮られ、言葉を飲み込む。
「この星みたいに科学を極めると、あとは滅亡に向かって一直線ってケースがあきれるほど多いんだぜ?守護聖になってからそんなもんの後始末ばっかりだよ。」
台詞のテンポが徐々に速くなり「あきれるほど」から語尾に向かって今まで抑えていた怒りがこみ上げているのが分かる。お前は知らないんだろう、なんでオレばっかり、と今までぶつける場所もなく一人で吐き出していた感情が、ようやくマルセルに向く。完全に向き合ったわけではなく、多方に向いている感情の一つがマルセルに八つ当たりの様にぶつかっただけではあるが、独り言ではなくなっている。
「ったく馬鹿だよな人間ってのは」
 感情的になってしまい、八つ当たりをしている自分に気付いて、冗談めかそうとしたが、誤魔化し切れない。泣きそうになるため話題を変えようとしても、上手く笑えない自分にとまどっている様にも感じる。鼻をすする表現は絶対ト書きにないはずだが、ゼフェルの感情になったからこそ出たものなんだろうと思う。
ゼフェルとしては、これでこの話は終わりのつもりだろう。いつものテンションに戻って、みんなのいる場所に戻ろうと切り出すに違いない。これ以上踏み込んで欲しくない(本当は踏み込んで欲しいけど、期待していない)そんな言葉切れであった。
しかし、マルセルは受け止めた。受け止める時間は少しかかったが、ここで「僕は…」と、切り出さなければ、会話を終わらされてしまうため、ゼフェルに聴いて欲しくて声を発したのだろう。考えていることはまとまっていなかったと思うが、それでも一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐことで、言いたいことがまとまっていったような感じがする。
「僕たちの持つ力はどれも残酷な一面を持っていると思う」冷静に落ち着いて自分の経験を思い浮かべて発していく。そして「ゼフェルだけが特別じゃないよ」と、独りで抱え込むな、勝手に自分ばかり特別だと思うな、という怒りや悲しみも感じる言い方が印象的。マルセルの優しさの全てがこの台詞。
「おめぇでもそんな風に考えることがあんのかよ?」
この台詞でゼフェルがマルセルにようやく向き合う。ハッと気づき、気持ちが浮上したような声で問いかける。嬉しかったのだろう。字面だけみると「嘘だろ?本当か?」と疑いを持ったような言葉なのに、ここのゼフェルは純粋にマルセルの次の言葉を待っている。
「うん……美しい緑の森だって、時には人間に暴力的な力をふるうこともあるもの。コントロールの利かない分、文明より自然の方が恐ろしい」
目線はゼフェルに向けているが、言葉は自身の内側にも訴えかけている。そして今までの過去や経験とも向き合っている。相手に言葉を飛ばすこと、自身に言い聞かせること、それを両方行える演技力が凄い。
「けれど、やっぱりなくてはならない大切な力なんだ」自身を認め、ゼフェルも認める。なんて心の強い子なんだと思う。裏表のない優しさではっきり言い切ってくれてありがとう。そして、ゼフェルの息遣いがまた見事。彼は最後自身と向き合って、嬉しそうに、そして安心したように「そうか」と呟くのである。この言葉の裏には間違いなく「ありがとう」が隠れている。

何が言いたいかって、たったこれだけの台詞からこんなに沢山の感情を感じ取り、声として表現できる声優さんって凄い。
それだけ。
私はこの台詞だけでこんな感情の動きを説明できないし、表現できない。溜息や間なんて台詞にもト書きにも絶対書いていないのに、なんでこんなに切なくて苦しくてやり切れない場面が出来上がるの。凄くない?
書き終えて読み返すと、彼らのやり取りがハイレベル過ぎて声優さんじゃなくてうっかりキャラを見ている自分がいた。声優さんの演技について語るつもりが、キャラ同士の感情の動きを中心に書いてしまった。
私がこれらの台詞の言い方から感じ取ったことなのでこれがキャラクターの正しい感情か、声優さんが表現したかったことなのかは正確には分からない。しかし、少なくとも今回台詞を書き起こした時、私はこの台詞だけでここまで沢山の情報を得ることはまず出来ないと思った。演技を聴いているからこそ、キャラクターの繊細な感情の動きが深く明確に分かる。
この台詞からここまで掘り下げるか、というくらいゼフェルやマルセルの背景をしっかり理解して背負ってくれている。おかげで彼らの知らない一面に気付かされる。
こんなに良質で巧みな演技を聴ける四時間超えの長編ドラマCDはまずないから、是非聞いてみて欲しい。持っている人は聞き直してみて欲しい。これはドラマCDだからこそ出来る表現なのだと気付くはずだ。小説にすると状況説明が多く、美しい間を表現出来ない。またキャラクターの些細な感情の動きをくどくど説明するのも無粋に思える。映像の様に視覚化すると、表情が既に付いているキャラクターへ声を当てるため、絵と解釈を合わせた表現になってしまう。絵が台詞を引っ張り、感情的になり過ぎるとどちらかが浮いてしまうことになる。つまり、ドラマCDの様なキャラクター同士の感情のぶつかり合いや、独自の間を持たせることが出来なくなるのだ。音のみで表現するのは非常に難しいが、ドラマCDは制約がない分、より生きたキャラクター達に出会える。それは声優さんの演技力と、物語のためだけに作り上げられた音楽あってのことだ。
おそらく、こんなに質の良いドラマCDに巡り合えることは、この先あまりない気がする。

アンジェリーク外伝はいいぞ。

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