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私と鶴の不可解な思い出


鶴とは。

天然記念物。
頭のてっぺんが赤い。
白と黒。
羽を広げると2.5メートル程あるらしい。
結構でかい。


私が持つ鶴の知識はこんなものだ。
とにかく“珍しい鳥”という確固たる事実は勿論昔から知っているし、ごくたまに見かけた時は「おおっ」となる。
その鳥。タンチョウ鶴。天然記念物が。
自分のすぐ横、すぐ隣に佇んでいるとしたらどうだろう。

いやいや絶対そんな事無い。考えられない。
保護や飼育をしている、もしくは餌やりをしている場合にはあり得るだろうが、まず無いと言って良いだろう。
……え?ある?あるの?え??

はい。私、実はあるんです。

もうかれこれ十年以上も前、私がまだ結婚していた頃の話しになる。とは言ってもすっかりお互い冷めていた記憶があるので、そんな背景も踏まえて読んで頂きたい。(どんな気持ちで読めと)

ある日のこと、当時の夫が軽い自動車事故を起こした。幸い怪我人が出なかった事が救いだったのだが、車の修理等諸々の事情があり、私も一緒に相手方の自宅まで菓子折りを持って頭を下げに行く事になるのだが、それがまた地元ではなく結構遠い地域にお住まいの方だったからさあ大変。
運転に自信を無くした夫の代わりに長距離運転はかなりの確率で眠くなる私が運転手、という若干のリスクを含んだ道中となったのだ。

急カーブ連続の山を越え、突然現れる海にギョッとしながらも静まり返る車内。
普段からそんなに話す事も無いし、本人かなり落ち込んでいる様子だったので更に話す事も無いし(私は上手く励ませない人間なので……)、これから謝罪に行くという何とも言えない恐怖感、かつ、いつも以上に運転に気をつけなければいけないという謎の緊張感があったのを覚えている。

かなり複雑な場所だった為、迷いながらもナビを駆使しながらようやく辿り着いた頃には、もうすっかり昼下がりの時間になっていた。
一軒家がまばらにあり家と家との距離はかなり広く、とりあえず敷地内と思われる草地に車を停める。そしてすぐに異変に気付き、動揺する。
ただでさえ色々な緊張でおかしくなりそうなのに、目の前にある光景が更に私を狂わせた。

民家の敷地内に、鶴がいる。

その辺の草っ原に何匹もいる。

待って。ここ一般的に鶴がいるはずの場所じゃない。何ならいないはずの場所。

何で 鶴が ここに いる !?

「……鶴……」「……うん…」

よりにもよってこんな時に。こんな言葉しか出てこなかった。
それ程にまで様子がおかしい二人は“目の前に天然記念物が何匹もいる”という非常に不可解な状況をうまく飲み込めず、喜べる心境でも無いので鶴を横目に玄関へトボトボと向かった。
そしてその後を何故か付いて来る鶴。いや付いて来るなし。

ピンポン、とチャイムを押して間も無く家の方がドアを開け「何だ、また来たのかい」と一言。決してこれは私達の事では無い。鶴の事を言っているのだ。なるほど、日常茶飯事……。
そこから夫とひたすら頭を下げ続けた。そんな私のすぐ横には鶴。お怒りの言葉を真摯に受け止めながら、隣で鶴がバサッ!と羽を広げる。でかい。怖い。頼む、つつかないでお願い。
そしてまた頭を下げては隣の鶴がケェッ!と鳴き私を脅かし、夫と家の方がお話ししていて私は蚊帳の外の時には二匹目が寄ってきて気が気じゃなくなる。

もう早く終わって欲しかった。
この訳のわからない状況から逃げ出したかった。
目の前の方への申し訳無さと久々にお叱りを受ける怖さ、そして真横にいる天然記念物に脅かされるという不条理。

神様、私は何か前世で罪を犯したのでしょうか。

この時ばかりは自分は呪われてるのかと思った。
隣に羽をバサつかせてる天然記念物を珍しがる事も出来ず、写真を撮る事も出来ず、浮かれる事も出来ない。何て事……。
当時の心境的にも「この鶴なんなん」という気持ちにしかならず。
まさか一緒にお叱りを受けてくれていたのだろうか。いや、きっと餌を待っていたのかもしれない。絶対そうだ。

しかしこんな事があって良いのだろうか?
こんな体験など私には不要なのだ。それなのに訳のわからない不可解な出来事が時折訪れてしまう。
鶴を見てキャッキャ言いたかった。
嬉しそうにスマホを構えて写真を撮りたかった。
あんなに近い距離にいた事に興奮したかった。
私と鶴との楽しい思い出になるはずだったのに、何故……(全私が泣いた)

帰る頃には夜になり、来る時よりも更に運転は困難になった。
今度は大量の鹿達が山から降りて来たのだ。ちょっと走ったら鹿、動いたらまた鹿、気を抜いたら鹿、鹿、鹿、たまに狐、鹿……もうお腹いっぱいだから!野生動物は山に帰ってくれー!
と、本気で泣きながら約20キロ走行ぐらいの低速運転で帰った。心身ともに疲れ果てていた。
家に着いてようやくほっとして、号泣しながらカップヌードルをずるずる啜った。
どうして自分はいつもこうなのだと、自分の生きづらさにこじ付けて己を呪った。

身長は140〜150cmあるらしい。でかいのだ。
非常に貴重でありがたい鳥なのだ!それなのに!笑


そんな不可解な話しも、年月が経てばこんな風にブログのネタになる。
もうあんなどう考えてもおかしい出来事は二度と起きないだろう。いや、起きてはいけない。人間は天然記念物に邪な感情を持ってはいけないのだ。
頼むからどこかに行ってくれ!だなんて思ってはいけないのだ。
かなりの低い確率で住宅街の上を飛んでいく鶴を発見した時には、勿論そんな気持ちは無く「おお!」と、漲るラッキー感で満たされる。
それでいいのだ。

天然記念物と人間は、適切な距離が大事なのだという話しだ。

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