コンテンツデフレに抗いたくて、まずはnoteはじめました。

最近、空き時間をなんとか捻出しては、NETFLIXやAmazonプライムビデオなどの動画プラットフォームでよく動画を見ます。

多くは、何かをしながら手軽に見られる30分~1時間のドラマばかり。ゴシップガール。孤独のグルメ。俺のダンディズム。SPEC。ケイゾク。あぶない刑事。空飛ぶタイヤ。推定有罪。隠蔽指令。趣味が出ますね。

動画という無機質な言い方が勿体ないくらい、リッチなコンテンツが盛りだくさん。見ても見てもまた新しいコンテンツがおすすめされてくる。コンテンツのお風呂にどっぷり浸かっている気分。

あんなにテレビが好きだったのに、最近はテレビをつけないことも多くなりました。「だって、テレビって途中から始まるから」という大学生の答えが話題になりましたが、その通りかもしれません。

贅沢すぎるコンテンツに溺れる一方で、同じくコンテンツメーカーに身を置く者としては一抹の焦燥感と背徳感を覚えます。

だって、これらのコンテンツは、月額数百円~1000円程度のプラットフォームに乗せるにはあまりにリッチすぎるから。テレビの広告費や映画の入館料といった形で一度ペイできてしまっているコンテンツだからこそ、動画プラットフォームにのせることでプラスアルファの収入を得られたり、続編や最新作のプロモーションに活用できたり、といった一定の利点はあるんだと思うんです。

でも近い将来、二次利用できるコンテンツが尽きてしまったら?一からこういったプラットフォーム用のコンテンツを作ろうと思ったとき、今公開されているラインナップほどの制作費をかけられるんでしょうか。おカネをかければ良質なコンテンツができるというわけではないとは思いますが、コンテンツの質、ジリ貧になってしまわないんでしょうか。

もちろん、コンテンツは見てもらってなんぼですから、多くの方の目に触れるような流通方法をとることは重要なことです。

ただ、これからは動画も写真も文章も音楽も、あらゆるコンテンツが無料や定額のプラットフォームにのらないと、もはや消費者に気づいてもらえないような状態になるのではないでしょうか。もしくは無料のSNSに流すか。のらないと食べていけないし、のっても食べていけるだけの金額の収入が確保できないとあっては、良質なコンテンツの作り手が生まれにくくなります。

ある有名作家さんがおっしゃっていました。「今の日本で、作家としてだけで生計を立てられている人は、100人いないのよ」と。コンテンツ大国日本の文筆業は、実はこんな現状にあるのだそうです。

静かに進行している、コンテンツの強烈なデフレ。活字中毒でありコンテンツ中毒者である私は皮膚感覚として、怖いのです。

一方コンテンツ制作者としての私はもっと巨大な恐怖と焦燥を抱えた揚げ句、一旦ペンを置いて、新規事業開発やR&Dを担う今の部署に移りました。コンテンツ制作を担う人間が果たしてこれから食べていけるのかという問いは、そのまま自分自身の存在意義への問いでもあり、またそのまま現在のミッションにも繫がっています。

職場で以前、加藤貞顕さんとお話させていただく機会に恵まれ、noteの設立理念をうかがい感激しました。

ということで勇気を出して、noteを始めます。ここまでお付き合いいただいた奇特な方、ありがとうございます。これからどうぞよろしくお願い申し上げます。


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