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今年はどんな年でしたか

2023年、年の瀬が近付いてきました。
私は、仕事の方も一段落し、今までと比較しても落ち着いた年末になろうかと思います。


さて今回は、今年について思う事を、少し振り返ってみたいと思います。私の抱いた感覚と比べてみたりして最後まで読んで頂ければと思います。

2023年をまとめると

大工職人、自然農と向き合います

みなさんは今年はどんな1年になりましたでしょうか?
昨年より気持ちが良い年を過ごす事は出来ましたでしょうか
私自身は、今年も変化した1年と新たな発見の1年だと感じますので、期待値が高まる1年でした。しかし社会の様相はまだまだコロナウイルスの猛威から抜け出す事ができておらず、今年一年についても落ち着きが取り戻せず、翻弄されてしまっているような一年と感じます。

いつの時代も本質は変わらない

植物を観察できる喜びを感じます

多方面の情報収集は、昨年以上にインプットできたような気がします。社会の様々な問題、政治、宗教、世界情勢、地球環境、エネルギー、植物などなど。その一つ一つをきっかけとして、自身の食の大切さ、心の豊かさについて、考え方を深める事ができた事と思います。
各分野で異なる問題が発生しているように感じた事もありますが、私たちの生きる指針のようなものが見つかると、分野が異なっても問題の本質というのは、あまり大きく変わらないような気が致します。人が科学的な根拠で、推進しても、見えないところで、副作用が起き、それをまた打ち消すような形で、イタチごっこに。
仏教の考え方を少しづつ進めて行くと、自然農について学ぶ機会も得ました。植物の営みの世界観が、人間社会から、大宇宙までとてもよく似ているなと感じる事が出来ました。来年以降は自分自身も、植物の世界に触れ、答え合わせを行いながら、考え方に磨きを掛けて行きたいと思っております。

コロナとマスクとワクチン

花火大会も緩和されました

今年の社会の関心事の一つに、マスク着用の有無。コロナワクチン等があげられますが、自身の体験から少し思いをつづります。
様々なイベントも徐々に再開され、わかりやすい形でコロナ前の日常を取り戻せてきました。一方で、人の意識や、行動レベルでは、まだ落ち着きを取り戻せておらず、行動による選択が迫られているのではないでしょうか。ワクチンについても消極的だった立場から、いつしか反ワクと呼ばれるようになり、区別されてしまうようになったことで、対立構造が出来上がってしまったように感じます。

コロナ禍以前の生活

大工さん特製、木枠窓

日常生活が戻ってきているとはいえ、初対面の方や、街中の方と接する際にマスクの有無について、とても気を遣うようになった事は、昨年以上だと思います。昨年は同調圧力のせいかマスクをしている方が大半を占めておりましたが、今年に入り自由化する事となりました(もともと自由なのですが)

それぞれの考え方は様々ですが、マスクの着用の有無という事がその人の考え方を示す一つの指標となってしまったのではないでしょうか。
理由は様々で、特に否定等はできるものではありませんが、その考え方の選択が、第一印象を決定づけてしまっている事は少し残念なように私は感じます。初対面の人と接する際には、第一印象は、与える影響がとても大きいです。社交の場では、好感を持てるかどうかは、第一印象で決まる。などと言われていたもので、自分自身も受ける影響が大きいなと思っております。

第一印象の与える影響


姫リンゴ

そんな中で、人と会った際、まず初めに思う事は、その人がどのような表情、身だしなみであるか、という事よりも、マスク着用の有無を意識している事であると思います。複数人で会った際にも、大多数がしていて、未着用が少数派の際には、どのタイミングで相手に問うかなどを考えたりしてしまっています。あまり気にしなくても良いとも思うのですが、何も言わない事も、自分の意見(立場)を相手に押し付けてしまう事になりますので、問い方、タイミングを含めて、まだまだ配慮が必要な事と感じます。ちなみに私は、マスク着用については、特にこだわりがなく使用しない事がほとんどです。今年に入っても風邪や、粉塵の多い環境下以外では、数える程しか記憶にないです。

ただし先にも伝えた通り考え方を、相手に押し付ける事は出来ないので、お客様のお宅に上がる際も、こちらから確認を行ったり、相手から着けて欲しいと言われれば、それを拒むことはありません。

区分け社会

古墳

いろんな情報を手にすることが出来るようになった私たちですが、必ずしも全体主義が良い方向に進むものではないというのが、今年に入りよくわかりました。本質は、いつの時代でも変わらないはずですが、なかなか街中でも、マスクを外せない方が多くいらっしゃるという事は、情報の発信方法と、受け取り方の違いでしょうか。全体の大きな思考は、変える必要が無いと思いますが、なんでも区分けしたがる今の社会情勢については、違和感を感じます。みなさんはいかがでしょうか。

着用の有無については、個々の健康に直結する問題ですので、一人一人の考え方を尊重したいと思います。着用しない理由としては自身の経験からこんな例(理由)があります。

不織布マスクの効果

解体作業中

リフォーム工事の解体等で粉塵が多く発生する際にマスクを着用する事があります。普段は工事用のいいマスクをしていますが、持ち合わせていないときには、徳用の不織布をすることもあります。そんな際、使用後のマスクの裏面を見ると、口や、鼻の触れている内部にホコリが多く付着してしまっていることがあります。箱の表記には微粒子99%カットや、花粉ウイルスカットなどが書かれているのですが、それよりも大きいホコリが内部にまで到達してしまっているのです。
また不織布マスクは、使用をある一定の期間続けると内部の不織布がほどけてしまっている事が多くあります。知らずに呼吸をしているうちに、不織布のクズのようなものを直接吸い込んでしまう事にも大きい不安を抱いてしまう事があるからです。

一人ひとりの思いを大切に

マリーゴールド

私たちは日々気づかないうちに多くのストレスを抱えて生きてしまっています。周囲の環境を変えていく事は、難しいですが、自分自身の考え方を変えていく事は出来るはずです。変化の激しいこれからは、思った通りの理想の日常とならない事もあると思いますが、必要な事は、自分の考え方にプラスして変化を受け入れる事だと思っております。さまざまな自分の気づきは、自分が生きる上で大切な欠片だと思います。その欠片(疑問など)に蓋をしていくのではなく、一旦自分の中にしまって、解釈、観察していく事が必要だと思います。小学生時代に抱いた宇宙空間の神秘的な不思議さについて、点であった疑問が、少しづつ線のように繋がっていく感覚は、これからの農を通じて、生きる楽しみとなりました。

小さな原子から大宇宙の世界

藤の木、生命力を感じます

そんな小学生時代に感じていた、地球の神秘的な世界を静かに蓋をしてしまっている事に気づいた35歳ですが、まずは、この生まれ育った地球上の動植物(人間も含めて)の可能性と変化の様子を楽しみ、周りの方と共有していきたいとおもいます。

ぜひ次回の記事も楽しみにして頂けると嬉しいです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。

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