近江八幡からの京都リベンジ その5

京都での夜。ホテルの部屋の中まで花粉を持ち込んでしまったせいなのか、鼻づまりと目の痒みがひどくてなかなか眠れない。しかも3月初旬というのに5月じゃないかと思うような陽気で、なのに空調からは温風がでているのか、妙に蒸し暑い。浴槽の換気音も気になる…。くそ。なので壁にある設定パネルをあれこれいじって浴槽の換気扇を切り、空調はできるだけ低めに設定してみた。それでも夜中にも覚醒したりトイレに行ったり。なんか落ち着かぬ。とはいえ疲労のおかげかいつのまにか眠れていて、気がついたら朝の8時だった。いつもより30分は起きるのが遅い。
朝食はホテル1階に入っているTULLY'Sで、たしか8時から、だった。なので8時半ぐらいにたらたら降りていって食事券を渡すと、ホットドッグかパンケーキのどちらかが選べるという。で、パンケーキにしたんだけど、なかなかショボくて、数口でなくなってしまったよ。生野菜も、レタスがちょっとついているだけ。コーヒーは、まあまあだったけどね。朝食は軽く、な人にはこれで十分なのかも知れないけど、毎日フツーに食べてる方なので物足りない。まあ、朝食代付きの宿代を抑えるための戦略なのかもしれないけど。

窓外に見える京都の朝はすでにせわしなく、旅人も連なりいずこかに向かいはじめている。ふと、自分はいったいここで何をしているのだ? とか、哲学的に思索…しているフリをしてみたりして。

我に帰って本日の予定なんだけど、そもそも近江八幡のついでに京都に足を伸ばしたのは、去年まわりきれなかったスポットを訪れるためだ。あのときの嵐山では渡月橋と天竜寺、竹林の小径あたりをめぐり、でも常寂光寺ではすでに息も絶え絶え。念仏寺や大沢池へ行くのはあきらめて、なんとか落柿舎までたどりつき、そこから引き返してしまった記憶が生々しい。やはり1日で、しかも、徒歩での行脚は甘かった。なのでいつかはリベンジを! と思っていたんだけど、その機会は意外と早くやってきた。近江八幡にやってきたんだから、京都は目と鼻の先。ええい、行っちまえ、というわけだ。でも、あれもこれも、はやめて、嵐山では広沢池と大沢池、念仏寺の3つをクリアする。そして帰りしな、小野篁が現世と冥界を行き来したといういわく付きの井戸のある六道珍皇寺に寄り道する。というのも去年、帰ってから六波羅蜜寺に行ったことを京都の友人に話したら、その近くに魔界スポットとして知られる六道珍皇寺もあったのに、と言われて、心にひっかかっていたんだよね。
そしてさらに、もしまだ余裕があれば祇園の花見小路も素通りしたい。それだけできたら十分だ。てなわけで缶ビール1つ分軽くなった荷物を背負い、9時過ぎにチェックアウトした。

去年は、宿から近いJR丹波口駅から山陰本線を使って嵯峨嵐山駅に向かった。さて、四条烏丸からはどうすりゃいいんだ? で、地図を見ていたら、宿から西に少し歩けば嵐電四条大宮駅があって、そこから1本で嵐山までたどり着けるじゃないか。なーんだ。というわけで1kmも歩かず四条大宮へ。すると駅前で駅員2人が「もうすぐ発車しまーす!」と往来に向かって呼びかけている。なんとフレンドリーな。こんな電車初めて。しかも、料金は250円均一で、降りるときにPASMOをタッチすればいいようだ。
ゴトンゴトン…。都電とか江ノ電な感じの路線で、家々をかきわけつつ、はたまた路面を滑走しながらマイペースで走って行く。お客は近所のおっさんオバチャン学生生徒外国人観光客などなど、普段着な感じの人が多くて、なごむね。

そういえば『嵐電』という映画があったっけ。と、ふと思い出したりして。

降りたのは嵐山のひとつ手前の鹿王院駅。そこから北上して広沢池をかすめて大沢池、そして念仏寺、という腹づもりである。かわいらしい駅を降り、JRの高架をくぐり、突き当たるとせせらぎのような川にぶつかった。サギと鴨がエサをゆったりとエサを探している。川筋に沿って右折し、テキトーなところで橋を渡って北上、しばらく行くと広沢池の西端にぶち当たった。ああ、池だ。それ以上の感慨もなく左に折れると小さな祠があるのでちょっと覗き、横断歩道を渡って戻ろうとしたけどクルマの切れ目がないな、と思っていたら女の人の運転する軽自動車が止まってくれたので渡ろうとしたら突如の急ブレーキ音! 後続車が前をよく見てなくて追突しかけ、ハンドルを切り、危うくオカマを掘る(いまや差別用語?)のを回避した模様。いやー。1秒遅れてたら参考人として事情聴取されてたのかな。どきどき。

横断歩道を渡るとそこは佛教大学宗教文化ミュージアム。ちょっと寄り道。開催していたのは『中国前近代の貨幣』。なかなか興味深くて、しかも観客は私一人だけ。独占である。これまでの企画展のさわりも展示してあって、仏像の襞や渦巻き、腕などの彫り方についての話はとても興味深い。しかも、それらの企画展のときのパンフレットも置いてあって、ご自由にどうぞ状態だったんだけど、荷物が重くなるので泣く泣くパスしてきた。

ここから大沢池方面に向かう農道からの景色は、まさに絵に描いたような里山風景。北側には山々が連なり、周囲は田畑がのんびりと広がっている。すれ違う人もめったにおらず、農道横にはもしかして伏流水なのか、せせらぎの音。こちらの鼻から流れ落ちるは花粉症の鼻水…。てな案配で陽射しを浴びながらゆったり歩みを進めると、なにもかにも解けてきそうな気分になっていく。


野菜の販売所もあったよ。

そんな農道もいつのまにか両側は家々に挟まれ、住宅地を通り抜ける生活道路のごとくなり、いくつかの角を曲がってたどりつくとバス停が現れた。大覚寺の門前である。そうか、観光地なのでバス路線に組み入れられているのか。では、帰りはバスという手もあるな。路線図を見ると四条烏丸行きというのがあるではないか。祇園も近いし、ドンピシャ(死語?)ではないか。

それはさておき大覚寺。なんだけど、大沢池とのセット券てのがあって、ああそうか、大沢池は大覚寺の境内なのか。と初めて知った有様。な感じで靴をコンビニ袋に入れて上がり、堂から堂へとをうろうろしたんだけど、お寺というのはどこも似たり寄ったりだから、とくに印象がない。むしろ、寺内につくりこんだ庭園がないんだな、と思ったぐらい。まあ、大沢池を擁する、野趣あふれる広大な庭園があるということなのかも知れないけど。

そういえば大覚寺といったら時代劇のロケ地で有名で、『必殺シリーズ』だのなんだので使われているという話は聞いてるんだけど、そんな撮影はしておらず、代わりに結婚式後なのか、記念撮影みたいなのが行われていたよ。ホームページには禁止事項があれこれ載っているけど、お金になるならどうぞどうぞ、なのかな。これまた坊主丸もうけだな。

コースに沿って堂宇をめぐり、出口にでるとそこが大沢池のある巨大庭園。でも、六義園や後楽園のような大名屋敷の庭園みたいに丁寧な手入れがされている感じではない。ちょっと大きな池だけど、この程度なら一周しても負担にならんだろ。なので歩きはじめるとちょうど梅林が満開で香りが充満していたのがなかなか。とはいえ、こちらはとくに寺のいわれや歴史に関心はないのでとくに雅趣を感じることもなく、ヨロヨロと池のまわりを無造作に回って終了。京都市街地図を見ながら、次の目的地である化野念仏寺へと向かう道を確認し、再び下半身のエンジンを入れ直したのであった。

いいねえ、なにも主張しない看板。
古きよき時代がそのまま、な感じだけど、住んでる人は大変そう
ここまできても交換しない、取り外さない。

化野念仏寺というと、鎌倉時代あたりに見捨てられた死人の亡骸をまとめて葬った場所、というようなイメージだったんだけど、Wikipediaによれば開山は空海で平安時代のことなのか。空海は真言宗だけど、いまは浄土宗というのもよく分からんな。とにかく、勝手に思い浮かべていたのは、人里離れた地に荒れ果てた堂宇がはかなく佇んでいるような図だったんだよね。でも平安時代は1200年も前のことなんだから、そんなはずがないのは当然だけど。なので大覚寺からの道すがらは宅地が途切れることもなく、造成地があったり新築物件がみられたり、どこにもすさんだ雰囲気はない。だけではなく、なかなか観光地化していることにがっかり感もあったんだと思う。
それはさておき、念仏寺に近づくにつれなんだか下半身に疲労がまとわりつき、足取りも重たくなってきた感じ。これは、浮かばれない人たちの怨念が周辺エリアに充満しているからなのか。
しかし、念仏寺はどこなんだ? 路傍に「あと500m」というような看板もなく、見当はこのあたりなんだけど、まさか道を間違えたってことはないよな、といささか不安に思っていたら、突然、左手にゆるやかな石段が現れた。どうもその先が目的地らしい。

じわじわ登って行く。あまり霊気は感じない。最初に目に入る仏舎利は、あれは納骨堂なのか? 煤けたコンクリ造りであまり趣を感じないんだが。それを過ぎると本堂の前に、念仏寺の看板となっているらしい西院の河原があり、石仏・石塔がぎっしり並ぶ区画がある。とはいえ思いのほか広くはなく、こぢんまりと収まっている印象。石仏・石塔の数は約8千と書いてあったけど、そんなにあるようには見えない。スケール感では、東京・谷中、浄名院の、隙間なく林立する水子地蔵を初めて見たときの方がインパクトあったなあ、と比べたりしては罰が当たるか。でその石仏・石塔が詰まった区画の中には入れるけれど、中での撮影は禁止。その理由はとくに書いてなかった。いずれにしても霊感のない私には、とくに感じるものはなかったんだよね。
境内には外国人老夫婦の観光客もいて、目が合ったので微笑みを送ったら微笑みを返された。国際交流だ!
西院の河原の近くには水子の庵もあって、とはいえそこに設置された横たわる水子地蔵はどうも新しい感じで、しかも毛糸のなにかを身体にかけられていたりして、ちょっとチープな感じ。西院の河原とのギャップがありすぎだろ。
さらに本堂左横には竹林に囲まれた階段があって、でもせいぜい20mぐらいで、登ると六面六体地蔵というのがあるんだけど、これまた時代がついてない感じであんまり有難みが感じられない。まあ、文句ばっかりいってるふとどきな観光客だな、ははは。
というわけで、とにもかくにも化野念仏寺はクリアしたぞ。と、晴れ晴れした気分で大覚寺前のバス停に向かったんだけど、念仏寺から遠ざかるにつれ心なしか足取りが軽くなってきた。これは念仏寺の放つ霊気から離れだしたからか? と思ったら、どうやら軽い下り坂になっているからのようだ。念仏寺に向かうとき足取りが重かったのは、微妙な上り坂だったから、なんだろうな。まだ午後1時前。さあ、祇園へ向かうぞ。(2023.04.18)






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