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アサイゲルマニウムとは何なのか 第六章;最終章(長編連載完了)2023年10月6日第3話掲載 


第6章 アサイゲルマニウム研究第一線を退いて


1.さらばアサイゲルマニウムの研究

ぼくがアサイゲルマニウムに関わるようになり、現在27年が過ぎた。アサイゲルマニウムが初合成され、世に出てから55年。ぼくの年齢が今年53歳なので、お互いの半生を関わってきたことになる(2022年末時点)。長く連れ添うと見えてくるものもあるし、深く関わらずに遠巻きに眺めていると解らない・気付かないこともあるだろう。ぼくのような興味範囲が狭く、興味のないことには全く関わる気がない人間が、アサイゲルマニウムに長く関わり、研究を重ねてきたのは奇跡的なことだと自覚している。
浅井博士が著書の中で記した『天の配慮』という言葉、この言葉を自著のタイトルとされた岡澤美江子先生、お二人共にアサイゲルマニウムを天からの授かりものであると感じておられたことが読んでいくと理解できる。ぼくもまた、何かの大きな力によって、不思議と関わりを持ちつつアサイゲルマニウムとは何なのか・・・を考えて歩む人生になった。天というのは空のことではない。人智を超越した存在が遥か高いところ(次元)にあり、そこから自身の中に氣を満たして生きるものとされるのだ。ぼくはキリスト教を信じるものとされ、この氣を与える源泉は創造者である神だと考えている。大多数の日本人には馴染みのない教えだろう。今も日本には1%ほどしかクリスチャンはおらず、その中にも本気で信じている人達は少ないという。しかし、ぼくは人を愛する神が、ゲルマニウムという不思議な元素を備え、人々が健康に活力をもって元気に生きるためのものとして浅井博士をとおしてアサイゲルマニウムを誕生させたのだと深く思うのだ。
最後に、ぼくが研究の一線を退いたあとのことを駆け足で記しておこう。

ある日、ぼくは佐々木副社長に呼び出され、社長室の窓から見える函館山付近に落ちかかった夕日に照らされながら、「中村くん、今度役員になってもらいたいんだ」と言われた。ぼくは間髪入れず「嫌です!」と即答した。本気で向いていないと思っていたし、その時のぼくは研究部の係長職でしかなかった。だから全く考えていなかったことなのだ。また、ぼくは過去に管理職になっていた先輩に向かって「なんで引き受けたんですか!断ればよかったじゃないですか!」と失礼なことを言った過去があり、瞬時にそのことを振り返り、自分に当てはめて断った面もあった。しかし「なってもらわないと困るんだ」と続けて言われ、しばらく考えた。当時の役員は世代交代が必要であり、20年近く浅井ゲルマニウム研究所を率いてきた中で、ある意味硬直していた時期だった。また、ぼくと梅田さんを除けばその上の社員の皆さんは定年退職が近い年齢層の方たちが多く、中継ぎとしてはありかもしれないが、大きな変革を行うには難しいかもしれない。非常に眩い夕日で赤く照らされた佐々木さんの横顔を見ながら、ぼくの役割はアサイゲルマニウムの本質を世の中に伝えることかも知れない・・・と数分考え、覚悟を決めた。
経営者に加わることは、研究の第一線から離脱することになる。ぼくにとっては大きな転換だった(なお、佐々木さんにはプレイングマネージャーになればいいと言われたが、ぼくはそんなに器用ではない)。
翌年から、梅田さん・ぼく、そして渡辺氏と齋藤氏が次代を担う準備メンバーとされ、2年後に梅田さんとぼくは、副社長と取締役に就任した。それからのぼくたちは、アサイゲルマニウムの広報を推し進めることに奔走した。様々な展示会にでて、食べられるゲルマニウムがあると伝えるとギョッとした顔で立ち止まって聞いてくれる人たちが一定数いた。
その半年後、ぼくはグループ企業の販売会社の社長も兼任することになった。その後の5年間は非常にきつい・・・つらい時期だった。頑張っていても売上は伸びず、とうとう会社の資産も底をつく所まで来た。もう狛江研究所の跡地を売って何とかするしか無い!
売りに出すと決めた途端、狛江教会から購入の打診が来た。たしか不動産会社に掲示して貰う前だったはずだ。ぼくは神の導き・・・天の配慮だと感じたが、不動産会社での掲示が済むと他の購入希望も現れた。ちょうど東京オリンピックの直前だったこともあり、異常なほどに土地の価格が上がっていった。ぼくとしては、狛江教会に土地が売れて、その土地が信仰者たちのために用いられたらいいと密かに期待した。しかし、結果として教会よりも条件よく購入してくれる学生マンション向けで土地は売れた。梅田副社長から「教会が名乗りを上げてくれて売買に至ったので、寄付をしたらどうでしょう」と相談があった。これは、ぼくの提案ではない。ぼくはこのことで、神が会社の今後に必ず良い導きを与えてくれる結果になると確信した。ここにも天の配慮を感じたのだ。志柿社長も二つ返事でOKしてくれた。社長は「宜司さんの所属する教会に寄付しますかね!」と言われたので、ぼくは「いいえ、狛江教会に献金しましょう!」と言った。ある意味、神への感謝という意味ではどちらでも良かっただろう。でも、ぼくは狛江教会の皆さんの気持ちや新たな会堂建設がどのような大切な意味を持つかを考えると、自分の所属教会ではなくキッカケを作ってくれた狛江教会にお渡ししたかったのだ。それで、ぼくは使者として献金を持って狛江教会を訪ね、牧師に経緯を話して献金を渡してきた。資金の尽きかけた会社としては、まぁまぁの思い切った金額だった(ここには金額を書きませんが)。牧師はお礼とともに、「(狛江)教会にはよりよい場所が与えられると思う」と、浅井ゲルマニウム研究所の経営祝福のために祈ってくれた。このあとどんな大きな恵みがあるのだろう?帰り道の足取りは軽かった。

2023年10月4日 第1話掲載 つづく


2.アサイゲルマニウムの現在

そんな頃(・・・といっても一年くらい後だったかも)に、当時代表を努めていた販売会社の新規顧客のアンケートで、ナカムラクリニックのブログで知ったという購入者が増えてきた。ぼくはナカムラクリニックについて知らなかったが、アサイゲルマニウムの顧客ではない。不審に思いながらブログを検索すると、有機ゲルマニウムが凄いと臨床で使ってみた情報や有機ゲルマニウムに関する文献を紹介する記事を投稿している。心療内科で、発達障害とされる子どもたちに改善があるという。そんないくつかの有機ゲルマニウム関連の投稿記事の中に、ぼくが書いた論文を参照しているものを見つけた。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhs/56/1/56_1_72/_pdf

ぼくは研究で培ってきた、戸を叩く精神で中村篤史先生にFAXを送った。駄目で元々!有機ゲルマニウムを推している医師だ。アサイゲルマニウムを使ってはいないが、広い意味で有機ゲルマニウムで困難な状況から開放される子どもたちがいるなら、より良く使ってもらうのがぼくの努めなのだ。FAXにしたのは電話で診療の妨げにならないようにと思ったからだ。中村先生からは是非情報交換したいと申し出いただいた。それ以降のことは中村先生の記事(このあたりの事情は『奇跡の有機ゲルマニウム』にも記されている)を見てもらうのが良いだろう(笑)

ちょっと外れるが、ここに記しておきたい。中村先生の奥様の由子さんはクリスチャンであり、ぼくのウジウジした性格を時折叱ってくれる(笑)「神様が最善の道を用意してくれる!」と。そのとおりだなぁ・・・と沁み沁み思うのだ。そんなことを話せる方が仕事の中で与えられていることも感謝している。

ちなみに、中村先生が有機ゲルマニウムに興味を持つようになったのは、札幌の株式会社ベル・クール研究所の柴田社長(現会長)からのご紹介だったことが後からわかった。柴田社長は、ぼくと梅田さんが慣れない営業にもがき苦しんで、とにかく外へアピールしようと出展した札幌でのビジネスマッチングという京王ホテルで行われた小さな展示会にて立ち寄ってくださったのが最初の御縁だった。
既に、他社の有機ゲルマニウムを使用していて、良い素材だと知っているという。他社のものと比べて、価格が比較にならないほど高いアサイゲルマニウムでは話にならないかもしれないが、必死のぼくは「他の有機ゲルマニウムメーカーとは違って間違いのない研究データと数多くの毒性試験を通して安全性確認を行っています。他社ではできない情報提供をできますので、ご一考ください!」と資料を手渡したのを覚えている。その時「昔から浅井さんを知っていて、本当はアサイゲルマニウムを使いたかったけれど、当時は提供してもらえなかった」とのことを話してくださったのだ。そして、展示会終了の後、ご連絡をいただいて札幌の会社へと赴き、説明をしてアサイゲルマニウムをお使いいただくことになった。
しばらくして、真冬の大雪の日に函館研究所に単身お越しいただき、関西に進出する話や、アサイゲルマニウムの使用について相談された。細かいことはさておき、その関西でのなにかの集いで中村篤史先生と出会われ、医師なら浅井先生の著書『ゲルマニウムと私』を読むと良いと勧めてくださったらしい。
ベル・クール研究所さんには現在、高濃度の美容クリーム・アサイゲルマニウムクリームの製造もお願いしており、ご利用者の皆様からは製品の機能の高さに非常な高評価を頂いている。
右も左も分からない、手探りの営業活動ではあったが、後になって大きな実を結ぶことになってきている。
ここにも天の配慮による導きが与えられていたように感じている。


中村篤史先生と関わるようになって、もう一つの大事なご縁をいただいた。ぼくはある日、浅井研のWebサイトから問い合わせいただいたセブンシーズ・アンド・パートナーズ株式会社のCEO續池均さんの仙川(世田谷区)にあるLaboを訪ねた。均さんはオーソモレキュラーをとおして篤史先生と繋がっていた。篤史先生のブログを見ていて有機ゲルマニウムをやたらと推すようになったので、気にかけていたそうだ。篤史先生が岡澤先生のことをブログに書いたのをキッカケに、均さんが幼少期を過ごし遊んでいた公園の近くで開業されていた岡澤先生の記事に波動を受け、アサイゲルマニウムについて知ろうと思ったという。ぼくは企画部の土井山くんを連れて二人で説明に行ったが、丁度コロナ騒動が始まった時期(2020年3月)で先行きは不透明な頃だった。均さんはエネルギーに満ち溢れ、溢(こぼ)れだしてしまっている感じだった(笑)訪問の後、同じ世田谷区の成城にある販売会社のオフィスに戻り、均さんに水製品を届けるよう部下の諏訪内くんに頼むと、彼は即座に自宅に1ケースを持って届けてくれた(笑)さらに、その頃に均さんが力を入れていた『覚悟の人體セミナー』が近日あると知り、諏訪内くんに水製品一箱を手土産にして参加するように促した。均さんはTwitterでフォロワー1万人を超えており、人體セミナー参加者はそこで募って毎月行っていた。均さんはアサイゲルマニウム入の水製品を飲み始め、安静時心拍数を下げるのに力を発揮するものだと実感しており、セミナーでもそのことを話したそうだ。諏訪内くんにアサイゲルマニウムについて紹介する場を与えてくれ、彼は赤血球の代謝を促進し、老化赤血球が破壊され、新たな赤血球が新生される。というぼくの研究を紹介した。まさにこれが大きな瞬間だったはずだ。

均さんはアスリートのメンテナンスも行うミオンパシー整体院を経営しつつ、オーソモレキュラーを学び、躰を整える独自の方法を模索して来た。そして行き着いていたのが酸素を運搬する血、いわば赤血球である。これを破壊し・新生する助けになるのがアサイゲルマニウムなのだ。女子サッカーリーグの選手への水製品提供に協力し、オリンピックに向けて密かにサポートすることにした。

その頃、ぼくは販売現場の改革を推し進めてきていた。5年かけて新しい顧客にアプローチし、既存の顧客にとっても容易に入手できるためのシステムとして、ネット購入しやすい体制であるECサイトを設けることにしていた。さらに、長年の念願だったアサイゲルマニウムのみの、他に何も余分な成分を加えない製品であるアサイゲルマニウムSをフラッグシップとしてアサイゲルマSからリニューアルした。ぼくの戦略は商標をGe-132で失敗した経験から、アサイゲルマニウムを確実に商標化することだった。いずれにしても2020年4月に大改革し、”純品製品とネット決済、全製品のネット購入可能にする”という三本立てで実行した。ちょうどこのタイミングで均さんが水製品の購入サイトを自身のTwitterで紹介してくれた。この時から一気にアサイゲルマニウムの購入層は広まり、現在に至る2年間で資産の尽きた会社の状況は改善し、十年近く続いた苦しい赤字経営は終了した。(今振り返っても十年におよぶ赤字経営は冷や汗がでる)


その後、均さんはアサイゲルマニウム入りの独自の水製品『有機ゲルマニウムウォーターPlus氣』を開発され、また篤史先生はクリニック専用のパウダー製品やカプセル製品を患者さんに提供。アサイゲルマニウムを健康のために役立てる方々は日々増え続けている。(なお、本記事を記してから一年近く経つ2023年10月現在では、均さんの有機ゲルマニウム製品はJリーガーの皆さんに良さを認めていただき認知ならびに使用が増え、篤史先生により有機ゲルマニウム研究会が立ち上げられ、医師・歯科医師・獣医師が80名以上参加されている)

同時に、我々浅井ゲルマニウム研究所でのアサイゲルマニウムについての研究も進展し、痛み・炎症のアサイゲルマニウムによる抑制メカニズムが解明され、免疫細胞の分化を直接促進することで自然免疫を高めてくれることも明らかになってきている。
これら最新の研究発表に関しては、浅井ゲルマニウム研究所のWebsiteのトップページ(https://www.asai-ge.co.jp/)にあるNEWS & INFORMATIONを随時参照してもらいたい。

ここまで読み続けてくださった方は、なんとなく感じていただけるだろう。よくは分からないけれど、なにか大きな力がアサイゲルマニウムを取り巻き、ぼくのようなチッポケなものをも導き、”人類救済”という大きなヴィジョンを浅井先生に与えていたところから、否その前から細く曲がりくねった道を備えつつ、着実に今に至らせていることを。ぼくは、これを全能の神の憐れみと愛が、人の苦しみからの部分的な解放をもたらすための脱出の道であると感じている。ただし、肉体の苦しみは一部にしかすぎないのだが。

ぼくは、このような起死回生の歩みについて前項の中で記した梅田さんが決めてくれた「神への献金」が遥かに大きい祝福として返されているように感じている。ぼくがこれからどのような道を歩むことになるのか、アサイゲルマニウムをとおして人々の健康に寄与する。心体の健康は生きていく上で重要なものである。そこに関わる道を歩んでいきたいと願っている。しかし、その道は今のぼくには見通すことができない。
ただ、天の配慮により、ぼく自身の歩みにおいて恵みが追ってくることを信じて疑わない。しかし、世界の状況は悪くなる一方である。聖書を読めば、この先に待ち受けるものが何なのかを薄明かりの中に観ることが出来る。そこは暗澹とした気持ちにならざるを得ない。

ぼくは一歩一歩、神に手を引かれて歩んでいくだけだ。

2023年10月5日 第2話更新 最終話につづく


3.おわりに

思いつくまま書き綴ったが、そろそろ書き疲れてきたので一旦筆を置こうと思う。もちろん筆は持っていないでキーボードを叩いているだけだ(笑)
現在2022年(本手記を記し終えたのは本文末に記される昨年末です)、昨年6月に大西さんが逝去された。大西さんのライフワークはアサイゲルマニウムの第三者認証による安全性の認証登録だ。三年前2019年には公益財団法人日本健康・栄養食品協会の「健康食品の『安全性自主点検』認証登録制度」への登録が有機ゲルマニウム素材として初めて・・・というより化学合成品では初めて認証登録された。また、2021年にはエンドユーザー向けの製品としても「アサイゲルマニウムS」が同制度に認証登録された。アサイゲルマニウムの安全性は客観的に見ても問題のない検証を通し、消費者の皆さんにお使いいただけるものであり、万一の場合も確りとしたサポート体制が整えられているということである。(決して絶対的な安全性を意味するものではなく異常があったときの処置も含めて推奨範囲では安全に使用可能ということ)
今年は医薬品開発の頃から顧問弁理士として活躍し、またご指導くださった小林先生が逝去された。特許や商標などの知的財産権について、よく解っていないぼくに、根気よく付き合って指導してくださった先生だ。アサイゲルマニウムは浅井ゲルマニウムと書くことも出来る。しかし浅井は日本人の氏であり、ゲルマニウムは元素名である。この2つをくっつけただけでは商標になり得ない。これは商標の大前提だ。しかし、アサイゲルマニウムの社内の開発番号であったGe-132(研究の学術発表もほとんどこの名称で行ってきた)は元素記号と番号の単なる組み合わせなので商標が取れないという大前提で取得できなかったのを、他の有機ゲルマニウム製造会社(弊社業績をほぼパクりながら販売を行っている)が後ろにPをつけてGe-132Pという商標をとってしまったということがあり、弊社はいわば手痛い失敗を経験している。そこで、小林先生と戦略を立てAsaigermaniumという造語(頭文字だけを大文字にすることで一連の言葉とした)をまず商標申請した。案の定、これに成功し、次に”アサイゲルマニウム”とカタカナにして商標申請した。ぼくたちの戦略はうまくハマり、いずれも商標登録になった。海外商標もカプセル製品のアサイゲルマニウムSや水製品のアサイゲルマニウムAQua、化粧品クリーム時のアサイゲルマニウムクリーム等によりAsaigermaiumブランドを推進している。これらの仕事が小林先生との最後の仕事になってしまったのは残念だが、ある意味で最後に一緒に本商標取得に成功したことは嬉しかった。
今も、まるで浅井先生が開発したそのものであるかのように世界中で類似品が販売されている。その多くはGe-132の名称を製品ラベルに掲示しているが、どれも使用する有機ゲルマニウムの安全性評価を行っておらず、食品として使用するべきではないものである。
安全性自主点検認証登録とアサイゲルマニウムの商標によるブランディングで、他の危険性を一抹でも残しているゲルマニウム製品との差別化を明確にしていきたい。健康になるためにお使いいただくのに、安全性を置き去りにして販売する会社の姿勢は非常に疑問に感じる。自分たちの儲けのためなら他人の健康を損なっても良いという考えなのだろう。

さて、ここまで書いてきて思ったのは、日本においてマイノリティであるキリスト教を信じるぼくが、他者の目を気にせずに神に敷かれたレールを走り続けてこられたのは、ただ恵みによるのだということ。それと、思うのは”このアサイゲルマニウムは人々の健康のために神が備えたのだろう”と感じること。開発の経緯も、出来てから今に至る様々なことも、不思議なあり得ない状況を掻い潜ってたどり着いた今の状況なのだ。まさに奇跡の連続だ。
この奇跡の連続は、ぼくだけが感じているのではなく、梅田さんや志柿社長(現会長)も同じ意見である。ただ違うのは、ぼくは信仰の目で見るから奇跡の連続は神の業なのだと捉えるということだ。人間には奇跡に思えることも神には奇跡でもなんでもない。

現時点で、研究も道半ばで、その一端が解明されたに過ぎない。でもアサイゲルマニウムが作用するメカニズムが物質反応のレベルで解明されたことで、間違いなく人々の苦しみを拭ってくれる素材であることが証明されたのは大きいだろう。食品に分類されているのに、炎症を鎮め、痛みを弱める免疫細胞を活発にし、癌化した細胞やウイルス感染した細胞に立ち向かわせるストレスホルモンに作用してストレス緩和し老化した赤血球を免疫細胞により排除して血流を本来の姿に近づける。こんな様々な作用をグルコースと同程度の小さな分子がたったひとつで行うのだ。考えただけで笑いが止まらない。アカデミアの皆さんが、本気でアサイゲルマニウムとは何なのか?身体の中で何を行うことが出来るのかの解明に取り組んでくれれば、多くの方々の健康上の悩みにアプローチできる答えを見出すだろうと思う。
ぼくのような無能なものではなく、頭脳明晰で研究能力も高く、発信力のある方々がこの素材のベールを取り去って、最大限の能力を発揮させられる状況にしてくれることを切に願う。今、研究部門の後輩たちが、ぼくの力及ばなかったところを手分けして研究し、次々に研究報告してくれている。安積遵哉くんの馬力ある研究成果を筆頭に、武田知也くん、正木光可さんが面白い研究成果を出し、彼らを率いる島田康弘部長代理の元(2023年10月現在は部長に昇格している)、過去の糖類とアサイゲルマニウムの研究を確りした報告として科学ジャーナルに着実に掲載してくれている先輩の長澤孝枝さん、研究に移籍して一年になる柴田峻也くん、そして縁の下の力持ちのように研究を広くサポートしてくれている佐藤聡美さん、このチームに心からの感謝をするとともに、本当に期待する。
東北大学の教授でありつつ、弊社の研究顧問として指導いただいている医学博士の麻生久先生には心からの感謝の気持を送りたい。

ぼくは今後の新たなヴィジョンを模索していこうと考えている。浅井ゲルマニウム研究所では何となくぼくはマイノリティなので居心地の悪さを感じている。神の導きを求めつつ、与えられた命を使っていきたい(使命を果たす)
本著では、後半の10年ほどはかなり間引いて記した。くだらないコロナ禍について、とんでもない新ワクチンによる被害者の拡大について・・・いつか、思い立ったら記してみたい気がする。過去の振り返りに付き合ってくださった皆さんに感謝します。
アサイゲルマニウムに関わるお一人ひとりに、またその愛する人々に、神の恵みがありますように。

2022年12月21日
中村宜司


追記

ぼくの体験をシェアしてほしいと、数年来にわたり株式会社ビレモの永田貴子社長に頼まれてきた(最初は10年近く前だったろうか・・・)。ぼくの研究裏話を聞いて、大変面白く、ゲルマニウムの真髄を気付かされるからだと。
何事にも取り掛かるのに時間がかかるぼくが、重い腰を上げたのは、自分の命はいつ尽きるかわからないことを実感した経験からだ。
そう。ぼくの体験した、神に導かれ、キリストに助けと励ましを頂いてきたこと、感じ・行動したことを記録として残しておくべきだと2022年に思い立った。見返すと2022年の4月に書き始めたようだ。最初は、貴子さんに口述筆記でぼくが話すのを書き留めてくれと無茶振りしていたが、結局のところは自分で思い起こしながら、半年ちょっとの期間で書き上げたことになる。
きっかけを作ってくれた貴子さんに心から感謝している。

ぼくがあとがきを書き終えたのが10ヶ月前になるが、締めの言葉として『使命を果たす』と書いています。そう、ぼくにとってアサイゲルマニウムとの関わりは使命であり、この価値を必要とする人に届けることが重要なのです。
そんな中、中村篤史先生との交流を通して毛利涼子さんと知り合い、その古くからのご友人(中学校の同級生だとか・・・(笑))であるという松島修さんが、ぼくのアサイゲルマニウムセミナーの新宿での開催の折に参加してくださった。
その時に松島さんの著書『使命の本質』を直接著者からいただき、その内容を拝読して、声を出して唸ってしまった。まさに、これだ!

神がぼくに与えている使命、それに気付けていることは本当に幸せなことだと思う。人間が欲望に生きるのではなく、他者のために命を使うとき、それが使命に沿っているなら不思議な助けが与えられ、『これが道だ、これに歩め』と背を押されることを経験する。
この全6章で記した大半は、ぼくの研究歴とその軌跡である。最後に営業関係で経験した10年ほどを端折って記したが、これについては機会を作って改めて記したい。

2023年10月6日最終連載終了


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