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心の解放、ばったりズム

社会に心が開かれていくと、
周囲が変わり、そして社会との関わりが変わっていく。

私は33歳から2年前の38歳まで忙しかった。
(目を開いてる間はとにかくずっと仕事してた。寝起きからメールチェック、シャワー浴び、施術・施術・施術、その合間で立って食べれる物をパク付きながらメール返信、原稿チェック、SNS投稿、あるいは取材、ミーティング、また施術、その後事務仕事、パソコン向かいながら寝落ち。家には帰らないままサロンの床で気絶して眠り、朝を迎えるというのが基本な5年間)

「休みの日は何してるの?」
この質問くそくらえ。
「休みは仕事以外の用事がある日」
が回答。
(例:友人の結婚式などであらかじめ仕事を入れずに押さえている日)
それを「休み」と呼べるのかはさておき。

私の日常は、
ある日は朝から晩まで施術、
ある日は入れ代わり立ち代わり取材、撮影、
ある日は入れ代わり立ち代わりミーティング、時にスタッフ研修・・・
スポットで雇った派遣スタッフが「麗華さんて毎日こんなに忙しいんですか!?」と目を白黒してたっけ。

それでもパワフルで元気でバリバリ何でもこなしていた。しかし心の中では常に、
「もうこれ以上のこと入って来ないでー!」
とは思っていた。

先の予定に友人の誘いなど娯楽の予定を入れていても、日が迫るにつれ募る仕事(取引先とのミーティング、スタッフ問題、雑誌の取材やメディア出演などって急な話が多いのよね)を入れる余白が足りなくなり、結果、息する暇もないんじゃないかというほど時間が埋め尽くされるので、あらかじめ付き合い的なことはほぼ最初の時点で断るようになり、

自分の学びの時間(インプット好きなので知識習得、向上のための講習などに色々行きたい人)を入れていても結局どうしてもの仕事で断念するはめになることが続き、次第にそれも入れなくなり、

それを繰り返したせいか、何か予定が入る気配がすると、背筋が凍り付く、という現象に苛まれるようになった。しまいには、楽しいはずの行事だろうが自分の時間を費やすすべてのことに対し、背筋凍り付き反応が起きてしまうように。

「また私の時間が奪われる!」

自分が好きなこと、したいこと、会いたい人、楽しそうなこと、
というポジティブな内容だったとしてもその現象は起こってしまう。そもそも仕事だって、自分の会社、自分で築き上げてきたこと、上司がいるわけでもなく、自分で取捨選択できる立場だから好きな仕事、受けたい仕事しかしていない。全部、ひとつひとつは嬉しいものだし、その場では「楽しい」し「好き」だし「またやりたい」んだが、スケジュールとして私の空白が埋まるその瞬間、どうしても背筋氷り付き反応は出た。

私には長年やりたい、けどやれてないことがたくさんあった。だからそれらに費やせる自分の時間捻出ができる形を作るために組織化することも私なりに挑戦したが、なかなか出来なかったし、私の実力ではそれを叶えるにはもっと時間がかかり、構築できるのはもっと先になってしまうとやってみて悟った。だからいって、それらができないまま、また同じ様に時間を費やし続けるには・・・限界がきた。

そして、私は勇気を出した。今から2年前の6月をもって、以前までのサロン氣Reikaは解散・クローズ。そうして、「日本一予約の取れない整体師」「予約5年待ちの整体師」と世間から呼ばれるほどの施術三昧な人生に一旦、ブレーキをかけた。もう8年とか5年とか3年とか、長年通い続けて下さっている方々ばかりで、いつも施術後当たり前に次回予約を入れて帰るのが恒例だった方々に、「しばらく施術をお休みさせていただきたい」この言葉を伝えるのは私としては本当に勇気と覚悟がいった。びっくりして泣いてしまったお客様、言葉が出なかったお客様、僕の、私の体はどうなるのと心配させてしまったお客様・・・。皆様が納得するレベルの弟子を作ってから本当はそうしたかったのだが、それが叶わなかったからたくさんの方々にご迷惑をおかけした。こう踏み切ることに決めた時、本当に切腹する思いだった。今でもあの時の切なさ、ふがいなさは忘れない。

独立した31歳からとすると7年、特に駆け抜けた5年を経た2年前の6月。もうどれくらいぶりか忘れたくらいの久しぶりすぎる久しぶりに「明日、何も予定が入ってない」日がやってきた!

時間が・・・ある。なんてすばらしいことなんだ!!」

感動した。予定がないこと、時間があることは何よりも贅沢だと感じた。至福だった。そして6月・7月の2ヶ月間、私は今までの睡眠不足を取り戻すかのように、眠り続けた。それまでどんなに寝なくても忙しくても「よくそんなに体力あるね」と周りから歓心されるほど毎日パワフルで快活で疲れも感じなかったが、本当は相当疲弊していたんだろう。その2か月間、朝から晩まで眠った。よく、忙しい事に慣れてしまった人は暇を嫌うとは言うが、まったくもって私にそれは無く、「今日も明日も何もない♡」その幸せを噛み締めながら毎日眠り続けた。

そして翌8月からは行動開始。それまで日本でできなかったこと、学べなかったことを海を越え、海外に。それからの1年間は月の半分以上海外にいた。中でも、念願だった推拿の本場、中国への2度に渡る留学、大学病院のリアルな臨床現場での実習、ハワイ大学で本物のご献体での人体解剖などをさせていただいたことは私にとって多大な学び、宝の経験となった。
それ以外にも、プロデュース商品の海外式典でタイトル受賞、旅行代理店と組んでスリランカでアーユルヴェーダツアー企画の大成功、何カ国かで海外講演、そしてずっと行ってみたかった英語留学。ほとんどが勉強か仕事での海外だったが、以前はとんぼ返りだった過去の出張に比べ、この1年の海外滞在時は数日フリー行動を入れたりと余白もセットに出来た。もう何年間も週5日の施術、残りの2日でスタッフ教育やメディア対応、執筆や講演などでスケジュールが埋め尽くされていた私からは想像もできない動きができた。

時間があるってすばらしい!
やっと手に入れた自由時間!

しかしまだこの頃も長年板についてしまった背筋凍り付き病は消えてはいなかった。海外に出てしまえばいいが、日本にいて、何か用事が入りそうになる度に凍っていた。これはもはやパブロフの犬

そうこうして去年の7月、妊娠

私のnoteを当初から読んでくれてる人は分かると思うが、私は当初、嫌で嫌でたまらなかった。誤解がないように気を付けて伝えたいが、その「嫌」の対象は妊娠そのものではない。「妊娠」も「出産すること」も、「子どもがいる人生になること」も、それらは良かった。受け入れていた。

では何が「嫌」だったかというのは、
また「時間」が奪われること。

妊娠すると、頻繁に通わなくてはならない病院、待ち時間、往復する時間が実質大幅に取られる。経験がない方からすると、そんなの一時のことだし大した事じゃないだろう?と思うかもしれないが、これがけっこうな頻度で、けっこうな時間幅を取られるのだ。

そして、妊娠していない時に比べると、妊娠中も出産後も体調ってのは揺れ動きやすくなり、日によって怠くて仕事がはかどらないとか、行動が億劫だとか、状態が不安定だと何事もこなすのに「時間」を多く要する。そして何よりそこから始まる子育てこそ、もっとも時間搾取の賜物である。

だから、妊娠がわかったとき、
「せっかく、あんなに勇気を出して、努力して、何年か越しでやっと手に入れた自分の時間がまた奪われる!」
と背筋凍り付き病が大大大勃発!以降、妊娠したことで時間を費やすことがあるたびに発狂した。以前の記事にも書いたが、時間が取られることがもう病的に嫌すぎて、

「なんで病院に私が行かなきゃいけないんだ!子どもを望んだのはあなたでしょ!だったらおまえが病院行け―!!」

と彼(現夫)に苦情バズーカ砲を放ちまくっていた。仮にもし本当に私ではなく彼が病院に行ったところで何の意味もない上に、「妊婦健診なので妊娠したご本人が来てください」と呆れられるしかないのに(笑)

そんな感じの時間減少不安症だったわけで、もうこれ以上語るのは端折るが、出産後の2月以降も、子育てや家事に時間が奪われる度に発狂した。なぜ、私はこんなにも他者からの時間搾取に敏感になってしまったのか。

しかし、やっと、やっと最近、それが緩和してきた。予定が入っても背筋は凍らなくなった。人生休眠してちょうど丸2年経つ。再起するのに私には2年も必要だったということか。

そういえば、常に2年サイクルで変化するのが私の人生だった。人生の周期は人それぞれだと思うが、過去を振り返ると私は見事に2年ごとにステージが変わるのだ。引越しや、仕事の規模や、取り巻く環境が様変わりする周期。だからといって、2年前、まさか休息にも2年も費やすとは思ってなかったわ(笑)

話は逸れるが、ちなみにこの2年サイクル。いつも直前まで何事もなく「さすがに今回は2年の変化なくこのまま行きそうだな〜」と思っていても、なぜかピッタリ2年の節目の日が来ると突如として変化せざるを得ない状況に晒される。多くの人は坂道のようにある程度は斜面を上がっているように変化するものらしいが、私の場合はまるで階段を上がるように、平坦から突如階級が上がる、そんな人生の進み方。これは自分史年表を書いた時に気付いたのだが、見事なまでにきっちり2年周期で変化してきているので不思議だ。

休息に2年費やし、その周期が来てまた階段を一段昇ったんだろう。これを書くまでそんな事忘れていた。
ここ最近、急に変化、私自身しかり、私の周りしかり、様変わりしている感が凄まじい。

「これ以上なにも、入れない!」
「入ってこないで!」
でいた約7年間はこの文字通り、必要なこと以外は入ってこないようになっていて、と同時に私も人に、社会に、心を開いていなかったように思う。

しかしそんな私もようやく社会に心を向け始めたようだ。なぜそう感じているかというと、まずその証拠といわんばかりにこの7月に入ってから、道端でたくさんの知人・友人に偶然ばったり再会のオンパレード!歩いている時も、行った店でも、あらゆる場所で知り合いに会うわ会うわ、毎日、5、6人ものばったりが続いている。6月から1人、2人、とその兆候はあったが、やはり2年リズムなのか、さすがに日に6人、それが連日というのは多くない?今月はそれが顕著。

更にそこからまた広がる縁や復活する縁も。
欲しい情報につながるスピードも精度も上がってきた。

人って、心のベクトル、向ける方向次第でいきなり顕著に状況が変わるからおもしろい。閉ざせばこの様な事は起きないし、開けばスパイラル式に入ってくる。

私は夫とは4年前、私がバリバリ(ぱりぱり?)だった時に仕事で出会った。彼曰く、「仕事の顔しか見えない人だなぁ」と感じたそうだ。当時その縁は瞬時に終え、お互い存在も忘れ、ふとしたきっかけでコンタクトしたのは2年前のなんと今月(7月)。

どちらの私も知り、
この2年間の私を一番近くで見て来た夫が昨日、

「いよいよ眠れる獅子が起き出した」

と言った(笑)

まだ寝起きだから瞬発力に欠けるが、変化は如実に出ている。しかし同じ覚醒期でも昔とはまったく違う。今の私には絶対に裏切らない味方、仲間、ホームがある!

今後の私が楽しみ(^^)

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「緩和ケア」と「産後ケア」。一見対極な存在と見られがちですが、両方を経験しそれらは近い存在であり、両方の重要性を心から訴えたい。これらの在り方捉え方の啓蒙、それらにお役に立てる活動をすることが私の将来の目標です。頂いたサポートはそのために使わせて頂きます!