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40歳。手放したものー誕生日ー

数日前に40歳になりました。

私もいよいよ40代に突入!代が変わるってけっこうな重量感。
しかも30代まで青年、40代からは「中年」になります。いよいよ、もう世の中的にはいいおっさんおばさん年代です(笑)

そんなどっしり40代幕開けの誕生日は何かこう、しっかり節目感を持てるように祝いたいなぁ!とずっと思っていました。

だけど、
出産して徐々に誕生日に対する考えが変わりました。

誕生日は、親が自分の子供に対して、
「私達の元へ生まれてくれてありがとう!この世へようこそ」の記念日であるとともに、

親が親になった記念日。

なんかそれを考えた時に、
「誕生日、他人に祝われなくてよくね?」
と思いました。

そして、出産して1カ月過ぎた頃、仲良くさせていただいている専修寺の甘利先生にちゃんまるを連れて会いに行った時とても良いお話を伺いました。甘利先生は長年、幼稚園の園長先生もされています。

甘利先生のインタビュー記事↓

「僕はね、園児のお母さんに〝お母さん何歳ですか?〟と聞くんですよ。そうするとほとんどの方は自分の年齢を答えるか、はぐらかすんだけどね。

でも、僕は〝お母さん〟は何歳ですか?と聞いたの。その方の年齢を聞いたんじゃないの。〝お母さんになって何歳ですか?〟と聞くんです。

例えば、世の中で〝先生〟と呼ばれる人は生徒がいるから先生と呼ばれる。医者も患者さんがいるから先生と呼ばれる。生徒も患者もいなければその人は先生とは呼ばれない。
それと同じで、子供がいるからお父さんお母さんと呼ばれる。子供がいてくれるから、あなた方はお父さんお母さんになれたんですよ。

麗華さんのお母さんとしての年齢はちゃんまる君の年齢。ちゃんまる君のお母さんとして、かけがえのない年齢重ねていってくださいね」


とても良いお話を伺えました。
ちゃんまるがいて、私もお母さん年齢を刻んでいく人生を持った。

子供の誕生日がお母さんになった私の誕生日。 

ということは、長女である私の生まれた誕生日は、私の父と母がお父さん・お母さん(親)になった誕生日でもあるということ。

(↑私の生まれた頃の写真)

よく誕生日は〝親にありがとうを言う日〟とは聞くけれど、親が親となった日とは考えたことがなかった。

こんな考えを巡らせたら、
なんだか今まで自分の生まれた日を親以外の他人に祝わせたり、祝いの言葉をかけさせていた事が途端に申し訳なく感じました(笑)

かつてお付き合いしてきたメンズたちには、
「私はどんな記念日やイベント日なんかはどうでもいいけど、誕生日だけは大事に思ってるからちゃんとお祝いして欲しい派!」
と堂々言い放っていたこと、お許しあれ(笑)

というわけでそういう考えに至り、さっそくFacebookの誕生日表記を消しました。
(それ以外のSNSに誕生日を載せているものがあったかどうか確認していないが、記憶にないくらいだから大した影響はなかろうと触っていないけど。)

Facebookで誕生日表示されるよう設定してた今までは、毎年その日になると何百という祝福のコメントやメッセージをいただいてきたし、それがある事で誕生日近辺に友人らにお祝いしてもらえたり。

今まではそれが嬉しかったし、違和感もなかった。

だけど、甘利先生のお話を聞き、その後さらに考えたら

あら!?
なぜ今まで自分の生まれた日を他人にも祝わせてきたんだろう!?

と違和感だらけ(笑)

私にバースデーメッセージくれるその一手間、お祝いしてくれるその二手間いただいていたこと、皆様今まで大変申し訳ございませんでしたー!!!

な気分に。
(今年も夫には祝ってもらったよ!今後もそれはいいと思う(笑))


繰り返しになるが、私の誕生日は私の両親が親として誕生した日。だから今回私が40歳になるという事は、私の両親もお父さん年齢・お母さん年齢40歳ということ。

今まで父や母に対して未熟さや人間性の低さを時折感じることも多かったけど、実年齢的には70でも親歴はやっと40歳。

数日前まで私が〝青年〟カテゴリーであったように、親もまたそうであったという事か。

なら納得するとしよう。
親も子と共に成長する。

しかしいよいよ、私も私の親達もこの7月31日をもって40代突入!青年かられっきとした〝中年〟。青かった私達もようやく熟してきた頃合いか。

もう自分の誕生日は、世間から祝われなくていいな。これからは父と母の誕生日にする。だから今回は「お父さん・お母さん、40歳おめでとう!」と両親に伝える。

というわけで手放すことにした7月31日の我が誕生日。これからは、ちゃんまるの産まれた日である「2月22日」を私のお母さん誕生日として時を刻んでいこうと思う。そしていつか息子が40歳を迎えるその日に

「お母さん40歳おめでとう!」

という気持ちをもらえたらうれしいな。
しかしその頃は私、80歳だわ(笑)

〈追伸1〉
私が60歳・80歳・100歳、の時は誕生日を声を大にして言いたいと思う(笑)それは、喜寿や長生きを高らかに示す、誕生日とはまた別な感覚。(例:「おお~、この人80歳でこんな元気かぁー。自分もがんばろー」などと感じてもらえる生き様をお見せしたい目標)

〈追伸2〉
「誕生日を手放した!」と言ったからって、『私におめでとうとか言ってくれるな』という意味ではありません(笑)「おめでとう」というポジティブな言葉や行動、それに乗るエネルギーは素晴らしいもの。もちろんウェルカムです(笑)だけど、わざわざは要らないのでその分身近な人に働きかけてあげてください。

〈追伸3〉
誕生日を他人同士で祝い合う方々の事を否定するつもりや気持ちは一切ありません。2に書いたとおり、「おめでとう」が持つエネルギーはとても良いもの。それを交し合うのは心にも体にも良いことなので大いにやったらいいことであります。あと、先日お金の価値観の一例としてタクシーの話をしましたが続くテーマとして「人のために使って世の経済を回す」を書くのでそちらも後日お読みいただけたら嬉しいです。

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