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「創造・対話・寄り添い」へ

はじめまして、こんにちは、浅色デザインの浅色です。
普段はwebデザイナーとしてお仕事しています。
毒親アートフェスをやっています。虐待減少に貢献できればいいな。
最近ギャラリーつくりました。シェアアトリエ&ギャラリースペース「あとりえーる・ぎるど」です。
よくいろんなことやってて忙しそうな人みたいに思われてますが、
全部、自分から出ているものばかりなので、それほどいろんなことに手を出してるわけでもないです。

webデザイナーとして名古屋では10数年

正社員、アルバイト、なんか色々とお勤めしてきて、ブラックが多かったですが、独立して、今ではフリーで活動しています。熊本に越してからもかわらずなので、仕事としてwebに関わる年数は16年以上?でしょうか。
途中、師と呼べるようなすごくつよいデザイナーさんに出会い、なんやかんやとご縁をいただいてました。
具体的にデザインなど技術的な師事は特にないのですが、考え方とか仕事の仕方など、わりとファミレスとかで夜から朝方まであーでもないこーでもないみたいな話をしてた珍しい方。
そこで参画するお仕事では、「共感・創造」をテーマにしていました。
個人的な仕事にも「共感・創造」をもって仕事に臨んでたように思います。

うまく言えないのですが、デザイナーの仕事なので共感という言葉には、制作物に対して「へー!すごいねー!じゃあそういう感じでお願いしようかな」とか「なるほど、そんな見方もあるんだ!」みたいに新しい発見と創造性を付加して、共感を促し、共に良いものを作り上げていきましょうという感じでした。

「共感」という言葉がだんだんと違う形に変わってきて

言葉って時代と共に段々と変わっていくもので、また使う人によっても意味合いも万別に変化していくもので。
色々とはしょりますが、やることを増やしていく中で出会う人間も増え、次第に共感という言葉が色んな意味をもつようになってきました。
どうしてこちらのことを分かってくれないのか、なんで共感してくれないのか、共感してくれるだけでよかったのに、
そんな言葉をここ数年で結構いただきました。
なかにはかなり攻撃的な方もみえました。
仕事でも、アートフェス関連のことでも、プライベートでも。

共感してほしい、気持ちをわかってほしい、そういう感情を持つことはもちろん自分にもあるので、まったく分からないわけではありません。
共感できなかった自分にもいくぶん非があると思います。
共感できない自分が悪いのだから、と延々と鬱ループのように自分を責めていた時期もありました。
それでも分からない時はわからないので教えて欲しいと頭を下げることも多々有りました。
今は少し持ち直して、自分はあなたではないのだから、共感できる部分も、共感できない部分もある、と今は多少無理矢理にでも割り切って考えるように気をつけています。
だからこそ相手を知るために話し合いを重要視していきたいと思うようになりました。

「共感」から「対話と寄り添い」へ

そんなこんながあって、自分の中でまだ共感という言葉にうまく折り合いがついていません。
昨今で使われてる「うんうんわかるよー」だけが共感なのか、というところに妙な疑問を拭いきれないところもあって。
でも、少なからず自分にも共感して欲しい気持ちはあるので。

相手に判断を委ねる部分から、自分発信に切り替える意味でも
「対話と寄り添い」という言葉を用いています。

共感できないから悪い、敵だ、思ってたのと違う、と壁を作るのではなく、
分からないから最大限歩み寄ろうという気持ちは持ち続けていきたいです。
でも寄り添い過ぎたら私自身も潰れてしまうので、適度に、ですが。

お仕事も、社会活動も、お店もがんばるぞと、奮起した4月のある日のことでした。

ここまで読んでくださりありがとうございました。 もし活動にご共感いただけましたらサポートいただけますと幸いです。