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ことよろ2024

まずは、この度の令和6年能登半島地震により被害を受けられたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。
被害を受けられていない方も、お心を痛めたりする方、3.11を思い出してしんどい方、関連報道で心が疲れた方もいると思います。
3.11の時にはまだそれほどTwitterに人がいなかったですが、それでも偽情報が出回ったり正義が過ぎてしまったりと周囲がギスギスして、関係ないわたしでも疲弊してTwitterから離れた時期がありました。
なので、TwitterなどSNSやテレビはあえて見ない、など離れてみるのも手かと思います。
また、好きなことに触れるのも手なので、推しを浴びてください。めちゃくちゃ心が回復します。推しは、大事……!
そうしてみなさまが少しでも早く笑顔となり、平穏な日々が訪れますように……心よりお祈りしております。

そんなわけで新年ですね。
地震だけでなく、年明けそうそう火事や事故や……といろいろ立て続けに起こっていて、なんだか不安定な毎日ですが、これも過去になるんだな、と考えながら日常を過ごしています。
X(旧Twitter)で書きましたが、実は去年、母が亡くなりましたので、今年は喪中につき新年の挨拶は控えております。
そして、見る人には実にどうでもいいですが、母の話をさせてください。
母はたしかにここにいたと、記録しておきたいのです。
あまり人の生き死にに触れたくない方は見なくていいです。
これ完全にわたしが記憶整理したいだけなので。

母は15年前に乳がんになり、そちらは摘出して転移もしていないということで完全に安心しきっていました。
2年前、今度は腎臓がんになったのです。
ちょうど新型コロナで世間的には旅行に厳しくなっていた時でしたが、その時はさすがに地元に帰りましたね。
でもその後わたしの方がいろいろあって、それが最後の帰省になったんですが……。
それから、体調よかったり悪かったりを繰り返していたのですが、がんが小さくなってきたと聞いて、わたしはまた安心しきっておりました。
実際去年のお正月は、半額おせちを買ってきたけど美味しくないとお互いにヘラヘラ笑いながら電話しておりましたので。
6月、わたしがカネブラの展示見に行きたいと池袋へ行ったあの日。
母が初めてテレビ電話してきたんですよね。
いつもなら普通に電話なのに。
なんだろう?と思ってわたしも乗り物を途中で降りて電話に出たら、また入院することになった、と。
入院自体はもともと投薬のために予定がありましたので、その変化にわたしは気づけませんでした。
いつものように話せていないこと。
やたらとスマホを手から落としてしまうこと。
母の中では、すでに「もう最後かもしれない」と思っていたのかもしれません。
だから顔を見て話したかったのかな? と、今でも時々振り返ります。
羽田空港に新しく出来たところ見に行きたいと前々から言っていたので、よくなったら一緒に行こう、と……そのためにもよくなってねと。
わたしなりに励ましのつもりで言うと、母も「うん、そうだね」と言ってくれました。
それが最後でした。
翌日の夕方に体調が急変(どうも見えない部位に広がっていたらしい)
明け方に息を引き取りました。
東京へ越してきてから、母に「死に目にあえないと思う。親不孝で申し訳ないけどここで頑張る」と伝えていました。
それが現実になりました。
もっと地元が近ければ、わたしが地元にいれば、間に合ったのでしょう。
ですが、まず飛行機の本数が少ない。
連絡をもらっても、当日の便に間に合わなかったんですよね。
その時改めて、自分は遠いところにきたなあと痛感しました。
それからはどうでもいい話なのと、この件についての愚痴は全部友人に話したので(友人が可哀想。ごめんよ、ありがとう。本当に助かった)
ああ、でもひとつだけ。
通夜の前日、わたしだけが母と過ごした日があるんですが。
音がないと寂しいかなと思って、今更ながらわたしが仕事で関わってきた作品で、You Tubeに音楽がアップされているカネブラとかダイナーとかスタレボの曲を流してたんですよね。
母に聴かせられてよかったですし、彼らの音楽がわたしの心を救ってくれました。
もちろん、音楽が深く関わるような作品じゃなくても……改めて、自分が関わった作品が好きだと痛感しました。

誰かが言っていましたが、近しい家族ほど泣く暇もない、と。
本当にその通りで、この半年、仕事も詰まっていてとにかく走り抜けました。母の記憶が世から消えていく作業をしつつも、SNSなどはやはり消せずにそのまま残しています。
今では普段の生活は変わりないのですが。
ふとした時、「ああもう母とどうでもいい雑談は出来ないのだな」と思うと泣けてしまいます。
noteに書いた母との東京食べ歩きツアーの思い出も、つい見てしまいます。
いつかそれを忘れてしまうのかと思って、ぞっとします。
いつかくること……と、わかっていても、やはりふとした時につらくなりますね。
ですが、やっぱり仕事がありますし。
なにより母が生前からよく「仕事があるのはいいことじゃない。頑張りなさい」と言っていたので、とにかく頑張り続けたいと思います。

ちなみにそんなこんなあってから、東京へ帰ってきて、友人に会ったりハニビさんの15周年ポップアップに行ったり……などなどして、いろんな方から元気をもらいました!
つらいことをなかったことにするわけでもないですが、生きている側も大切。
なにより母がくれた命なので!
これからも楽しく、笑顔で生きていきつつ仕事して、推し活をしたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。

初和菓子は辰年の練り切り

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