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春アンチ

 インターネットのオフ会に参加した。楽しかった、ありがとう。

 あなたたちの言葉に句点を打って持ち帰りました。文のつづきに何を書こうか考えたいコンテクストがたくさん集まって嬉しいです。

 インターネット上で表れる人格って基本的には「言い切り」だと思うんだけど、実際に喋ると「問いかけ」「不思議」の余白が生まれて面白い。また会えたらいいな。次はもうちょっとうまく喋りたいです。

 べつに誰かの話を踏襲したいわけではないが、いくばくかあのとき聞いたことを原作にして、2次創作をやっている節があるかもしれない。の、オフ会とは全然関係ない、ただの日記です。

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 サニーデイ・サービスの新しいライブアルバム『Live!』の「セツナ」が凄すぎる。イントロが始まって、ノイズキャンセリングの向こう側から地下鉄のアナウンスが意図せぬマッシュ・アップで乗っかって来て、考えられうるセツナの始まり方においてトップクラスに格好がいいやつだった。痺れちゃって眼を閉じたら、どこかからパチュリの匂いがする。

 疲れたな、仕事。時給がよいけど何の意味もない仕事って疲れるな。週4といえど8時間勤務って結構しんどいな。でもなによりも、往復3時間の満員電車通勤がおしまいすぎ。辛いに決まっているじゃんよ、ふつうに。面接を受けにいくときに考えが及ばなかったのか?なにを考えて働き始めたんだろう。

 体調を壊したことと、旅に出たかったことがあって、バイトやからええやろと大休みをいただいたら、休みすぎだとチックリ怒られてしまったので、私は今昼休みに、荷物をまとめてお家に帰ろうか半ば本気で考えています。このまま帰るとドラッグよりもセックスよりも気持ちいいんだよな。

 しないよ。

 次の仕事が見つかったら逃げよ。無理!

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 春が苦手だ。狂気の季節だと思う。花粉症ではないから身体のほうは元気いっぱいだけど、とにかく精神が磨耗する。新生活の始まりでっせ、新しいことを始めまっせという浮き足だった雰囲気、冬季鬱のときに仲良くやっていた仲間たちが次々と元気を出していく置いてけぼり感、自然界も人工世界も色が氾濫していくのに私といったらいつまでも灰色ですわの焦燥感。もう、とにかく、青い空が冴え渡っているというだけで腹が立つ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言うが、この美しい空に「ちいちゃんの影送り」よろしく、どういう怒りの映し絵を影送りしているというのだろう。

 大好きな梅雨と夏が待ち遠しい。

 調子が悪い時は悲しいほど夜型だ。酔っ払って石ころサッカー散歩をしていたら、住宅地の中心部だったこともあって、一蹴ごとに防犯ライトに照らし出された。スポットライトを浴びる主役になった気分。ミニワインボトル300円でモブキャラがメインを張れるから飲酒徘徊は全体的に見て得をしている。

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 目に入る象徴が全て私を責め立てる街に降り立ったことはあるだろうか。春は、1日を通してずっと、そういうたぐいのサイアクさに囚われる。日本各地に禁足地が増えていくので、いつかもっと大人になったら、個人的ダークツーリズムを企ててやろうと思っている。

 今は亡き誰かの顔写真をプリント・アウトした写真にラミネートがかけられていて、そいつが改札内に夥しく貼られている駅を出る。そいつらから眼を背けるために、バス待ちの時間に脳死でiPhoneをフリックしつづける。そういうのがさらに、そいつらの怒りを買うのだ。

 死者も昔は、この駅を利用していたのだろうか。それともこういう大学はキャンパスが学部ごとにいくつもあり、全く違う場所だったりするのだろうか。

 方言に特化した博物館なんて素敵なものが日本のどこかにないものだろうかーーと、ユウイギなことを考えるように意識しながら、歩く街の高度はべらぼうに高い。高地トレーニングをしながら3時間くらい歩いた。足首がちぎれた。やみくもに足を動かしたって特に有意義な思考が組み立てられるわけではないが、ひとまずは過呼吸発生領域に寄与する値の上昇を抑制してくれる。

 靴擦れの訪れによって旅路はここまでになる。足首の皮膚は薄くて破れやすくて、すぐに血が滲んで歩けなくなってしまう。我慢の断言ができない。足首痛さに錯乱して、自分の手首をこれ以上かきむしってはならない。

足が治ればすぐに歩き出さなくては。「歩き出さなくてはならないこと」は、つまり「歩き出すという要請を内在化している」ということで、勝手に作ったでっかい魔物に見られているということだ。

 靴が悪いという指摘もある。だがこの靴はかっこいい。次は別の靴を履いてくるか。比喩としての。

 ここはとにかく坂が多い街だ。自力では届かない場所にある電源ボタンが切れちゃうまで「歩く」をやらないと呼吸が過剰になってしまう。おそらく知らない土地の電車のせいもある。

 自分のことがこんなにもちっぽけで醜い夜を、初めて過ごすかもしれないと毎回思うことになっている。されている。

 洗面台の前に座り込む私を呼びかける痕跡が、空間・空洞がこうも辛い。チェックアウトの時間は過ぎている。IKEAが分裂していく。

 もう金沢駅まで行かなくなったサンダーバードから眺める車窓とカフェインの離脱症状に包まれた霧雨。死者の遺影のラミネートが町中に溢れていて、たまにぎょっとするくらい私に似ている。それが痕跡のはじまる合図。

 死は怖くない。辛いことがあったときに「死にたい」とまじなうことで快楽を得てきた。魔法の呪文とミーム汚染を起こしたあの事象に触れた時、もはや私はあたかもベルに応じてよだれを垂らしている一匹のイヌ以上のものになる気がない。本質的な切れ目の存在に気づいていない。もっと気づいたほうがいいのかもしれない。

 調子を崩すと紙媒体の日記が書けなくなる。過去の日記を読むと空欄期間がメンタルブレイクを物語っていて面白い。日記が書けない期間は一年を通して3/5ほどで、とりあえずここ数年間は長くても半年以上がブランクになることはない。自分の絶望時期がおおかたの目安で分かるのは助かる。あと数ヶ月、とにかく毎日をやり切るしかない。

 なにが日記を書けないほどの憂鬱のトリガーになっているのだろうか?

1.他者の要請に応えられないという思い込み

 他者の要請に応えられないことがなによりも辛いのだけど、これは人類共通の認識なのだろうか?「治療すべき症状」なのだろうか?

 適度に快適に過ごせる可能性のあるあなたに、適度に快適に過ごしてもらうために、あなたの適度と快適を探って、自分の引き出しからそれらしいものをあてがって、あなたの瞳に映る私の姿を私の瞳で捉えることにより、絶対に到達できない「自分」がイケているかどうかの判断を下しながら生活をしている。

 「あなた」とは、「私ではないもの」という意味での「他者」でもあり、「私ではなく、私領域と私領域外のすべてを知る大文字」という意味での〈他者〉=〈あなた〉でもある。すなわち、私にとって、「〈あなた〉」なのだ、「あなた」は。

 「あなた」が述べる「そんなに気を使わなくていいのに」という言葉は「慰め」になりえない(もちろん、ありがたいことだが)。その言葉は別の領域へ自動転送される。そうやって時間を過ごしていくと、〈あなた〉は「あなた」を飲み込んで変化を続け膨張していく。

 〈あなた〉にどんな供物を捧げれば、私は救済されるのだろうか?

 きっと、私は、私自身に死が訪れたときにようやく〈あなた〉とひとつになれるのだろう。言葉を失い、身体感覚を失い、永遠に「私という個人」がなくなったとき、〈あなた〉とひとつのものとして、やっと、あらゆる苦しみから解放されて、「円環」になれるのだろう。私はそのときを待っている。いや、直面したときの恐怖を、甘く見ているのかもしれない。

 ときたま〈あなた〉とひとつになれたような感覚があるのだけど、そういうときはいつも事後承認として現れるので、なんだかこう、極めて歯がゆく、精神がブレる。テュケー(偶然)。

 頭がよくないのに考えすぎている、というのは重々自覚している。当然、これは「思い込み」なわけです。

 映画が現実とまったく同様であることの延長線上で、「思い込み」って真実だ。真実は「なくてはならない」というものではない。「なくてはならない、が、ない」。少し安直に「ただある」。「ない」が「できない」ともいえる。

 だから私たちはどのブランドの「思い込み」を着るのかを選ばなくてはならない。かつ、ノームコアが流行りだしたり古着がかっこよかったり、諸々をdigる必要もあるなら出てきて、イエベやブルベ、骨格診断、それらを取捨するのか否か、考え出したら果てはないし、特に考えなくても、誰かが買って来た服を着ることもできる。

 私はお気に入りのパーカーよろしく気に入ってしまっているーー肌触りがいいとか好きな人に褒められたとかーーそういう思い入れのある「思い込み」を。

 だが、布は綻び肉体は変化し、季節と気温は移りゆく。時代・流行の移り変わりは無意識領域で駆動する。

 服側から「お前の肉体は気に入らない」と告げられた場合に(実際は、ふと街のガラスに映る自分の姿を見て、「似合っていないかもしれない」と気づくことから始まるのだけれど、あたかもそのときは「服からの裏切り」というニュアンスで訪れるのだ)新しい服を買いに行くのか、私の肉体を改造するのか、リメイクを施してごまかすのか、選択を迫られる。

 服を買いに行く服がない。

 べつに裸で外に出たってかまわないけど、私が出たい「外」は「社会」のことだろう。映画『まぼろしの市街戦』のラストシーンで、服を脱ぎ捨て精神病棟の前に佇んだ男がどうにも羨ましいのだが、私はその門を叩けない。

 他者からあてがわれた服は着たくない(=自分が選んだという充足感がほしい)が、師匠筋から「着ろ」と命令されるような道場着があれば別なのだろうな、確かに。

2.空虚が吸い込んだ私領域の低下が引き起こす、外部を飲み込まんとする欲望

 私たちの真ん中には普段意識しない空洞が開いている。

 あっちの世界の不死金魚が水面から顔を出すのとリンクして、空洞は大きくなったり萎んだりする。穴の周囲を飲み込んだり未分解のどろどろを吐き出したりして、私領域に変化をもたらす。

 ホメオスタシスのはたらきにより、増せば与えたいし減れば飲み込みたい。

 暴走したカオナシみたいに、私領域の宝物を餌に、お前を飲み込もうとしているときがある。これがとても厄介だ。枯渇しがちな私領域はすり減るし、人を飲み込むと呪いを受けて妖怪になってしまう。妖怪になっちゃうと友達がいなくなっちゃうし、会社に行けない。

 基本的に紙の日記というのはB5を3分割したくらいのスペースしかないので、体よくまとめた良い事ーー過去の楔をこの白紙上にきれいに穿ちたい。洋服や妖怪の話はとりとめがなく、紙幅が足りない。申し訳ないけどnoteを始めてからずっと、ここではセラピーをやっている。

 絶望をやりきった清々しい朝は不機嫌な白い曇り空でうれしい。根尽きた。これでいいのだ。ここに住みたいんだよ、私は。考え抜いて疲れ果てて気絶する前しかここに来れない。これからも考え抜いて疲れ果てて気絶していこう。

 発作が終わったら生活に戻る。

 ギチギチの電車、両隣の人がモゾモゾしないように座れると「うまく置けた」と思う。perfect。

 聞いているポッドキャストで「街を歩いているとわけもなく涙が出そうになる」という人を「メンヘラ」と呼称するくだりがあって、どうあがいても君たちからの定義づけからは逃れられないと思う。どうせそうなら真摯なメンヘラでいたい。

 最近ずっと着けていた銀の指輪を外してみた。比喩として。うまくいくといい。

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