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日記(または、セルフカウンセリング)-2024.02.10

 インターネットばかり見ている。

 インターネットにいる人。同じ次元にいれたら、こんなには辛くないだろうか。最近はインターネットにいる人が「在る」ということが辛く、インターネットを見るときに、あまり人の方面は見ないようにして、人避けをしながらインターネットをしている。私は基本的に生きていくうえで、インターネット以外やることがないが、人がいないインターネットにはそんなに興味がない。すなわち、そんなに興味がないインターネットを、人のことを考えながら、なんとなくやっている。どういう状態だろうか。

 幸せに生きてほしい、とは、思う。でもどうか幸せになるのならば、私の視界に映らないところで、幸せになってほしい。「在る」ことを消し、「未来」を消し、心の安定を図りたい。
 客観的に見て私の心は、かなり限界が近いところまで来ている。何度も何度も壊れたビデオテープを再生している。その度に呵責する。自己は愚かだ。やってられない。全てを手放したい。スタミナが足りない。私にはまだ早い、すこし難しい行為だったのかもしれない。
 ならば、あなたの瞳に映る鏡像の殺害によって、少しだけ衝撃が走ればいいのになと思う。円環になってしまったあなたが、私が消えることによって、少しだけ動揺してほしい。もうそれくらいしか、私に残されたウエポンは無いような気がする。
 誰と戦っているのだろう。私は度々、客観性を取り戻せる。そのことが誇らしく、偉いと思う。

 この状態でい続け、かつ、労働の責苦に苛まれていると、当然調子がすこぶる悪い。
 私は調子が悪くなると、言葉が無限に分裂し、その渦中に呑まれ、真っ当な判断ができなくなる傾向にある。頭もグラグラしてくるし、まっすぐ立っていられなくなる。かわいそうだ。

 かつて親しく接してくれていた人たちは、この状態に陥った私を見て、口を噤む。言いたいことがあるなら明確に言えと苛立つ。

 申し訳ないと思う。

 私はこの「なにか」と「不調」、それから「その原因」を伝えたくて必死なのだけど、言葉はバターのように犬になり、駆け出す。ドーナツの穴をつかむことはできない。平らげてしまっても、そこに残っているのだ、実は。ダイソーの店員・逆裏対偶。そこになければありますね。あるのだ、確かに。私は「そのもの」を語る言葉を持たない。結果、遠心分離機だ。おいしいバターのできあがり。

 言葉が吸着性を帯びるあの瞬間を痛感したことはあるだろうか。
 大好きだった元同期が言っていた。統合失調症の因子を持つ人間がサイケに手を出すと発病のリスクが高まるから程々にしておいたほうが良い、と。私はきっと、統合失調症の因子を持っているわけではない、とは、思う。それなりに長年生きてきたうえで、前述に当てはまる諸症状に苦しむことはなかった、ので。たぶん。わからない。
 だか、私はとにかく、感情移入がうまく、自己がなく、誰にでもなれる。あなたになることが、わりかしうまくできる方だと思う。どうも「そういう傾向」を後天的に、会得したふりをする、もしくは、会得したと自己暗示することができる。自分の輪郭がきわめて薄く、自己催眠がうまいのだ。演劇とか、やってみたかったな。いろんな人になってみたかった。

 閑話休題。

 「すべてがそうであった感覚」に打ちひしがれる。全部がつながっていたんだなと思う。目の前の林檎が、あらゆる答えのような気がする。「林檎」がもつシニフィエが、すごい速さで細胞分裂していき、べつのシニフィアンを想起し、〈真理〉めいて到達し、現実世界の事象として、目の前に現れる。たまらない。こういうことかよ、が止まらない。どうとでも言える。この世界は曖昧で揺らいでいるから、切り取り方次第で何とでも言える。It's media。
 ただもう中動態的確信が、辞められない。東尋坊の崖っぷちに向かって、ブレーキの壊れたバイクのアクセルをフル・スロットルで回している。今、クラッチを離してエンジンに繋ぐ。いいか。繋いでもいいか。
 まだだ。私はまだクラッチを離さない。

 歯が痛い。奥歯が痛い。歯医者に行かなくてはならないが、地元のやさしい歯医者にしか行きたくない。この行為が、私の人生のマンデルブロ集合であるという結論に飛びつく。私は知らない土地でもなお、過去の快感に浸って、身動きが取れなくなっている。
 奥歯。左の奥歯。きっと咀嚼でいちばん使うところ。そのありがたみを蔑ろにして、適当に扱っている。いつかしっぺ返しが来るのだ。そういうことばかりしている。
 私の心のエナメル質はどうだ。あなたが土壌ならばきっと、極めて赤い紫陽花が咲くだろう。今私はトゥース・エイクなのだ。虫歯って削り取るしかないの、怖すぎ。
 以下分岐。同時進行。分岐の「岐」って岐阜の「岐」じゃん。峰感。選択肢、もうひとつ追加。
 ①北陸の梅雨。この世でいちばん陰鬱で、発展性に掛け、怠惰的ですらある、とろけるように美しいもの。
   ②心は自然治癒が叶わないのだろうか?
 ③いかにも黄色と黒の交通標識じゃないか。嫌になる。

 朝が来た。出勤しなくては。

 毎日これの繰り返しだ。頭がおかしくなる。
 あのとき自己に課した絞首刑が失敗した腹いせに、他者たちに無理やり真綿を持たせて、どれか一つが足元を抜かす、三つのボタンを順番に押させている。申し訳ない。
 謝ってばかりいる。

 ユニクロのカーディガンで死ねるわけないだろ。とんだ構ってちゃんの演出家だ。かわいい高校生の私。ガラケーで映画でも撮ってみたらいい。今より軽やかで、自己の輪郭が脆弱で、そういうのを嗅ぎつけてくる嫌な大人によくモテた。私もあなたのことが好きだよ。

 北陸の梅雨が世界で一番好きなテロワールだ。コーヒーの種子が風土によってその味を変化させるように、私の人格もこういった気候によって

 朝だって。8時2分。あと30分で家を出なくてはならない。

 なるほど。

 なんか、その、よかったです。私がちょうど良くて、よかったですね。私に訪れた試練とでもいうのか。いえますね。そのようにも、いえる。
 勘繰りの見捨てられ不安はいつまで経っても寛解しない。特効薬は存在しない。この症状の緩和に、他人を付き合わせるのは申し訳ない。特定のパーソナリティ・ディスオーダーとは関わらない方がいい、と直接言われたことがなん度もある。私もそう思う。いつも曖昧に微笑む。
 にしたってひどいじゃないか、腫れ物扱いだ。多様性とは。なんとかごまかすしかない。私はそうじゃないですが?嫌ですよね〜ほんと……と、私の背中には鱗が生えていることがバレないように、いよいよ手首まで侵食してきたグロテスクな表皮が見えないように袖を引っ張る。刺青を入れたい。エロティックな水蛸の呪いを刻みたい。
 いや、わかる。ロックオンされたら大変な目に遭う。関わらないに越したことはない。私は処世術として、羊の皮をかぶる。あなたに害をなさない、約束する。大丈夫、真実だ。手首の次は、左手にHATE、右手にLOVEの刺青を彫ろうかと思う。

 文章を書いていたら落ち着いてきた。私は神に祈る代わりに言語の傀儡(かいらい)になることにする、しばらく。これで私の精神がどうなるのか、様子見だ。

 社会の賓にしか果たせない特別な役割について考えている。統合失調症もADHDもASDも、常人には成し遂げにくい才能があるとされる。私はヴィランになるしかない。反面教師として、穏やかな愛の素晴らしさを教えてやる、君たちに。

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