さりげなく近づいているバッドエンドの気配
◯アビー・ロード
街が語りかけてくる。お前は今までずいぶん間違ってきたぞと喋りかけてくる。お前は間違っているから何もつくれず何もわからず友人が去るのだとざわざわ蠢いている。うるさい。
語りかけてくるというよりは、直感が到達する感じだ。この感覚、なんなんでしょうね。
りんごを見たときに人は何を思うだろうか。
「あ、りんごだ」と、思う。これは、そこにりんごがあることが意外であるようなニュアンスをもつ。
では、そのりんごがそこにあることを知っているときはどうだろうか。「うまそうだ」「食うか」と、こんなところだろうか。
街の形が突然のりんごである場合、たいてい、街は私に新鮮な驚きと生きていることの可能性を与える。だが、そこにりんごがあると知っているときのような街は、私に「間違っていると言っているぞ」という直感のカタマリを、元からそこにあったような顔ぶりで配達する。配達が完了し、私はサインを書いて荷物を受け取っている。段ボールを持って呆然と立ち尽くしているのだ。
みなさんは、散歩中に街を眺めて、途方もない虚無感に襲われることってないですか?
そういうとき、どうやってやり過ごしていますか?
この問題を解決するためには、どうしたらよいのか。とりいそぎふたつ、考えられる。
ひとつめ。街をいつまでも新鮮な形に保っておく。
ふたつめ。こういう考えに固執していると気づいたときに、自然の中でゆっくり呼吸をするとか、何かに没頭するとか、気を逸らす行動を意図的に選択する。
ひとつめについて。
街をいつまでも新鮮な形に保っておく。この場合の「街」とはきっと隠喩だ。私は「街」に何を投影しているのだろうか。
「街」。きっとそれは、「直面している現実」のこと。ニュートラルに眺める現実というものは、私に呵責を与える。生まれてきてからずっとそうだ。この感覚はきっと、致命傷を負って三途の川を眺めるまで付きまとう「癖」みたいなものなのだろう。いつかこの領域が暴走するようならば、私Bをカウンセラーにして精神分析をしてみてもいいのかもしれない。今は保留だ。
定義を与えた憂鬱の空洞は、与えた定義の枠組みでじっとしているわけではない。また名前がつけられないものに転移し、別の「名無しさん」に移ろい、別の症状が顕れる。欠陥はこの身に抱えたまま、また別の領域に転移していく。この憂鬱の前で、ジタバタあがいても仕方ないのだ。水に浮かんだ欠陥のオモチャみたいに、一点を軸にくるくると回るだけ。
認知行動療法と自己啓発本のなにが真実か。私たちはファスト・フードではない。
だから、とりあえず今は、かりそめのパッチをあてておく。
ひとまず、なるべくそういう悪循環にハマらないように努める。
なにか新しい刺激と出会い続けたい。意外なイメージとダブらせるとか、この身に対してありがたいという感情をもつとか、なにかを作ることって楽しすぎるとか、信頼できる友人と喋るとか、そういう「上振れ」を意図的に起こし、なるべく生の現実に触れないようにしてみる。
だが、これが目まぐるしすぎてもだめだ。
運命の恋愛をやるとか、世界を救えそうな使命に燃えるとか。天命が来たときにはそれをやるしかないのだが、天命が来ていないうちからのめり込むものではない。それらには、それらに耐えうる理論がいるのだ。私にはまだその理論は構築できていない。
ラディカルな快楽に耽ったあと、それ相応の副作用が来る。報いを受けなくてはならない。
しばらく報いを受けていたが、どうやらおおかたの罰は受け終わった。
畢竟、たぶん今の私には穏やかな安心感くらいの、ちょっとだけ上振れ程度の刺激がちょうどいい。
ふたつめ。
マインドフルネス瞑想の効能については、数々の口から語られてきたそれらに加えて、私がとりたてて語るべきことはひとつもない。瞑想はいいものだ。
インターネットの友人に会いに行ったときに、改めて瞑想を教えてもらった。あのあたたかな陽射しと木陰、経済社会から少し距離を取るような顔で建つ東屋のことを思い出すと、それだけで穏やかな気持ちになる。私の使用する「瞑想」という言葉に、ひとつ、新しい文脈が加えられたなと思う。
この憂鬱とうまく付き合って、ゆったり呼吸をすることで我を鑑みたり、はたまたなにかを作るときのエネルギーに昇華する、ということを、意図する。これは石碑です。私は自分の中に石碑を建てると「50年後にポケストップになれ」と思うんだけど、今回も、そういう類の石碑。
50年後の私民俗学者に、したり顔で由来を解説してほしい。そのまま風化してしまっていても、それはそれで、国破れて山河あり。
それができれば苦労はしないが、とりあえず石碑は建っている。私には供物を捧げ、メンテナンスをするという役割がある。
MOTHER2に出てくるバードマンのお墓みたいにはさ、なってるけどさ。
◯岩盤こつこつ
仕事がアホみたいにつまらないが、大ポカを犯す感じではないこと、職場のみんながそれなりに優しくしてくれること、賃金の水準がいいこと、この3点が要因で非常に辞めづらい。
仕事を飛びたい理由としては3点で、アホみたいにつまらないこと、通勤の拘束時間が長すぎること、休みが取りづらいことが挙げられるだろうか。これらが原因で、身の回りを整えることができず、+アルファでなにかを作ったり本を読んだり映画を観たりする時間がちっとも取れないことが苦しいのだ。
とはいえ最近の日記は電車通勤中に書かれている。なにをするのも自由な拘束時間というのは、自堕落で怠けがちな私にとっては中々いい機会なのかもしれない。きっと徒歩5分で自宅に着いたなら、自堕落ソファに寝っ転がってインターネットばかりしているだろうし。
明日は電車の中や昼休みに、iPadで写真の現像をしてやろう。
◯駆け抜けて性春
暑くなってきて半袖Tシャツで過ごす日が増えた。夏は黒い無地のTシャツしか着たくない。自分がジャルジャルの宣材写真すぎて、鏡に映るたびにウケてしまう。
私は、ジャルジャルの宣材写真みたいな服を着て、春を駆け抜ける。
みなさんもジャルジャルの宣材写真みたいな服を着たときは、遠い土地でしゃかりき生きる私と、コンビを組んでいるぜと思っていてください。私の救済ってそういうところにあるから。これを読んでいるどこかの誰かと、後藤における福徳の関係性になっている(かもしれない)。それだけで私は生き延びてやろうと思える。ジャルジャルへ、ありがとう。あなたへ、ありがとう。
◯4月曲
4月によく聴いた曲をまとめた。
vaperwaveがきている。B級スポットや古いローカル・デパートが好きで、幼少期からおもしろFlash倉庫に入り浸っていて、古い筐体の『太鼓の達人』を叩くことに目がない友人にシェアしたら、まったく同じ熱量で良さを話し合えて嬉しかった。ウチらって本当に懐古厨。
vaperwaveの、よさ。もはやそこに音楽としての快楽・特異性はなく、懐かしさを感じるシナプスが喜んでいるだけ、という指摘はご尤も。うるさいぜ。ダイヤルアップ接続とハンゲームの話をしよう。
もう少しtrance色強めのゾーンもdigりたいな。おすすめあったら教えてください。
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