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こんなのは地獄だわ

◯フロイト先生と葉桜

 ナマモノの淫夢(ミーム汚染だ、特筆するのも煩わしいが)、やめてほしい。気まずい。昨晩の考え事が尾を引いている。夢分析する気にもなれない。抵抗感がものすごい。
 たぶんここに何かが眠っているのだ。掘り起こしたらしばらくは動けない。いまは割り損ねた箸を刺しておく。

 思うに、ここらへんの領域にのめり込むと、制御できかねるくらい大変なことになる。ニュータイプになる。あんまりガンダムを知らないのにそういう語彙を使うのは憚ったほうがよいのかもしれないが。人は誰しもニュータイプを自称したい。

 『逆襲のシャア』のクェス・パラヤみたいな女の子に、とにかく夢中になってしまう。突飛なようでいてその実ひとつの水流に基づいて行為している一貫性(その河は魂が見える人間でないとわからない)、我が身を焼き尽くすまで燃え盛らんとす激情、致命的な生傷が癒え切っていない闇と反して、あのわがままで天真爛漫な光り方。

クェス・パラヤさん(ガンダム 逆襲のシャア)

 エヴァンゲリオン旧劇場版・『まごころを君に/Air』が好きだ。くだんの鳥葬シーンの、惣流(私には未だにな〜にが式波かい、という面倒くささがある)に到来する情動の一貫は見事だと思う。

 度重なるアイデンティティ拡散による虚無に罹った無気力まるごとが、「いままでずっとそこにあった」という邂逅的気づきによって「全能」へと変異し、かつ、短期間で圧倒的なテロルによってずたずたに蹂躙され、「死」に係るエネルギーを内から外へと反転させる、あの様子。
 アニメシーンで一番好きなカットかもしれない。2番目はミッドナイトゴスペルの最終話。

惣流・アスカ・ラングレーさん(新世紀エヴァンゲリオン)

 それからゲーム版『Serial Experiments Lain』の岩倉玲音。担当カウンセラーを呑み込み、なんでもすぐにわかってしまう明晰さで、まっすぐへSF的破滅へと突き進んでいった教祖。私もあなたに全てを解られて「なーんだ。つまんないの」って、自我境界をくちゃくちゃに潰されたい。

岩倉玲音さん(Serial Experiments Lain)

 あんなエナジーをこの身に向けられたら私はどうなってしまうのだろう、というキッショい欲望が、ある程度まとまって数えられるくらいの人たちとわりに親密に付き合ってきた経験を経てもなお、全然絶える気配がない。

 制御できないくらい大変なことになるんだって。

 ラカンの入門書を横断しているのだけど、テキストの性質上、解釈がじつに各々に依る。とくに後期ラカンの「女性について」の講釈においては千差万別といっていい。
 フィットしない。だが誤読は避けたい。割り箸を刺して保留。

 ラカンに目処がつけば次はドゥルーズ=ガタリか。先は途方もなく長い。寄り道しながら気長にやろう。

◯空洞です

 買い物をサボりすぎて冷蔵庫ががらんどうだ。

 お好みソース、マヨネーズ、ケチャップ、バター、レモン汁、練乳、焼肉のタレ、シーザーサラダ・ドレッシング。これらの、単品ではどうしようもできない味くど液体たちを、日がな一日冷やし続けるための白い箱を所有しています。意味がわからない。

 冷蔵庫の中身と心の余裕は比例しているーーと書き出そうとして、陳腐で安直すぎてやめた。しかし、冷蔵庫の中身ががらんどうだと、どうもサモシイ気分になるのは真実だ。
 ひとまずコメを炊いて冷凍しておかないと。一袋90円のレトルトカレーも切らしちゃったし。冷凍うどんもストックしておかなきゃ。

 なんて事考えてる間にもう2時っすよ、非正規雇用のつらいところね、これ。

 誰かと暮らしたい。
 惣流・アスカ・ラングレーと一緒に暮らして、生活をめちゃくちゃにされたいぜ。

◯実家電

 実家から突然電話が掛かってきた。実家の電話番号が表示された画面を眺め、バイブレーションの振動と動揺が音叉のように共鳴し、逡巡のうちに先ほどまで見ていたツイッターの画面に戻った。

 私が苦手なものは3つある。実家、電話、それから訃報。

 もし祖父母が亡くなれば、私が喪主というのにならなくてはならない。ふたりとも90歳超えの超高齢者だ、この1年でそういうことが起こる可能性は充分ある。そういう事務の面倒くささが先立ってしまう、血縁関係の人間が死んだという悲しさよりも。
 引っ越してきてから、考え事が煮詰まったいつもの夜なんかに、家族のことを考えることが増えた。まあべつに、どこかで幸せに生きててくれよくらいのものだが。

◯スーを差し上げます

 地元の恋人と別れてから、もうすぐ1年が経つ。

 「痴人の愛」のナオミみたいな、美しくてひどい人だった。

 私たちは互いに新しい恋人ができた。とくにわだかまりもなくいち友人をやっていますねと思う、客観的に。たまに日常の良きこと報告LINEを送りあっている。「す-5151」ナンバーの車があったとか、このアンビエント・トランスが良いとか、趣味に合いそうな喫茶店や商業施設があったこととか、おもしろツイートのスクショとか。5年間育て続けたこの文脈を共有できるのは、とうぜん元恋人だけだったので、ひきつづき友人として関わってくれてありがたいと思う、素直に。

 別れた直前に詠んだ短歌を読みなおしていると「この頃の感情はもう一切この身に残されてはいない」と思う。
 この世の終わりみたいに重大そうな感情にめちゃくちゃになったとしても、過ぎ去ってしまえばこんなものだ。せめてもの抵抗として、毎日短歌を詠もう。

◯履歴書書けない

 今の職場に嫌気が差して、近所の個人経営書店の求人に応募してやろうと飛びついたのだが、履歴書を作るのが面倒くさすぎてやめた。私はこういうとき、やらない言い訳探しが本当にうまい。

◯今日の音楽メモ

 mallsoftばかり聴いていたら、Lampもうっすらそういう文脈性から解釈できうるのではという感情になってきた。
 最近ちかくのデカスーパー・フードコートでメシを食べながら作業していたら、野生のmallsoftみたいなのが流れてきてアガったけど、だとしたら通勤中とかにわざわざそういうのを聴いている意味ってよくわからないな、と思った。

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