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「無職、家を出る決意をする」の巻

 サイゼリヤのお兄さんが、青豆のサラダと白ワインを運んできてくれる。働く人たちがいるおかげで、私は、このコンクリートジャングルの中でも、安心して酩酊することができる。
 このワインを飲んだら、知り合いに会って、そのあと実家に帰る。お金のかからない実家。一人暮らしをしている人は、羨むかもしれない。そこそこ広く、そこそこ立地のいい、一軒家。

 いよいよ私は、あの家から、出なくてはならない。そして、正社員でなくても、ぎりぎり暮らしていけるだけのお金を稼ぐために、働かなくてはならない。

 私の無職生活は終わりを告げようとしている。

 私が帰る実家には、私を含めて4人の人間が住んでいる。父方の祖父母と私の母親、そして私。妹2人は進学のために他県へ移住している。
 私が10歳の時に父親が死んでから、絆でも血縁関係でも結ばれていない他人同士の、奇妙な共同生活が始まった。

 趣味のスパイスカレーをことこと煮込む。鼓膜にひびが入りそうな大音量で、ニュースキャスターが淡々としゃべる。私が台所に現れると、認知症の祖父の舌打ちはやまない。少しでも大きな音を立てようものなら、エアリプの不機嫌弾が飛んでくる。私はその対処法をいまだに知らない。
 祖母が猫撫で声で「今日はこんなことがあって、私もう、もうすぐ死ぬんやわ」と一人で喋っている。私は、「そんなことないよ、大丈夫だよ」と言うだけの愛玩動物だ。もう、たまらない。適当にあしらう。早い話が、無視をする。
 そういう日の晩に決まって祖母は、仕事帰りの母親をとっつかまえて、私に対する怒りを執拗にネチネチネチネチ語りかける。「あの子は定職にも付かず、結婚もせず、ふらふらふらふら遊び歩いてて楽しそうやね、人の苦労も知らんと」「誰に似たんやろか」「親の顔が見てみたいわ」「あんたみたいなろくでもないのに育てられると、あんなどうしようもない子供になるんやね」。私は、生まれてから幾度、この言葉を受けてきただろうか。

 ここ最近、特に機嫌が悪い。私の母親が、一人暮らしの準備を始めたからだ。
 朝ごはんを食べている最中、またしても祖母の言葉を無視してしまった。祖母の怒りの矛先は、祖父母の食器を洗わされている母親に向く。そうそうに退散した台所から、母と祖母の怒鳴り声が聞こえる。祖父のクリック音のような舌打ちが聞こえる。
 解放された母親に、私のせいでごめん、と謝ると、母親は「気にすることないで」と笑った。

 母親が、やっと、この家から脱出できる。大ニュース。大ニュースなんですよ、これは。パフパフ。おめでとう、ほんとうにおめでとう。父親という血族の要を失って、他人同士で共同生活を営む、この家から、やっと脱出できるんですよ。
 1番下の妹が成人したら、この家を出ようと決めていたらしい。父親が死んで18年。母親がこの家から解放されるまでに、長い年月がかかった。

 親戚の斡旋で、高額のお布施を要求する宗教にかかったこともあった。神様のところに行くよ、という緊迫感のある声に、幼い妹たちはされるがままだった。
 毎晩毎晩、遅くまで働いて帰ってくるたび、祖母に「また遊んで帰ってきて」とネチネチ八つ当たりされていた。父親が死んでから、ろくに、手料理なんて食べたことがない。片親パンは、好きだ。甘くてふわふわしていて、泣きそうなくらい美味しい。あのパンよりも美味しい食べ物を、食べたことがない。
 不登校の万年床。薄暗い部屋に差し込む夕暮れ。PSPで見たニコニコ動画。3割引のチョコチップメロンパン。ひぐらしの声。なつかしい風景。私の青春だ。
 高校生のとき、初めて友だちの家に泊まって、夜ご飯の豪華さに慄いた。わざわざ張り切ってくれてありがとうと言ったら、きょとんとした顔で「えっ、全然いつも通りだけど……」と困っていた。
 私はずっと、私に自己肯定感を与えてくれなかった、母親のことが嫌いだった。喋りかけられても、ろくに返事もしなかった。それでも、母親と祖母が近所に筒抜けになるくらい怒鳴りあっている時には、過呼吸のふりをして間に倒れ込んだ。そうすれば一旦ふたりのヘイトは私に向くことに、中学生のころに気づいたのだった。世紀の大発見だ。
 半年前に、数年ぶりに会話をした。「おかあさん、この家出て、一人暮らししようと思うんや」。私が待ち望んでいた言葉だった。決して仲睦まじくはない子供が、こんなことを思っているなんて、知る由もないだろうが。

 県外から来た知り合いに「どうしてこんな田舎から出ないの、出たいと思わなかったの」とやさしく問い詰められるたび、母親のことを思い出して、黙る。

 私は、私が10歳の時に配偶者を失って、あまつさえ他人の両親のもとで、毎日叱責を浴びる母親のことを、一人にはしておけなかった。

 ただの言い訳だ。自己責任。自由意志。母子分離。はいはい。そうですね。正しく生きている皆さんは、正しいことしかしゃべりませんね。
 私はいま、生まれてきてから1番嬉しいのだ。その母親がこの家を出ていくということが、嬉しくて嬉しくて仕方がないのだ。やっとだ。やっと、この時が来た。

 妹2人はのびのび育った。きっと、母親に、孫の顔とやらも見せてくれるだろう。日々、よい理解者になってくれるだろう。母親が困った時には、手を差し伸べてくれるだろう。私と違って、やさしく、社会に適応でき、他者とうまく喋れる人たちだ。

 どこへでも行けると思った瞬間、どこかへの行き方がわからなくなった。

 まずはどこに住むのか考えなくてはな。

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