夏の終りに思うこと。。。

現在中3の私の娘が、小学校5年生の時期のお話です。大人の目からみたら実に些細な出来事かもしれないのですが、この些細な事が後々大きく尾を引いたのではと親は感じました。娘は小さい頃から忘れっぽい性格だったこともありクラスの掃除当番(通常の清掃活動以外の)をある日忘れてしまったようです。これを気まずく思ってしまった娘は、なんとなくその子達とは距離ができてしまいました。おそらく意図的に疎外されたのではないかと思います。ところが、この子たちは後日先生に「〇〇さんは。掃除をきちんとしてくれないんです。」という陳情をしたらしく、娘に先生から指導が入りました。親である私もそれとなく指導的な事を言われたのですが、実情との乖離感を感じざるをえませんでした。ハッキリ言って、どんなに小さくても”女子は女子”なので、並の男性が話だけを聞いて”実際に何が起きているかを”見切る事は不可能です。今思い出しても心がザラッくる出来事でしたが、この時先生から言われたのは「娘さんは人間関係が狭くて、特定の子とのみコミュニケーションを取りたがる、社会に出たら自分と合わない人とも一緒に仕事をしたり活動する場面が出てくるのでここは努力課題です。」という内容でしたが、「その結果が、私のように自分を見失う大人をつくるのですよ」と一言申し上げたかったです。

私は、今の時代は無理に合わない人と付き合うのではなくて「どうしたら自分と合わない人と付き合わなくて済むのか、自分と合う人とだけ付き合うようにできるかを考えよう!」と子供たちに教えた方が良いと考えてます。少なくとも私の娘はそう言ってあげた方が元気が出るタイプです。

世代間連鎖という言葉がありますが、社会全体で大人達が我慢を強いられる体験をしてきてそれが当たり前みたいな集合意識を持っていると、子供もこれに順応せざるを得なくなります。夏休み明けの9月1日に子供達の自殺数が多いという事が最近良く取り上げられていますが、有効な手立てというのが個人的には見えないです。ドラマ化もされた、鈴木先生という漫画の書中にこのような一文があります。「今の学校教育は 我々が普段思っている以上に―― 手のかからない子供の 心の摩耗の上に支えられている」(「鈴木先生」5巻より)そうなのです。学級運営というのは良い子の多大な犠牲の上に成り立っているのです。いじめ問題にしても明らかにいじめる子の方が悪いわけですから問題行動が認められたら出席停止の措置をとっても良いはずです(ここが公教育だと難しいところだが)大人は会社が自分と合わない場合には転職や独立という道もあるし、思い切って会社を辞めて無職期間を謳歌することも可能です(余裕があれば)ところが子供たちには選択肢が無い。。。。

一般的には学校に通えない子達はフリースクール的なところに行くと思うのですが、これによる社会的なレッテル貼りは残念ながら避けて通れません。本来生き物の世界というのは多様であるべきだと思うのですが、多様性に乏しいと言わざるを得ないのが、今の子供たちの置かれた環境なのでしょう。

この夏は、娘が中3なので県内の公立・私立・通信・専修学校を見学してまわりました。通信制の高校を見学した時に、立派な発表をする子がいて「すごいな~」と思ってみていたら実は中学時代は不登校でほぼ学校に行っていない子でした。学校の雰囲気も自由で開放的で、本当に生徒一人一人を見ていてくれる感があり、卒業生も良く訪ねてくるそうです。家の娘は別の学校が第一志望ですが「ここもいいよね」とという感じでした。残念ながら我が家の家計状況では入りたくても厳しいのですが、こういう環境がもっとひらまればいいなと感じています。

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