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この世は自分の作ったものだとしたら【スピリチュアル】

今朝ぼんやりと、まあそんな動画を眺めていたら、その感覚が腑に落ちてしまった。

そうすると全てに満たされているので願望は特にない。

「人」も自分の中に存在しているので、人になにかしてほしいという気持ちも起こらない。どの人が特別とか全くなくなって、並列に私の世界に動いている、だけになる。

食べる、ということも、どうしても食べたいというものもなくなり、今食べているものに集中するだけだ。

テレビで見た人にエゴが少し動く。美しい女性だ。こんなふうになりたい。ああ、でも、この人も私の中にあるものの投影なのだな。

テレビに映し出される悲惨な風景。私はこんなことが起こることを望んでいない。なのになぜ?ミサイルの打ち上げ、侵略、ホストに貢いで売春、そんな記事が流れてくる。ふと、当事者であるホストに貢いだ人の意識に入ってみる。ああ、この肉体に生まれて、こういう世界を体感したかったんだな、他人事では無いのだ、だって彼女らと自分は同じなのだから、と思った。明日は我が身という言葉は、こういう世界の見方を知った人が言ったのかもしれない。

身近な人の意識にも入ってみる。必死だ。いつもなんで辛い選択をし必死なのかと思っていたがらどうにも私はそれを知りたかったみたいだ。

多分また幻日へ引き戻されるだろう。
だから備忘録としてここに書き記す。

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