未知の国ノルウェーからの情報発信は「畑での種まき」のようなもの
「ノルウェーから、よくそんなに色々と、書くことをみつけてこれますね」、ということを日本人に言われ。
「あさきって、どこにでも現れるよね」、「僕たちが住む国、ノルウェーなんかに、日本で注目を浴びるような価値があるんだね。嬉しい。Big in Japan!」と、ノルウェー人に言われる。
ノルウェーに来て、10年目。
ノルウェーという、地図で場所がよくわからない国。
ノルウェーから色々な記事や写真が日本に届くことを、不思議に思う人は多いらしい。
私は、「ノルウェー」と大抵強調するのだが、「北欧」と言い換える日本人も多い。日本には、「北欧」という創られた国があると思う。
「スウェーデン」、「フィンランド」、「ノルウェー」、「アイスランド」、「デンマーク」ではなく、「北欧」であることが重要なようだ。結構、違う国ですけどね。
北欧という創られた国があるのは別にいいのだが、それに加えて、綺麗に編集されていない別の「北欧ノルウェー」の側面も伝えていきたいなと、思う。
もうちょっと、情報の窓の選択肢を増やしていきたい。
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「北欧」という先入観の入った理想郷に、一度「解除ボタン」を押してみると、別の「北欧」がみえてきて、楽しいかもしれない。
私にとって、日本であまり知られていないノルウェーのことを書くのは、「畑での種まき」のようなものだ。
ネットでは、PV、いいね!やシェア回数などの数字で、記事が評価されてしまいやすい。
だが、私にとっては、数日間の間に、記事がどれほど読まれたかは、重要ではなかったりする。一つの記事のPVが、数万でも、数千でも(こんなことを書くと、各方面の担当編集者さんに、おい、と突っ込まれそうですが)。
記事の価値は人によって違う。人は、価値があるか・ないか、いい記事かどうか、それは正しいかを、「今までの自分が得てきた情報と、個人の偏った考え」で判断する。
でも、ノルウェーの場合、そもそも日本語で情報があまりない。オーロラ、フィヨルド、偏ったイメージの北欧以外は。
無料で情報を得ることに執着すると、その情報源はさらに偏る。
掲載前から、そのノルウェー情報に価値があるか・ないかを決めるのは、私にとっては意味がない。
それを決めるのは、読み手ひとりひとりによって異なるし、時間が経過してからわかることだ。
Aさんにとっていい記事でも、Bさんには響かない記事。それで、いい。
多くの読者に、掲載日初日には響かなくても、他メディアの編集者には響くこともある。他のメディアから、そのテーマが広がり・発信され続け、「価値があるテーマ」と、後から評価がつくこともある。
PVが低めの記事でも、テレビ局やラジオ局のスタッフが掲載後に連絡してくることは、よくある。
ネット記事の閲覧数は、ノルウェーにおいては、長期的な価値を測る、適した物差しには、必ずしもならない。
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記事の種をネットの大海原にまいて、成り行きを見守る。
私にとっては、各地で「北欧ノルウェー便り」の畑を耕し、畑を開拓中、という感じだ。
畑にまいた種から、たんぽぽになる種もあれば、ひまわりになる種もある。
大きなひまわりになるまでには、時間もかかる。
種は、時間をかけて、まずは見えない土の下で、丈夫な根を生やしていることもある。
記事掲載前から、「書く必要はない」、「意味はあるのか」を、もんもんと考えても仕方がない。試して、無駄なことはひとつもないと思う。
ノルウェーでのネタ探しには、困ったことがない。まだまだ、書ける。
ノルウェーでの毎日は、私にとって、アイデアがあちらこちらに落ちている、宝探しのようなものだ。
「あさき、これ興味あるんじゃない?」と、ノルウェー人が連絡をくれる。ジャーナリストと現地で認知されてから、自然と情報も集まるようになった。
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私はあまり自分の考えや思いを記事につづらないので、「書かないのか」と聞かれる。
「あさきさんが個人の感情を書かないから、記事をできる限り客観的に読めて、いい」という人もいる。
私は、中立というのは、無理だと思っている。どのテーマや書き方、取材対象者を選んだかだけで、すでに十分な主観が入っている。
私の個人的見解を知ってもらうことに、あまり意義を感じていない。
ノルウェー現地でのリアルな考え方と議論は、届ける。
素材は提供するので、それをどう捉えて、調理するかは読み手次第。
私の考えなんぞ気にしないで、自分で頭を使って、自分でも調べてみて、考えてみてほしい。
あなたを納得させる、全部の答えと情報を、無料で読めるネット記事ひとつに求めるのは、無理がある。
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ノルウェーはニッチな分野だ。
バズることには、重点をおいていない。
この国は、小さな実験国、ラボラトリーのようだ。
独特の福祉制度、電気自動車、FMラジオ放送廃止とラジオのデジタル化などが、良い例。
でも、「え?」も多い。
石油をがんがん掘っていたり、人間をひとりも殺していない野生オオカミをばんばん打ち殺したり。インフルエンサーは若者のメンタルヘルス悪化の原因だと、ばしばし攻撃したりする。
ノルウェーには、「北欧」の矛盾も、たくさん詰まっている。私はその矛盾を見つけて考えるのが、多分好きだ。
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人口が少ない北欧各国の「さすが、北欧事例」は、人口が多い大国には簡単には真似できることではないかもしれない。
でも、「考えるきっかけ」はたくさん詰まっている。小さな宝箱のようなものだと思う。
北欧でこうだから、日本もこうあるべき、なんて、全く思っていない。
とはいえ、日本でも活用できるように、活用できそうなところだけをつまんでみて、「結び付け直す」ことは可能だ。
それは、うちの会社でもできるかな?
ちょっと変えてみたら、できるかな?
それは、日本ではないかもな。
そういう考え方も、ありなのかな。
そういう生き方もあるのか。
誰かにとって、ちょっとした意味のある、考えるきっかけとなる種かもしれない。
私は、これからも色々な畑で、種まきをしていきます。
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