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矛盾の中に、新たな可能性の源泉がある

話し合いのときはあんなに批判的なスタンスなのに、作るものがこんなにも作ってほしいど真ん中なものになるのはなんでなん?

学生のときでしたか、そんなことを友人から言われたことがありました。スタッフとして参加していたある活動の、リーダーからだったと思います。

麻子と2人で話し合っても、正直楽しくない。でも、話し合いの場に麻子がおらんと、いい議論にならへん。そう言われたこともありました。

いまも昔もきっとそれは変わらないところで、いまになってわかるのは、おそらく私は人よりも、ものごとの矛盾に着目しやすいクセを持っているのだろう、ということです。
クセ、というよりは、衝動、に近いかもしれません。リーダーが「こういうことがしたい!」と言ったとして、これとこれはベクトルが逆だから共存は難しいんじゃないか。それはこれもやるって言ってるのと同じだけど、大丈夫?といった具合に、その中に見える矛盾を、手当たり次第に明るみに出していく。そういう衝動です。

そりゃあ、楽しくなかったでしょう、当時のリーダーは。
「やりたい!」といったハシから「矛盾してるよ」って言われるんですから。
でも、そうだからこそ、作ってほしいど真ん中が作れたんだ、とも思っています。

「矛盾してるよ」攻撃の真意は、「あなたが本当にしたいことはなに?」

矛盾しているように思える、が、どちらも本心だとすると、その奥に、きっと矛盾せず調和しているポイントが見つかるはず。それが知りたい。見えないよ、どこにあるの?それがわからないと、いいもの作れないよ。やるとなったら私それ本気でやるから、ちゃんと教えて!そんな思いの現れです。

いまも、基本的なスタンスは、あまり変わっていません。おそらく私と何かの話し合いをしたことのある人は、学生時代のリーダーと同じような思いを味わったことがあるのではないかと(すみません)

それがわかっていてもそのスタンスをあまり変えないのは、その矛盾の中に実は、その人の価値観や本当に言いたいこと、その場に潜む新たな可能性の源泉があるということに、気づいてしまったからじゃないかな、と思っています。

そう、重要なのは、矛盾があること自体じゃないんです。

なぜ、それをそう捉えるのか?
なぜ、そんな言い換え方をしたのか?
どうやって、その両者を結び付けたのか?

本人にとって無意識の世界で展開されるその繋がりを、明るみに出すことが実は大切で、無意識が意識化されたときに「あれ?」と空気が変わる瞬間があるのです。なんというか、なんともいえない、あの「風穴が空いちゃった」感。新しい可能性が開いた瞬間。それに出会いたくて、ついつい「矛盾してるよ」が出てきてしまうのですよねぇ……

だからといって場の雰囲気を沈ませていいかって言われると、答えにくいところですが。。
まぁその場は沈むかもしれないけれど、この矛盾に着目しやすい性質のおかげで、日常生活もツッコミどころが満載。周りを楽しませるネタにも事欠きません。そんな感じで別の場では雰囲気を明るく和ませもしてますんで、ここはひとつ、大目にみてやってはいただけませんかね。。。。

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