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ハロウィンの狂騒と「心の貧困」、ここから先の未来に主流になってほしいアプローチのこと

渋谷ハロウィンの狂騒について
「心の貧困」ていう原因づけがされてて
それが問題みたいにニュースが言ってる
 
でもさ、ニュースはまた
「心の貧困」を誘発しそうなニュースも
たくさん流してるでしょ
 
ニュースは、何を知らせたくて
番組構成してるのかなぁ
どんなメッセージを、自分たちの番組に
込めたいとおもっているのだろ。
 
そういうポリシーとか哲学みたいのは
ないものなのかなぁ
 
私は
物質的に豊かな場所に生まれる「貧困」は
物質的な豊かさを目指してるときの
アプローチでは、終わらないような気がしてて
 
そのうちのひとつが、この
問題だ、問題だ、ていうアプローチ
なんじゃないかと、おもっているんだよね
 
つまり、問題だ、といって
正しいものと間違ってるものにわけて
正しいものを目指し
間違ってるものを排除するアプローチ
 
そじゃなくて、ここから先は
 
どちらも正しいとしたら?
どちらもここにあるべきものだとしたら?
 
という視点から考えてくフェーズに
なってくんじゃないのかな
 
そんなアプローチが主流になる未来を
私は願っているけれど
まだまだ遠いところなのかな
 
そうすると、当面ハロウィンの狂騒か
或いはそれに変わるはけ口のようなものは
続くのかもしれないなぁ
 
などとブツブツおもう、ハロウィン翌日。

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