宮台真司が語るナンパのススメ

 こんにちは、あさくらです。

 TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」2014年1月3日放送分のコーナー内で、社会学者で自身もナンパ師として活動経験がある宮台真司氏が「2014年、積極的にナンパしていこう!」と題して語った内容をスクリプトにしています。
 私自身の思考整理も兼ねています。

 それでは、どうぞ。もちろんこのnoteは無料です。



荒川強啓(以下「荒川」):先週、恋愛の駆け引きが、政治や外交の駆け引きにも関係するという話をいただきました。それに続いて今週は「ナンパ」。なぜナンパなのか、というところなんですが。

宮台真司(以下「宮台」):適切な言葉がないんだけど、僕たちが問題にしているプロセスには、知らない人と知り合いになるという前半のプロセスと、知り合いになった人と絆を作るという後半のプロセスがあるんですね。前に主題にしたのは、後半の、絆を作らないと今後は生き延びることができないというというプロセスですよね。そこにかかわるパラドックスの話もした。今回お話をしたいのは、知り合いになるという部分なんですね。
 最初に、ナンパという言葉がすごくマイナスイメージがあると思うんです。特に、そのマイナスイメージは、昨今の若い人の間で強くなっていると思います。というのはまず、ナンパするという人が少なくなったので、ナンパされる経験も少なくなり、その結果、ナンパとそうでない関係、つまり仲良くなり方との区別を強くつけすぎているんですね。
 たとえば、大学の同じ教室で、同じ先生の授業を聞いている。まだ知り合いじゃないけど、いつも顔を見ている男の子や女の子がいたとして、「あの宮台の授業ってつまんないよな、自己満足なことばかり言いやがってさ」という風に、声をかける。これは共通の前提があるから声かけやすいですよね。
 あるいは人気の映画を観に行ったら、入場券買うのに、並ばなきゃいけない。するとちょうど後や前に男の子、女の子がいたってときに、同じ映画を見ようとしているわけだから、それはシブリでもいいし、何でもいいんですが、同じ好みでしょ。そうしたら、「宮崎駿が好きなんですか?」という風に声をかける。これも共通の前提がありますよね。
 ところで皆さん、ナンパというと街頭ナンパを想定されるのかな。でもね、たとえばクリスマス・イブの日、表参道交差点を歩いている。同じ時間、同じ場所に、同じ日にちですよ。歩いている、ということでも実は共通の前提があるんですよ。最初の例から今の例に至るまで、だんだん前提が希薄になる分、想像力で補わなきゃいけないんだけど、実はそういう風に考えていくと、いわゆる見ず知らずのあかの他人というのはこの世界にはほとんどいないんですね。
 すれ違う瞬間、もちろん赤の他人ですよある意味では。しかし、同じ時間に、同じ場所にいるというのが共通の前提なんですよ。宮台のつまらない授業を毎週聞いているということとそんなに違いはない。そういう風に考えると実は、僕たちの前半プロセス、つまり知らない人と知り合いになるプロセスが意味しているのは、要はこの世の中にあかの他人というのはいないと。
 同じことです、国家に対するときも、あるいは日本で働いている外国人に対するときも、あかの他人というカテゴリー先行で、どうせ何の共通前提もないんだと考えては駄目なんですよね。もう一度言いますよ、あかの他人に見えても必ず、何らかの手がかりがあって、共通前提があるので、そこから入っていけば仲良くなれるんです。

荒川:ただ、国対国の場合は、その国は事情も分かるし、そして自分の国というのもどういう国なのかちゃんと説明が付きますよね。国対国という政治の話でいけば。ところが、街中で、ばったり会ったとしても、原宿の交差点であったとしても、そこに時間と場所は共有しているが、誰が歩いているかは分からないじゃないですか。

宮台:そうなんですが、ナンパには2つの流派があって、一つはルーティーン、声かけのパターンを決めているというものがある。それは僕はあまりよくないと思っている。理由は先ほど申し上げたとおり、相手が僕あるいはナンパ師との間にどういう前提を共有しているのかというところから出発するんですね。だから時間帯というのも大事で、お腹空いてそうな人を見つけたら、「一人でご飯食べるのもさびしいから一緒にご飯食べませんか?」というのでもかまわないし、旅行先であれば、「もし方向が同じだったら、同じタクシーを拾いませんか?」ということでもかまいません。そういう風にして、アプローチしていくんです。
 ところで、僕と年末に同じイベントをやったカウンセラーでかつてスカウトマン、あるいはナンパ師をやっていた高石宏輔さんがこういうことを言っている。
 「ゆっくり歩かないと見えてこないものがあります。たとえば渋谷でゆっくりと、人の目を見て観察する。怖がらず、ゆっくりと、ただ観察して想像を膨らませる。」
 つまり、これがまず、あかの他人が回りにうようよしているという感覚を克服するための訓練なんですね。面白いのは、こういう訓練をある程度していくと、実際にナンパを、つまり声をかけるのかどうかとは別にして、町の中が匿名者の群れではなくなって、いろんなひとがいるんだな、という想像ができるようになる。それ自体が、すごく楽しいんですよ。あるいは電車に乗ったときもそう。今まではただの匿名者の群れ、どぶねずみ色の人の塊なんですけど、一人ひとりを想像していくという訓練をすることが大事なんですよ。

荒川:それはいつもやってますよ。この人はどういう仕事をしているのかなとか。

宮台:そう、シャーロックホームズみたいにね。

荒川:この人はたくさん本を読んでる。どういう人だろう、学者か、いや学者じゃないかみたいに、ものすごく想像しますよ。

片桐千晶(以下「片桐」):人間観察ですね。

荒川:時には、同じ時間帯に会った人に、また会った、また会ったという風に。外国人に勝手に名前を付けたり。あれはジョンというんだ、みたいに。そしたら本がフランス語で、ジョンじゃなくて、名前変えなきゃいけないねって。

宮台:国の場合は相手のことがよく分かるという風に、さっき言っていたが、日本の外交を見ていると、違う。日本に愛国者がいるのと同様に、よその国にも愛国者がいるんですよ。右翼国際主義という立場は、どこの国にも愛国者がいるのは当然であると。自分の国を愛し、他の国と場合によっては敵対するのも当然と。相互性から出発することが大事なんですね。
 ところが、他者に対する想像力が欠けている人は、僕たちの国に愛国者がいるように、向こうの国にも愛国者がいるということが吹っ飛んでしまうので、自分に生じている感情と同じ感情が無効にも生じているがゆえに、相互性を手がかりにして、融和に向かうことが出来るという手がかりを見逃してしまう。なぜかというと、自分の感情が融和するのと同じメカニズムを相手にも想定すればいいだけの話でしょ。

荒川:自分が孤独であるという思いをしちゃいけないと。

宮台:という風に言ってもいいし、自分が孤独でないなら相手も孤独でない。そうした相互性を絶えず考える。たとえば、寂しそうな人がいるときには、寂しそうな国でもいい。自分の寂しいという風に考える。それはなんでもよい。自分の欠落、たとえば道が分からないので教えてくださいというのも自分の欠落。「ちょっと退屈しちゃって、寂しくなっちゃって声かけてるんだけど・・・」というのでも良いんですけど。自分の欠落から出発するのも大事。それも相手に欠落がある場合には響きあう。それがつまり、誠実さとして現れるので、そういう風にしてアプローチをする場合には、いわゆるルーティーン系の声かけとは違ったものになるんですね。

荒川:いるよね、ナンパ師みたいなのが。今日も同じところに立ってるというのが。

宮台:スカウトマンは相手を金づるとしてみている。相手を「人格」というより「物格」としてみている。相手を物としてみる、そういう構えはよくないんですよ。前半のプロセスと後半の絆を作るプロセスが分かれているという話をしましたが、前半のアプローチの仕方によって後半の可能性が思いっ切り縮められたり、豊かになったりするんですね。

荒川:うーん、ただ妄想はするが、積極的に声をかけたり、アプローチするかというと、相当度胸がいるんですね・・・

宮台:さっきCMの間に強啓さんがすばらしい手品を見せてくれた。ものすごい修練の跡が感じられるもので、このような修練、つまり苦難のプロセスを何の目的もなしにやっているとは思えない。人の目をキャッチするための工夫をやっている、普段からやっていらっしゃるんですよ。そういうのを「フック」、釣りとか言うですけど。フックは何事につけて大事なんですね。あれをみたら「えーっ!?」と思うじゃないですか。その瞬間、専門的には「変性意識状態」に入っていて、ありえないことがありえる状態なんですよ。そういう状態にあるときに「ご飯食べに行こうよ」といえばパーフェクトでしょ。

片桐:えぇーー・・・

宮台:何か問題ありますか?僕の発言(笑)

片桐:さびしいからご飯行きませんか?って声かけられたら行きませんからね、成功するのかと・・・。

宮台:街頭ナンパだったらそうでしょう。でもたとえば同じ行列に並んでいて、「いつものことだけどすごく混んでいますね」みたいに超えかけられたら、普通に話しますよね。いたるところに手がかりがあるんですよ。今何もサンプルがないところで話をしているので、街頭ナンパも敷居が高いように見えるけれど、実際には、デパートに来てるとか、専門の店に来ているのか、そうしたことによっても目的が違うし、やろうとしていることも違う。あるいは結構地味な格好で来てもかまわないような場所にすごくおしゃれな格好で来ている場合というのも、「その過剰さというのは何かを意味しているだろうな」という風に考えるべきなんですね。
 とにかく、これはナンパの問題じゃなく、人間関係全般についての問題で、自分と他人の間に手がかりがないと考えるクセをまずやめるんですよ。たとえば、講演や授業をする場合もそうで、個々の人間全員が手がかりを発信していると思うと、講演していても楽しい。それが無色透明のmass、大衆、塊が聞いていると思うだけで、結構気が滅入るんですよ。そういう風に、大勢の人に働きかけるときの、こちら側の構えの作り方にも参考になるんですよ。

荒川:ということは、観光地に行って、同じようなところにいる人たちに話しかけるという訓練から初めてもよいですね。

宮台:それが一番難易度が低い。同じところにいるのに、退屈そうにしている人というのもいるはずだから。仲良くなるためには、他人がただの他人としてしか見えないという状態を克服しましょう。これは、外交にも役立つのです。


・・・いかがでしょうか。

 この放送は2年半前のものですが、現在においてもなお変わらぬ本質を的確に突いている側面があると考えます。

 間違いなく言えるのは、ナンパの敷居は世間一般人が直感的に思うのよりもずっと低いのだ、ということでしょうね。

 今回はここまで。閲覧感謝!

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あさくら

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