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あの時のあなたへ 叔父の本もらって下さいませんか

よくガン家系などと言うが、母方の家は心臓で死ぬことが多く、2004年に急死した叔父も心筋梗塞だった。死んだ当日、待ち合わせをしている人から叔父の携帯電話に、何度連絡しても返信がないことに対する、怒りのメールが入っており「そのような無責任な方とは思いませんでした。非常に残念です」というリアルな文言に、なんの連絡もしないと、こんな風に言われちゃうんだな、と私は思いながら、携帯の画面に向かって「うん、でも死んじゃってるんで」と、言った。

叔父は2003年に、横浜市立大学のCEOに任命され、忙しく動いていたようだったが、その責務に付いた途端に死んだのだった。今思えば、死んでしまった叔父はともかく、立て直しを計りかけた矢先の大学周辺の人達こそが大変だったのは間違いない。

死んだその夜、叔父の携帯は何度も鳴ったが、出ることはためらわれた。だがメールはこちらが出なくても勝手に入ってくる。「先生、噂は本当なんですか?」おそらく、前職だったの生徒だった人物からのテキスト。「ええ、本当ですよ」と、打ち返すわけにも行かないので、そのまま放置し、また次のメールが着信される。女性の名前の同じ人物から何度もメールが送られてくる。「先生!嘘ですよね!嘘って言って下さい」。叔父が死んだことがいよいよ彼女の中で本物になって行く過程がメールに表れてくる。「いや、ごめんね、嘘じゃないんだ。本当なんだ」。私たち身内は次どんなメールが来るんだ?と、不謹慎な期待を胸にメールを待った。

「先生、愛してます!」そんな文面のメールが夜中に送られて来たとき、ゴロリと隣りで寝ている叔父を横に、妹が言った。
「おじちゃん...すごい...モテてる...」
もし、死んだ叔父が部屋の中を漂っていたとしたらこの騒ぎを見て何と思ったであろうか。私たち数人の身内(と、言っても私と妹と母)は、自分だったらこんな風に言うだろうか否か、だけど、生きているうちに言えるのかどうか、などと、さざめき立った。さすがに「愛している」と言われて生き返るわけでもない。死んだことが明白になれば、このメールも身内の誰かに読まれると、彼女も理解できたのだろう。以後、メールはぱったりと途絶えた。

人が死ぬとその晩は、身内の誰かが起きていなくてはならない。私たちは横浜の叔父の家で入れ替わりに寝たり起きたりした。優しくて、背の高い、頭脳明晰で私たちの自慢だった叔父は64歳で死んでしまった。叔父には子がいなく、妻は先に鬼籍に入っていた。つまり、告白されてもなんら一向に差し支えのない身であった。

あの女性は藤沢の人なのかな?

叔父は慶応を出て、慶応の事務をしており、事務長になって、多分なんかちょっとエラいさんになったみたいで、気付いたら大学の先生になっていた。何を教えていたのかは、分からない。聞いてもいまひとつ分からなかった。慶応にいるのに、神奈川の藤沢にいると言うのも、まあ私が興味なかったからなのだろうけど、なんだ、東京じゃないのか、田舎なのか。と、自分の方が百万倍田舎にいるくせに、そう思っていた。本当にすみません。

葬儀は極めて小規模に、神式で執り行われた。長かった葬儀が済み、棺を車に積むと、私たち身内もワゴンに乗り込んだ。出発の準備が整い、大勢の参列者が斎場の前に集まった。私はワゴンの中から昨日のメールの人がいるかしらと、見ていた。参列者にそれらしき人も見つけらない内に、黒く光った車はファーンと、クラクションを勿体付けて長い間鳴らした。棺を乗せた車がゆっくりと動き始めた、その時、見送る人たちの最前列、ハンカチを握りしめた若いワンピースの女性がひとり、先頭の叔父の乗っている車を追うように、くずおれているのが見えた。隣りの友人がそれを支える。

あ!あのメールの人だ。

私は直感した。だが、私の乗ってワゴンもそのまま走り出し、女性の姿はすぐに小さくなって視界から消えた。

叔父の死後、私は叔父の蔵書を譲り受けた。叔父は文学青年で、私の見立てによれば、多分作家になりたかったのだと思う。叔父の蔵書を弟である叔父が詳細なリストと共に、段ボール20箱分くらい送ってくれた。しかし、私が死ぬまでにこんなに多くの書物は読めそうにない。

私の頭の隅に、今でもあの時の女性が残っていて、もし、彼女が叔父の生きていた証を少しでも受け取ってくれるなら、この蔵書の中から欲しいと思うものを持って行って欲しいと思っている。実は、蔵書のうち、少しは既に古書店に出してしまったのもあるのだけれど。

あれから12年が経って、既にこの話もエイジングされている。あの女性も今は30歳半ばくらいだろうか。第一、そんな風に送られた叔父のなんと幸せなだったことか。その時居合わせた身内全員が、そう思っている。


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