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隠れ家的なお店と最近のnote

「ここ、すごくいいお店ですね」とお褒めをいただいた後に
「誰にも言わないでボクだけのお気に入りにしておこう」
そう、ぼそっと言われる事があります。そんな時、私は心の中で叫んだものです。

え、ちょ、ちょっと待って。じゃあ、あなたは、あなたの周りの人にいいお店あるよって、言ってくれないんですかーーーー!?

人間の指向のひとつとして、いいもの(悪いものでも)があると、それを人に伝達したくなる。というのがあります。つまり、クチコミです。私知っているのよ!すごいでしょ!という今で言うとマウンティングの一種になるんでしょうか?違う?うーん、ちょっと分かりませんが。

例えばいいお店があると、それを人に教えたくなるのは

いいお店を知っている⇒私は⇒すごいでしょ。

という、この「すごいでしょ」という部分を言いたいがためのツールのひとつが「いいお店」なわけです。そのようにして、クチコミが広まっていくのですが最初に書いたように「ボクだけの店」にされると、拡散されません。

例えば、ひとりのお客さんがいるとして、その後ろには10人のお客さんがいる、と言われています。1人が10人に言う。ということです。そして、その10人の後ろにはそれぞれまた10人がいる。つまり、ひとりのお客さんが100人も10,000人ものお客さんを内包している可能性があるわけです。

この「すごいでしょ」というのは、単に自分の価値を認めさせるだけのものではなくて、知られていないいいものを人に教えてあげる。ということでもあります。例えば、映画や音楽や小説など、その分野を深めている人が勧めてくれると、興味が出ますよね。それはすなわち文化が深まることでもあります。

例えば、映画を沢山見ている人で、自分と趣味の合う人が

「Yukiちゃん、『迷子のエジプト音楽隊』見た?面白かったよ」

と、教えてくれたとします。でも、あきらかに一般受けしそうにない映画だった場合、それを見て自分が面白かったとしても、「踊る大捜査線」や「世界の中心で愛を叫ぶ」を見て感動している人に勧めてもアカンな〜。と言うのが分かります。次に言う人を選びますよね。

「僕だけの隠れ家にしておこう」

というのは、ある意味

「この良さを共有できる人がいないから、自分だけのもの今はしておこう」

という意味でもあります。もし、共有できる人が現れたら、一緒にきてくれるはずなのです。

でも、お店にとってはちょっと困りますよね。だっていくらかでも収益にならないと存続していけません。秘密にされたら、いったい誰がうちの店を知ってくれるのでしょうか。店が潰れてしまったら、結局は気に入ってくれてるお客さんを楽しませることすらできなくなってしまいます。

そこで、今のnoteです。こういう状態が現在なのでは、と思うのです。note開店直後から来ていたお気に入りの常連さん。そこへ、最近の食べログの高評価を見て、あるいは「Hanako」で取り上げられた記事を見て、押し寄せてきた新規のお客さん。こういう時って、お店はやっぱり荒れます。物見遊山で来たお客さんは一度来たら後は別のお店へ行くだけです。でも、その一時期だけでも、普段のお店じゃないような状況になり、それに耐えられない常連さんが去って行ったりします。それは、まあ、飲食店の世界の話なので、またnoteとは違うと思うのですが、それにしても、noteを昔から使っている人はやっぱり「noteのサービスが始まったその日からユーザーです」と、言っていたりもします。「私、この店が開店したときから来ているのよ」と、言っているのと、本当に似ているなぁ、と感じた次第です。

とは言え、ここまで愛されているSNSがあるだろうか、と思うわけです。確かに、FBやTwitterでも初期のよさを嘆く人は多いです。それでもお店に対する愛情や熱量、戸惑い、アレルギー反応は、noteの比ではないように思います。

お気に入りのお店がいきなりやってきた人々に、土足で蹂躙されているように感じている人も多いのだと思います。それだけみんなnoteを大切に育てたいと思っていたのではないでしょうか。

でも、肝心のnoteのサービスが立ち行かなくなっては元も子もないわけです。なんか、常連さんも新規さんも、色んな人が「今のnote」について語っているので、お店をオーバーラップして考えてしまいました。そんなわけで、今日は私の好きな映画、「迷子の警察音楽隊」の予告を貼っておきますね。


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