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私と義母の七日間戦争 チョコレートの陣

私は義理の母と同居をしていた。正確に言うと「私と義理の母、その彼氏と息子」の共同生活。タイトルはピーター・グリーナウェイ張りだが、その内容はラジオの人生相談並の下世話な日々。

「ママぁ〜」
息子の良太が手を広げて私に抱っこをせがむ。
「ハイハイ......ん?」
息子の顔の周辺から例の甘い香りが漂って来る。私は麻薬犬のように良太の顔を嗅ぎ回る。
「良太、チョコレート食べた?」
「ううん、食べてないよ」
「そうかなぁ、お口からチョコレートの匂いがするよ」
「うん、おばあちゃんがくれたん、でも、ママにはナイショなん」

私は満足げに微笑んで言う。

「そう〜、良ちゃん、ちょっとここにおってね」

そう言うやいなや、私は裏庭にいる義母のところへ飛んで行く。

「ちょっとお義母さん!また良太にチョコレート食べさせたやろっ!!」
義母は夏みかんの木の前で私に背を向けたまま、バケツの中に大きく実った夏みかんを入れている。
「そんなの知らんわ、食べさせてないし」
「良太からチョコレートの匂いしとるんやけど」
私が言うと、義母はキッとこちらに向き直り、
「そんなに言うんやったら、自分で見たらええやろ!」
と、言い放った。
「見るよ、良太は自分で見るさ」
私もキッとなって啖呵を切る。

ぜんそく持ち、4歳の息子が毎日飲む薬の注意書きには「チョコレートなどの刺激物を食べないで下さい」と書いてあるというのに、義母は私に隠れて毎日のように息子を近所の商店へ連れて行き、ほしがるチョコを買い与えている。私が何度注意しても、私の営業している店の窓の下をチョコを買うため忍者のごとく、息子と共にそうっとかがんで通って行く。最初の頃は、私の仕事中に息子を見てもらっているし、あまり文句は言えないな、と見ない振りをしていた。

ぜんそくの発作は夜中に発生する。私は仕事が終わった夜中にそのまま息子を連れて夜間の救急に幾度となく通った。診察が終わって帰るのは夜中の3時、ということもよくあった。私は息子のぜんそくが治るよう、毎日のようにホコリの掃除をしたり、布団に掃除機をかけたり、食事を気を付けてみたり。あらゆる方法を試みていた。

もちろん、義母にもそういった話をして、ぜんそくに対応するように頼んでいた。にも関らず、良太が喜ぶ、という目先の満足だけのために、チョコレートを与えていた。私は我慢できずに、もう義母には頼まず、自分で息子を見ると言い放ったのだ。

そして、その日のうちに、息子を連れて実家へ。ご丁寧に息子の衣類の入ったタンスも一緒に運んだ。もうそのころは実家へ大手を振って帰れるようになっていたので、親は孫がやってきて大喜び。義母は良太のタンスまで持って行ったことに憤慨し、私としては「悪いけど、これ、本気だから」と言う気持ちを表明したのだったが、私の仕事場は義母のところだし、毎日仕事場(=義母の家)と実家の往復40分は結構大変。仕込みや買い物にも不便だし、良太の保育所の送り迎えもある。結果、一週間持たずに、義母のところへ戻った。タンスと共に。

別に義母に謝りもせず「ただいま〜」と、帰る。義母も私には「帰ったんか」と言うだけ。息子は「おばあちゃ〜ん!」と抱きつき、義母も「あら〜、良ちゃ〜ん」と、至福の喜びに満ちる。これで終了。また、息子を預けて仕事をする、という日々が始まった。義母のチョコレートを買う頻度は下がり、私たちはチョコレートが原因のケンカをすることはなくなった。いや、あくまでもチョコレートが原因のケンカがなくなっただけの話である。

「ちょっとお義母さん!良太連れてパチンコ行かんといてよ!!」
「知らんわ、良太連れてパチンコなんて行ってないよ」
「う〜ぬ〜...窓の外にパチンコ屋から持って来たおしぼりが国旗みたいに干してあるやないか〜」
「あれ、それでよう分かったな〜」
「分かったやないわー!!良太をパチンコへ連れていくな〜!」
「ちょっとだけやん、ちょっと行っただけやわ」
「う〜〜〜!!!」

続く...かも。

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