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男と女の間には、暗くて深い川がある

例えば、男は男の友だちが浮気をしていても、責めたりしません。どうもどこかで「もしかしたらおれだってこういう境遇になるかも知れないし、だからなんも言えねー」と思っているようです。ですから、男同士の集まりに不倫の彼女とか平気で連れてきていたりします。

例えば、女は女の友だちが浮気をしているとやめるよう説得したり、あるいは悪い噂を流したりします。それは女が操を重んじているように取られがちですが、実際は「私なんてまじめに家のことをして、夫の世話もしているのに、浮気なんてあの女はずるい」と言う気持ちがあるようです。ですから、女は自分の浮気を人に知られないようにします。

どちらも「羨ましい」「自分だって」という気持ちがあるとしても、対応する態度はまったく変わってきます。

例えば、男は女よりも力が強くて、筋力もあって体も大きい。でも、子どもの頃はよく病気になるし、すぐに泣きます。大きくなってからも、内面は繊細で優しく、そのため精神を病みがちです。男は男らしいことを要求されがちですので、そのように振る舞おうとして精神との間にギャップが生じ、病みやすくなります。また、それを隠そうと、わざと荒々しく振る舞ったりします。

例えば、女は男よりも力は弱く、体も小さいです。でも、精神はバネのように強靭で、男よりも立ち直りが早く、新しい環境に適応が可能です。女のように振る舞うことは比較的得意で、極めることも可能です。しかもそれを楽しみながら武器にすることができます。

もし、女が男の肉体を持っていたならば、ハッキリ言って男の出番はないでしょう。ですから、神様は男に強い肉体を与えたのではないかと思えるほど、男の人は元来優しい生き物であると思います。あくまでも元来、ですが。

例えば、男は個性を好きになります。ですから、複数の女性を同時に好きになれます。それは男が持っている遺伝子バラまきの性質ですから、責めてはいけません。

例えば、女は一番好きな人を作ります。ですから、この人が一番好き、となります。それは、女が持っている優れた遺伝子を選ぶ性質ですから、男は選ばれることを光栄に思わなくてはいけません。

LGBTが叫ばれる中、こういった思考遊びはナンセンスかも知れません。でも、夜の店をしていた時に、何度もこんなことを考えました。やっぱり、男と女は別の生き物で、このふたつの間には暗くて深い川が流れているのです。

男と女が交流できるのはその川にかかった橋の上だけで、間に流れる川がなくなることはありません。でも、そこにどんな橋をかけるかはまったく自由です。細い橋、とっても広い橋、太鼓橋、曲がりくねった橋。透明な橋、吊り橋、運河にかかるような跳ね上げ式の橋...。その形は自由です。あるいは、渡り舟って言うのもいいですね。

川の形もお互いの付き合いによって、まっすぐだったり、ところどころ広かったり、扇状地があったり、色々変わってくるでしょう。そういうのも長い付き合いの楽しみです。お互いが交わることはないけど、向こう岸の世界の特質を認めることはできます。相手の土地は気候がよく豊かで花や野菜がよく育つかも知れない、こっちの世界は厳しい冬のようだけど、頑強な家があって、湧き水の清らかな井戸があるかも知れない。

そんな風に、互いの領域の特性を理解していけば、男と女も暗くて深い川を挟んで付き合っていけるのでは。と思いつつ、男の領地をいつも羨ましげに眺めている私です。

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